第四十区画「ハコの名前はもう決まっているようです」
八月の下旬。朝礼の締めに、俺は一つ、予告をした。
「今日の日没後、広場に全員集まってくれ。……この街の、これからの話をする」
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日没。篝火の輪の中に、百十三人が集まった。輪の外——というより、輪の背後の丘の上には、山から降りてきた警備最高顧問が、顎を地面に置いて寝そべっている。『暇つぶしよ』とのことである。
まず、セリアが数字を読み上げた。
「当領の現在の穀物備蓄、及び秋の収穫見込みで、越冬できる人数は——およそ、六十名です」
輪が、ざわめいた。
「現在の人口は、百十三名。不足分は、輸入で賄います。冬までに、輸送費込みで金貨七十枚。既に手配は済んでおり、心配は要りません。……ですが、これは今年一年の話です」
彼女は帳面を閉じ、俺を見た。
「来年も、再来年も、同じことが起きます。以上、前提の共有でした」
「ありがとう。——というわけだ」
俺は、篝火の前に立った。
「結論から言う。この土地の畑では、百十三人は食えない。開墾は進んでいるとはいえ、まだまだ北方の荒れ地だ。頑張ったところで、限界がある。……だから、当分は畑で食うのはやめる」
「や、やめるって……領主どの」
「代わりに、交易で食う」
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「地図を描こう。ここは、三つの国の境が突き合わさる交差点だ。王国、ガルドラ、ファルサ、三方から人と物が来られる場所は、大陸でここしかない。加えて、うちには街道がある。水がある。湯がある。鍛冶があり、薬があり、茸があり、酒があり、そして龍がいる」
丘の上で、尻尾が一度、ばさりと動いた。
「バラバラに売っていたものを、一箇所に集める。人が来る。銭が落ちる。その銭で、麦を買う。……つまりこういうことだ」
俺は、地面に描いた三国交差点を、杖の先で叩いた。
「麦を作るんじゃない。麦を買える街を作る」
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次に、俺は掲げた。今日のために描き直した、一枚の図面である。
「ここに、大きなハコを建てる」
輪が、前に詰まった。ゴブリンの子供らが最前列に潜り込み、ドワーフが肩越しに覗き、エルフが背伸びをする。
「講義を一つやる。……いいか、ハコってのは、ただ屋根を架ければ客が来るわけじゃない。人の流れを設計するんだ」
杖の先で、図面をなぞる。
「まず、両端。ここに、客が『それ目当てで来る』店を置く。うちなら、鍛冶の直売所と、薬局だ。ドワーフの打った鉄と、エルフの調じた薬。この二つは、他所じゃ買えない。遠くからでも、これ目当てに客が来る」
「ほう、ワシらが客寄せか」
「そういうことだ。で、この二つを、あえて建物の両端に離して置く」
「……なぜじゃ。近い方が、便利じゃろうが」
「客に、歩いてもらうためだ」
俺は、二つの端を杖で結んだ。
「鉄を買いに来た客は、薬局まで歩く途中で、食堂の匂いを嗅ぐ。茸の店の前を通る。酒の樽を見る。そして、買う。強い店と強い店の間に小さな店を挟むと、小さな店が育つんだ。人は、通り道でしか買い物をしない」
ゴブリンの子が、素朴に手を挙げた。
「りょうしゅ! それ、ずるくない?」
「ああ、ずるいな」
輪が、どっと笑った。
「だが、悪いずるさじゃない。客は歩いた分だけ、多くの物を見られる。店は、通ってもらえる。……道の付け方ひとつで、皆が少しずつ得をする。それが、うちの商売の考え方だ」
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「一期に入れるのは、これだ」
俺は、区画を一つずつ指した。
「中央に、市場棟。屋根の高い、大きな広間だ。誰でも台を借りて商いができる。うちの民も、旅の商人も、条件は同じだ」
その中央の区画を指したまま、俺は一瞬、言葉を止めた。
図面のその部分には、細かい書き込みがある。二階分をぶち抜いた、高い吹き抜け。中央の広場。
……前世で、俺が最後に立った場所と、同じ形をしている。
なぜ同じにしたのか。設計としての正解だから、というのは、半分は本当だ。残りの半分は、まだ誰にも説明できない。
「——それから、東の端に鍛冶直売所。西の端に薬局と、治療院。北寄りに食堂と、宿。南寄りに、酒蔵の直売と、茸の店」
「宿、ですか」
セリアが顔を上げた。
「泊まれない街は、通過されるだけの街だ。泊まれる街は、銭が落ちる街になる」
それから、俺は図面の隅の、地味な四角をいくつか叩いた。
「あと、客用の厠と、手洗い場。これは市場棟の両端と、宿に。うちの水路から流し水を通す」
「……領主どの。祭りの前の話に、厠が出てくるのは、締まらんのう」
「一番大事な設備だぞ、これは。人の集まる場所で病が出たら、街ごと終わりだ」
俺は、輪の全員に向けて言った。
「大陸中の隊商に噂されたい言葉が、二つある。『あそこの秤は正直だ』と、『あそこの街では、病が出ない』。……この二つが揃えば、客は勝手に集まる」
リーフェが、深く頷いているのが見えた。医の側から見れば、これは商売の話ではなく、命の話である。
「——そして、宿の隣にはもう一つ、目玉を置く」
俺は、宿の区画の隣を指した。
「湯屋だ」
輪が、明確にざわめいた。湯は、この街の全員が一番よく分かっている価値である。
「あの、領主様。お湯は、北の山裾に……」
「あれは動かせない。火道の余熱で沸いてる湯だからな。あの湯は、これからも領民のものだ。銭は取らない。——で、ここに建てるのは、薪で沸かす湯屋だ」
「わざわざ、薪で?」
「ああ。そして、こっちは湯銭を取る」
俺は、指を二本立てた。
「北の湯は、うちで働く連中の福利厚生だ。タダでいい。だが、旅の者が入る湯は、商品だ。薪代がかかる分、きっちり頂く。……宿に泊まれば、湯付き。日帰りの隊商にも、湯銭で開放する。『湯のある宿場』街道の噂になるぞ、これは」
「湯を、売る……」
「北で唯一、湯に浸かれる交差点だ。冬なら、なおさら効く」
とそこで、一つの手が挙がった。リーフェである。
「あの……薪は、どこから」
輪が、静かになった。誰もが同じことを思ったのだろう。森を焼かれた民の前で、木を燃やす商売の話をしている。
「順に答える。一つ、建設で出る端材。二つ、鍛冶場のくず炭。……そして三つ目を、君たちに頼みたい」
俺は、図面の外、緩衝緑地の外周を、指で示した。
「ここに、薪を採るための林を作る。伐り倒すんじゃない。株を残して伐って、また芽を出させる。二十年でぐるりと一巡りするように、区画を区切って、順番に伐る。……つまり、燃やす分を、燃やす前に植える。それだけの話だ」
リーフェの目が、見開かれた。
「……伐り方を、決めた森」
「そういう言い方の方が、正確だな」
「それは……伐らぬ森ではなく、伐り方を決めた森を、ということですね。……それなら」
彼女は、胸に手を当てた。
「それなら、私たちの手で、育てられます」
「頼む。木のことは、君たちが世界一だ」
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「次。あまり景気のいい話じゃないが、大事な話をする」
俺は、図面の南の端を叩いた。
「南の旧関所を、門として建て直す。そして、領境の城壁を直す」
ざわめきの質が、変わった。
「今まで、うちに門は要らなかった。誰も来なかったからだ。だが、市場を開けば話が変わる。銭と物のある場所には、それを狙う奴が来る。……市場を開くってのは、うちが狙われる理由を作るってことでもある」
「野盗、ですか」
「隊商荒らし、押し込み、なんでもだ。だから、開業前に門を建てる。門番の詰所と、記帳台を置く。夜は、見回りの当番を作る——火の用心も兼ねてな」
ザグが、鍋兜を叩いた。
「夜番。俺たちがやる。夜は、俺たちの方が、目が利く」
「石の民も出そう。……ガリムの笛があるでな」
「助かる。混成で組もう。それと、勘違いしないでほしいんだが」
俺は、門の絵を杖で囲った。
「この門は、閉めるために作るんじゃない。客に、正面から入ってもらうために作るんだ。うちは、来る者を歓迎する。ただし、玄関から来てくれ。こそこそ塀を越える奴だけが、困ればいい」
「記帳台、と仰いましたが」
「来た者には、名前と、どこから来たかと、何を買うかを書いてもらう。……セリア、それが何になるか分かるか」
一瞬の間があって、彼女の目が、す、と細くなった。
「……どこから、何人、何を買いに来ているかの、記録です。産地別、品目別の、需要の台帳になります」
「そうだ。門は、防備であると同時に、うちで一番いい商売の資料になる」
「……門番に、字の書ける者を配置します」
うちのCFOは、防壁を帳簿に変換するのが早い。
◆◆◆◆
「最後に、日取りを言う」
俺は、図面を下ろした。
「着工、八月二十八日。竣工、十月二十八日。——そして」
一息。
「開業は、十一月一日だ」
輪が、静まり返った。
最初に声を上げたのは、バルガスだった。
「……ほう。初雪までじゃな」
その一言に、ドワーフの一族が、目に見えて硬くなった。何人かが、無意識に自分の腕をさすった。
三年前の雪の夜。「初雪まで」あの言葉に追われて、彼らは無理な工期を呑み、山を追われ、金床を縛られた。この一族にとって、あれは呪いの言葉だ。
だから俺は、はっきり言うことにした。
「ああ。初雪までだ。……ただし、バルガス」
「なんじゃ」
「この期日は、誰にも押し付けられてない。俺たちが、自分で決めた」
「…………」
「工期は、あんたと二人で三度引き直した。実働四十四日、週の休みは二日、全部確保したうえでの日数だ。無理をしないで済む日数の、内側に置いてある。それでも、足りなければ、開業を延ばす。客より、うちの職人の腕と命の方が高い」
バルガスは、しばらく黙っていた。
それから、髭の奥で、低く笑った。
「……ふん。同じ言葉でも、ずいぶん違う響きになるものじゃ」
彼は、篝火を見た。
「三年前は、あの言葉が首を絞める縄じゃった。……今度の『初雪まで』は、悪くない響きじゃ」
◆◆◆◆
「十一月一日は、タクミ様がローゼンベルク伯爵家との血判状に判を捺した、四月一日から数えて」
彼女は、輪の全員に向かって言った。
「半年と一ヶ月です」
「俺は台帳で銅貨数枚の値が付いた土地を一つ持って、ここへ来た。連れは、セリアと、馬が二頭だった」
俺は、輪を見回した。
鍋兜と、髭と、長い耳と、丘の上の巨大な影。
「その七ヶ月後には、ここで市場が開く。——王都の誰も、こんな査定はしていないだろう」
誰かが、笑った。誰かが、拳を突き上げた。ゴブリンの子らが飛び跳ね、ドワーフが足を踏み鳴らし、エルフたちが手を打ち鳴らす。丘の上の龍が、鬱陶しそうに片目を開けた。
◆◆◆◆
「最後に、名前を発表する」
歓声が、すっと引いた。
「建物には、名前が要る。呼び名のないハコは、噂にならないからな。……この市場の名は」
俺は、図面の上部に書き込んだ文字を、篝火にかざした。
「——交易市場、アエルナ」
風が、篝火を撫でた。
「アエルナ……」
「あえるな、って」
「呼びやすい名じゃの」
輪の中で、その音が転がっていく。ゴブリンが、ドワーフが、エルフが、それぞれの訛りで繰り返す。
……ああ。今、この名前が、この世界の音になったんだ。
「タクミ様」
散会の後、篝火の始末を見ていた俺の隣に、セリアが立った。
「一つ、伺ってもよろしいですか」
「……名前の由来か」
「はい。……あなたの付ける名前は、いつも実務的です。『上水路』『療養室』『回復食・一号』ですが、あの名前だけは、違います」
彼女は、たたまれた図面を見た。
「あれは、意味のある名前です。あなたが、どこかで大切にしていた、何かの名前ではありませんか」
……セリアの観察眼は、本当に、油断がならない。
「鋭いな」
「お答えいただけますか」
俺は、少し考えた。
嘘をつく気には、なれなかった。だが、今夜ではないとも思った。開業の日まで——この街が、本当に「開く」その日までは、俺一人で持っていたい重さだった。
「いつか話すよ」
「……いつか、ですか」
「ああ。——多分、もうすぐだ」
セリアは、じっと俺を見上げた。
それから、ふ、と表情を緩めた。
「……分かりました。期日の設定がある約束は、有効です。帳面に控えておきます」
「控えるのか」
「未払いの約束は、資産に計上します。……回収の予定は、今のところありません」
彼女は帳面を閉じ、それから、思い出したように付け加えた。
「なお、別件で一つ。今週の休工日、あなたは二日とも、執務室で図面を引いておられました」
「……見てたのか」
「灯りが点いていましたので。規約第二条には、静かな時間の定めがあります。ですが、休みそのものを定めた条は、雇用契約の第四条です。……甲である領主が、そこに含まれるのかどうか、私にはまだ判断がつきません」
「解釈は、CFOに一任する」
「では、宿題としてお預かりします。回答期限は、追ってお伝えします」
◆◆◆◆
三日後。八月二十八日、早朝。
三国交差点の予定地に、百十三人が集まった。
地鎮祭である。といっても、この街には拝む神が多すぎる。ゴブリンの紙のカミ、ドワーフの金床、エルフの森、そして本物の竜。誰かの作法に揃えるのは、無理な話だった。
だから、うちの流儀でやることにした。この都市を建設を着工のその日に打ち込もうと決めたあれだ。
バルガスが、布に包んだものを持って進み出た。中から現れたのは、一本の鉄の楔である。
古びて、傷だらけで、頭に古い銘が刻まれている。
三年前、山を追われる時に一族が打ち捨て、雪の中に埋もれ、ザグの偵察班が拾い、そして棟梁がたった一人で峠を越えて取り戻しに来た、あの楔だ。
「ワシの祖父さまの銘じゃ。……この楔は、三年、雪の下におった」
バルガスは、正門の礎石に穿った穴に、楔を据えた。
「今日から、この下で、街を支えるとええ」
槌を、俺に差し出す。
「領主どの。最初の一打ちは、施主の役目じゃ」
俺は槌を受け取り、振り下ろした。
かん、と高い音が、荒野に響いた。
二打ち目はバルガス。三打ち目はザグ。四打ち目はリーフェ。五打ち目は、背伸びをした記録係の子ゴブが、両手で。
最後に、セリアが打った。
打ち終わって、彼女は槌を胸に抱いたまま、しばらく杭を見下ろしていた。
『一番杭:据付完了/建物の基準点として登録』
『——アエルナ、着工』
「よし」
俺は立ち上がり、大きく息を吸った。
朝の光が、更地の縄張りを金色に染めている。この何もない土地の上に、これから二月で、街の心臓が建つ。
「——ご安全に!!」
「「「ご安全に!!」」」
百十三の声が、荒野を渡った。




