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第四十区画「ハコの名前はもう決まっているようです」

 八月の下旬。朝礼の締めに、俺は一つ、予告をした。


「今日の日没後、広場に全員集まってくれ。……この街の、これからの話をする」


  ◆◆◆◆


 日没。篝火の輪の中に、百十三人が集まった。輪の外——というより、輪の背後の丘の上には、山から降りてきた警備最高顧問が、顎を地面に置いて寝そべっている。『暇つぶしよ』とのことである。


 まず、セリアが数字を読み上げた。


「当領の現在の穀物備蓄、及び秋の収穫見込みで、越冬できる人数は——およそ、六十名です」


 輪が、ざわめいた。


「現在の人口は、百十三名。不足分は、輸入で賄います。冬までに、輸送費込みで金貨七十枚。既に手配は済んでおり、心配は要りません。……ですが、これは今年一年の話です」


 彼女は帳面を閉じ、俺を見た。


「来年も、再来年も、同じことが起きます。以上、前提の共有でした」


「ありがとう。——というわけだ」


 俺は、篝火の前に立った。


「結論から言う。この土地の畑では、百十三人は食えない。開墾は進んでいるとはいえ、まだまだ北方の荒れ地だ。頑張ったところで、限界がある。……だから、当分は畑で食うのはやめる」


「や、やめるって……領主どの」


「代わりに、交易で食う」


  ◆◆◆◆


「地図を描こう。ここは、三つの国の境が突き合わさる交差点だ。王国、ガルドラ、ファルサ、三方から人と物が来られる場所は、大陸でここしかない。加えて、うちには街道がある。水がある。湯がある。鍛冶があり、薬があり、茸があり、酒があり、そして龍がいる」


 丘の上で、尻尾が一度、ばさりと動いた。


「バラバラに売っていたものを、一箇所に集める。人が来る。銭が落ちる。その銭で、麦を買う。……つまりこういうことだ」


 俺は、地面に描いた三国交差点を、杖の先で叩いた。


「麦を作るんじゃない。麦を買える街を作る」


  ◆◆◆◆


 次に、俺は掲げた。今日のために描き直した、一枚の図面である。


「ここに、大きなハコを建てる」


 輪が、前に詰まった。ゴブリンの子供らが最前列に潜り込み、ドワーフが肩越しに覗き、エルフが背伸びをする。


「講義を一つやる。……いいか、ハコってのは、ただ屋根を架ければ客が来るわけじゃない。人の流れを設計するんだ」


 杖の先で、図面をなぞる。


「まず、両端。ここに、客が『それ目当てで来る』店を置く。うちなら、鍛冶の直売所と、薬局だ。ドワーフの打った鉄と、エルフの調じた薬。この二つは、他所じゃ買えない。遠くからでも、これ目当てに客が来る」


「ほう、ワシらが客寄せか」


「そういうことだ。で、この二つを、あえて建物の両端に離して置く」


「……なぜじゃ。近い方が、便利じゃろうが」


「客に、歩いてもらうためだ」


 俺は、二つの端を杖で結んだ。


「鉄を買いに来た客は、薬局まで歩く途中で、食堂の匂いを嗅ぐ。茸の店の前を通る。酒の樽を見る。そして、買う。強い店と強い店の間に小さな店を挟むと、小さな店が育つんだ。人は、通り道でしか買い物をしない」


 ゴブリンの子が、素朴に手を挙げた。


「りょうしゅ! それ、ずるくない?」


「ああ、ずるいな」


 輪が、どっと笑った。


「だが、悪いずるさじゃない。客は歩いた分だけ、多くの物を見られる。店は、通ってもらえる。……道の付け方ひとつで、皆が少しずつ得をする。それが、うちの商売の考え方だ」


  ◆◆◆◆


「一期に入れるのは、これだ」


 俺は、区画を一つずつ指した。


「中央に、市場棟。屋根の高い、大きな広間だ。誰でも台を借りて商いができる。うちの民も、旅の商人も、条件は同じだ」


 その中央の区画を指したまま、俺は一瞬、言葉を止めた。


 図面のその部分には、細かい書き込みがある。二階分をぶち抜いた、高い吹き抜け。中央の広場。


 ……前世で、俺が最後に立った場所と、同じ形をしている。


 なぜ同じにしたのか。設計としての正解だから、というのは、半分は本当だ。残りの半分は、まだ誰にも説明できない。


「——それから、東の端に鍛冶直売所。西の端に薬局と、治療院。北寄りに食堂と、宿。南寄りに、酒蔵の直売と、茸の店」


「宿、ですか」


 セリアが顔を上げた。


「泊まれない街は、通過されるだけの街だ。泊まれる街は、銭が落ちる街になる」


 それから、俺は図面の隅の、地味な四角をいくつか叩いた。


「あと、客用の厠と、手洗い場。これは市場棟の両端と、宿に。うちの水路から流し水を通す」


「……領主どの。祭りの前の話に、厠が出てくるのは、締まらんのう」


「一番大事な設備だぞ、これは。人の集まる場所で病が出たら、街ごと終わりだ」


 俺は、輪の全員に向けて言った。


「大陸中の隊商に噂されたい言葉が、二つある。『あそこの秤は正直だ』と、『あそこの街では、病が出ない』。……この二つが揃えば、客は勝手に集まる」


 リーフェが、深く頷いているのが見えた。医の側から見れば、これは商売の話ではなく、命の話である。


「——そして、宿の隣にはもう一つ、目玉を置く」


 俺は、宿の区画の隣を指した。


「湯屋だ」


 輪が、明確にざわめいた。湯は、この街の全員が一番よく分かっている価値である。


「あの、領主様。お湯は、北の山裾に……」


「あれは動かせない。火道の余熱で沸いてる湯だからな。あの湯は、これからも領民のものだ。銭は取らない。——で、ここに建てるのは、薪で沸かす湯屋だ」


「わざわざ、薪で?」


「ああ。そして、こっちは湯銭を取る」


 俺は、指を二本立てた。


「北の湯は、うちで働く連中の福利厚生だ。タダでいい。だが、旅の者が入る湯は、商品だ。薪代がかかる分、きっちり頂く。……宿に泊まれば、湯付き。日帰りの隊商にも、湯銭で開放する。『湯のある宿場』街道の噂になるぞ、これは」


「湯を、売る……」


「北で唯一、湯に浸かれる交差点だ。冬なら、なおさら効く」


 とそこで、一つの手が挙がった。リーフェである。


「あの……薪は、どこから」


 輪が、静かになった。誰もが同じことを思ったのだろう。森を焼かれた民の前で、木を燃やす商売の話をしている。


「順に答える。一つ、建設で出る端材。二つ、鍛冶場のくず炭。……そして三つ目を、君たちに頼みたい」


 俺は、図面の外、緩衝緑地の外周を、指で示した。


「ここに、薪を採るための林を作る。伐り倒すんじゃない。株を残して伐って、また芽を出させる。二十年でぐるりと一巡りするように、区画を区切って、順番に伐る。……つまり、燃やす分を、燃やす前に植える。それだけの話だ」


 リーフェの目が、見開かれた。


「……伐り方を、決めた森」


「そういう言い方の方が、正確だな」


「それは……伐らぬ森ではなく、伐り方を決めた森を、ということですね。……それなら」


 彼女は、胸に手を当てた。


「それなら、私たちの手で、育てられます」


「頼む。木のことは、君たちが世界一だ」


  ◆◆◆◆


「次。あまり景気のいい話じゃないが、大事な話をする」


 俺は、図面の南の端を叩いた。


「南の旧関所を、門として建て直す。そして、領境の城壁を直す」


 ざわめきの質が、変わった。


「今まで、うちに門は要らなかった。誰も来なかったからだ。だが、市場を開けば話が変わる。銭と物のある場所には、それを狙う奴が来る。……市場を開くってのは、うちが狙われる理由を作るってことでもある」


「野盗、ですか」


「隊商荒らし、押し込み、なんでもだ。だから、開業前に門を建てる。門番の詰所と、記帳台を置く。夜は、見回りの当番を作る——火の用心も兼ねてな」


 ザグが、鍋兜を叩いた。


「夜番。俺たちがやる。夜は、俺たちの方が、目が利く」


「石の民も出そう。……ガリムの笛があるでな」


「助かる。混成で組もう。それと、勘違いしないでほしいんだが」


 俺は、門の絵を杖で囲った。


「この門は、閉めるために作るんじゃない。客に、正面から入ってもらうために作るんだ。うちは、来る者を歓迎する。ただし、玄関から来てくれ。こそこそ塀を越える奴だけが、困ればいい」


「記帳台、と仰いましたが」


「来た者には、名前と、どこから来たかと、何を買うかを書いてもらう。……セリア、それが何になるか分かるか」


 一瞬の間があって、彼女の目が、す、と細くなった。


「……どこから、何人、何を買いに来ているかの、記録です。産地別、品目別の、需要の台帳になります」


「そうだ。門は、防備であると同時に、うちで一番いい商売の資料になる」


「……門番に、字の書ける者を配置します」


 うちのCFOは、防壁を帳簿に変換するのが早い。


  ◆◆◆◆


「最後に、日取りを言う」


 俺は、図面を下ろした。


「着工、八月二十八日。竣工、十月二十八日。——そして」


 一息。


「開業は、十一月一日だ」


 輪が、静まり返った。


 最初に声を上げたのは、バルガスだった。


「……ほう。初雪までじゃな」


 その一言に、ドワーフの一族が、目に見えて硬くなった。何人かが、無意識に自分の腕をさすった。


 三年前の雪の夜。「初雪まで」あの言葉に追われて、彼らは無理な工期を呑み、山を追われ、金床を縛られた。この一族にとって、あれは呪いの言葉だ。


 だから俺は、はっきり言うことにした。


「ああ。初雪までだ。……ただし、バルガス」


「なんじゃ」


「この期日は、誰にも押し付けられてない。俺たちが、自分で決めた」


「…………」


「工期は、あんたと二人で三度引き直した。実働四十四日、週の休みは二日、全部確保したうえでの日数だ。無理をしないで済む日数の、内側に置いてある。それでも、足りなければ、開業を延ばす。客より、うちの職人の腕と命の方が高い」


 バルガスは、しばらく黙っていた。


 それから、髭の奥で、低く笑った。


「……ふん。同じ言葉でも、ずいぶん違う響きになるものじゃ」


 彼は、篝火を見た。


「三年前は、あの言葉が首を絞める縄じゃった。……今度の『初雪まで』は、悪くない響きじゃ」


  ◆◆◆◆


「十一月一日は、タクミ様がローゼンベルク伯爵家との血判状に判を捺した、四月一日から数えて」


 彼女は、輪の全員に向かって言った。


「半年と一ヶ月です」


「俺は台帳で銅貨数枚の値が付いた土地を一つ持って、ここへ来た。連れは、セリアと、馬が二頭だった」


 俺は、輪を見回した。


 鍋兜と、髭と、長い耳と、丘の上の巨大な影。


「その七ヶ月後には、ここで市場が開く。——王都の誰も、こんな査定はしていないだろう」


 誰かが、笑った。誰かが、拳を突き上げた。ゴブリンの子らが飛び跳ね、ドワーフが足を踏み鳴らし、エルフたちが手を打ち鳴らす。丘の上の龍が、鬱陶しそうに片目を開けた。


  ◆◆◆◆


「最後に、名前を発表する」


 歓声が、すっと引いた。


「建物には、名前が要る。呼び名のないハコは、噂にならないからな。……この市場の名は」


 俺は、図面の上部に書き込んだ文字を、篝火にかざした。


「——交易市場、アエルナ」


 風が、篝火を撫でた。


「アエルナ……」


「あえるな、って」


「呼びやすい名じゃの」


 輪の中で、その音が転がっていく。ゴブリンが、ドワーフが、エルフが、それぞれの訛りで繰り返す。


 ……ああ。今、この名前が、この世界の音になったんだ。


「タクミ様」


 散会の後、篝火の始末を見ていた俺の隣に、セリアが立った。


「一つ、伺ってもよろしいですか」


「……名前の由来か」


「はい。……あなたの付ける名前は、いつも実務的です。『上水路』『療養室』『回復食・一号』ですが、あの名前だけは、違います」


 彼女は、たたまれた図面を見た。


「あれは、意味のある名前です。あなたが、どこかで大切にしていた、何かの名前ではありませんか」


 ……セリアの観察眼は、本当に、油断がならない。


「鋭いな」


「お答えいただけますか」


 俺は、少し考えた。


 嘘をつく気には、なれなかった。だが、今夜ではないとも思った。開業の日まで——この街が、本当に「開く」その日までは、俺一人で持っていたい重さだった。


「いつか話すよ」


「……いつか、ですか」


「ああ。——多分、もうすぐだ」


 セリアは、じっと俺を見上げた。


 それから、ふ、と表情を緩めた。


「……分かりました。期日の設定がある約束は、有効です。帳面に控えておきます」


「控えるのか」


「未払いの約束は、資産に計上します。……回収の予定は、今のところありません」


 彼女は帳面を閉じ、それから、思い出したように付け加えた。


「なお、別件で一つ。今週の休工日、あなたは二日とも、執務室で図面を引いておられました」


「……見てたのか」


「灯りが点いていましたので。規約第二条には、静かな時間の定めがあります。ですが、休みそのものを定めた条は、雇用契約の第四条です。……甲である領主が、そこに含まれるのかどうか、私にはまだ判断がつきません」


「解釈は、CFOに一任する」


「では、宿題としてお預かりします。回答期限は、追ってお伝えします」


  ◆◆◆◆


 三日後。八月二十八日、早朝。


 三国交差点の予定地に、百十三人が集まった。


 地鎮祭である。といっても、この街には拝む神が多すぎる。ゴブリンの紙のカミ、ドワーフの金床、エルフの森、そして本物の竜。誰かの作法に揃えるのは、無理な話だった。


 だから、うちの流儀でやることにした。この都市を建設を着工のその日に打ち込もうと決めたあれだ。


 バルガスが、布に包んだものを持って進み出た。中から現れたのは、一本の鉄の楔である。


 古びて、傷だらけで、頭に古い銘が刻まれている。


 三年前、山を追われる時に一族が打ち捨て、雪の中に埋もれ、ザグの偵察班が拾い、そして棟梁がたった一人で峠を越えて取り戻しに来た、あの楔だ。


「ワシの祖父さまの銘じゃ。……この楔は、三年、雪の下におった」


 バルガスは、正門の礎石に穿った穴に、楔を据えた。


「今日から、この下で、街を支えるとええ」


 槌を、俺に差し出す。


「領主どの。最初の一打ちは、施主の役目じゃ」


 俺は槌を受け取り、振り下ろした。


 かん、と高い音が、荒野に響いた。


 二打ち目はバルガス。三打ち目はザグ。四打ち目はリーフェ。五打ち目は、背伸びをした記録係の子ゴブが、両手で。


 最後に、セリアが打った。


 打ち終わって、彼女は槌を胸に抱いたまま、しばらく杭を見下ろしていた。


『一番杭:据付完了/建物の基準点として登録』


『——アエルナ、着工』


「よし」


 俺は立ち上がり、大きく息を吸った。


 朝の光が、更地の縄張りを金色に染めている。この何もない土地の上に、これから二月で、街の心臓が建つ。


「——ご安全に!!」


「「「ご安全に!!」」」


 百十三の声が、荒野を渡った。

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