第三十九区画「焼けた森の薬学は枯れていないようです」
乾燥室に火が入った、その翌朝のことである。
執務室の扉が叩かれ、リーフェと、長老代理の老エルフが、揃って立っていた。二人とも、銀糸の刺繍の入った肩掛けを着けている。……森の民の、正装なのだろう。
「領主様。銀葉の氏族、五十二名の総意を、お伝えに参りました」
リーフェの背筋は、まっすぐだった。
「私たちは、この街に住みたいと思います。——保護の期限を、待たずに」
昨夜、氏族は車座になって一晩語り合ったのだという。決め手は、一つではなかったらしい。椀のゴブ茸。名を伏せて出せる苦情台帳。日当の出る緑地の仕事。そして昨日、煙を出さずに薬草を乾かし始めた、あの火。
「施しの残り日数を、指折り数えて暮らす夜は……昨夜で終いにしたいと、若い者らが申しましてな」
老エルフが、静かに言い添えた。
「規程の第五条は『満了までに選べる』だ。早く選ぶのは、もちろん自由だ」
俺は立ち上がり、卓の向かいの椅子を、二脚引いた。
「なら、ここから先は保護の話じゃない。商談だ。対等の席へ、どうぞ」
こちらの席へ、彼女たちのほうから着きに来てくれた。営業冥利に尽きるというものである。
◆◆◆◆
「契約の前に、見せたい土地がある。話は、歩きながらにしよう」
向かった先は、湧水点だった。
砂を押しのけて湧く、冷たい一筋。この土地で俺が最初に見つけた資産は、いまや石の枡に守られて、こんこんと水を送り出している。そして、その周りだけ緑の濃さが、違う。
リーフェが、ふらりと歩み出て、膝をつき、土に両手を当てた。
「……っ」
長い耳が、震えた。
「大地の血の、噴き出し口の、すぐ傍……。里の聖域の土より……濃い……」
『湧水点周辺・土壌:マナ含有・特級/水利:最上級』
『薬草栽培適性:特級——大陸広域比較・最上位圏』
鑑定眼の査定と、森の民の肌の査定が、綺麗に一致した。相見積もりの結果がここまで揃うと、逆に清々しい。
「ここを、薬草園にしたい」
俺は、水路の際までの一帯を、手で示した。
「畑で作って、乾燥室で乾して、調剤場で調じて、治療院で治して、秋に建つハコの薬局で売る。栽培から販売まで、全部この街の中で回す。それを、君たちに任せたい」
「せ、栽培から、販売まで……」
「リーフェ、言っておくが、慈善じゃないぞ。セリア」
「はい。数字の前提を共有します」
セリアが帳面を開いた。
「テオ氏の報告によれば、王都では熱冷ましのミルの葉が、ひと束・銀貨一枚。半年前の三倍です。理由は単純で産地であるアルフヘイムの森が、焼かれているからです。供給は今後も細り、値は上がり続けます。そして……」
彼女は、顔を上げた。
「無傷の土地と、生きた知識と、種を併せ持つ供給地は、現在、大陸でここだけになり得ます」
「当面の売り物は、君たちが森から持ち出した乾燥薬草の調剤と、治療の技だ。畑の本格の出荷は来春。それまでの稼ぎ頭は、引き続きゴブ茸に働いてもらう。……つまり急がなくていい。土台から、ちゃんと作る話だ」
場所も、決めてある。調剤場は乾燥室の隣。熱と乾し物の動線を、十歩で繋ぐ。緑地仕事に登録した者は、そのまま本契約に移ってもらう。
「それから、秋に建つハコには、薬局——薬の販売の区画を、もう描き込んである」
「薬の販売、ですか」
「ああ。……実を言うと、君が倒れた日の夜からな」
リーフェが、目を見開いた。行き倒れの薬師がまだ名乗りもしない夜に、その仕事場の四角だけが、先に図面へ載っていたのである。……我ながら、気の早い大家だ。
リーフェは、湧水と、緑と、帳面の数字を、順に見た。
それから、その顔が、ゆっくりと曇った。
「……一つだけ、伺わせてください」
◆◆◆◆
「それは……故郷の火の上で商いをする、ということです」
絞り出すような声だった。
「葉の値が三倍になったのは、森が焼かれているからです。同胞が追われ、里が灰になり、それで値が上がって、その高値で、逃げ延びた私たちだけが、儲ける。……火事場で銭を数えているようで、私は」
老エルフも、目を伏せて、静かに言った。
「……領主様。この娘だけの繰り言では、ございませぬ。生き残った者は皆、多かれ少なかれ、同じ棘を呑んでおります。焼けた里より良い寝床で眠るたび、温かい椀を持つたび、胸のどこかが、痛む。そういうものにございます」
……ごまかしの利く場面ではない。俺は、正面から答えることにした。
「その通りだ」
リーフェの肩が、小さく揺れた。
「値が上がってる理由は、森が焼けてるからだ。それは事実で、俺たちには止められない。だが、逆を考えてくれ。君たちが作らなければ、どうなる」
「……」
「薬が、市場から消える。困るのは、薬を待ってる病人と怪我人だ。そして技が絶えれば、いつか森が戻った日に、植える手も、調じる手も、もう残っていない。……焼けた森の薬学を絶やさないことが、一番の恩返しだと、俺は思う。それと、もう一つ」
俺は、指を一本立てた。
「魔法薬に関わる純益の一割。最初から、別の袋に取り分ける。名前は【森還りの積立】だ」
「もり、がえり……?」
「使い道は二つ。森の再建。それから、帰郷を望む者の路銀。名義は氏族、監査はうちのセリアが付く。……火事場の儲けの一部を、火事の後始末に返す仕組みを、商いの設計に最初から入れ込んでおく。これなら、胸を張って売れるか?」
リーフェは、絶句していた。
先に口を開いたのは、老エルフだった。
「……領主様。帰る日の路銀を、雇い主が積むと仰るか。それは、儂らを追い出す口実にも、なりましょうに」
「出口のない紙は罠だと散々言ってきたのでね」
老人は、窪地の日のことを思い出したのだろう。皺の奥の目が、ふ、と緩んだ。
「……一本、取られましたな」
リーフェは、目に涙をためたまま、深く、深く頷いた。
◆◆◆◆
執務室に戻ると、卓の上に、清書された草案が既に載っていた。
「……もう出来てるのか」
「どうせ、こうなると思いましたので」
セリアの先回りは、今日も平常運転である。最近は、俺よりも紙の人になりつつある。もうセリアがいれば、俺がいなくとも大丈夫なのでは?と思ってしまってすらいる。
契約は、第十条に構成された。すなわち、読み聞かせである。セリアが一条ずつ読み上げ、問いにその場で答える。二度目からは、エルフたちのほうが先に諳んじた。……本当に、耳がいい。
第一条で、老エルフの声が、ほんの少し掠れた。
「『奴隷、家人、隷属民の類ではない』……。儂が破られてきた三枚の紙には、いずれも、この一条がございませなんだ」
「破られない紙の条件は、破られた紙が一番よく知ってる。……あんたの三枚は、うちの教材だ」
第四条では、エルフたちがざわめいた。
「弔いの休みまで、紙に書くのですか」
「森の暦を、ご存じなのですか……?」
「リーフェさんから伺った祭事を、一覧にしてあります。別紙の三です」
セリアの先回りは、種族の壁も越えていく。
第八条で、老エルフが目を細めた。
「『乙は、いつでも当領を去ることができる』。……窪地で仰った、出口の条項ですな。紙になっても、消えておらん」
「消えたら詐欺だ」
そして、第九条。セリアが、そこで読み上げを止めた。
「第九条は、空欄です。罰は当事者が決めるべきだと、領主が申しますので」
「俺がこの契約を破った時、君たちが俺に何をするか。それを決めて、書き込んでくれ」
リーフェと老エルフが、顔を見合わせた。
「で、では……金貨を、いくらか……」
「い、いえ、長老代理、お金は、その、生々しいと言いますか……」
ひそひそと相談すること、しばし。やがてリーフェが、遠慮がちに手を挙げた。
「……では。森で一番苦い薬湯を……七日分、ほど……」
「いいな、それだ。書こう。『残さず飲む』も入れてくれ」
「……甲が健康になる罰、というのは、新しいですね」
セリアは無表情のまま、几帳面な字で条文を埋めた。
◆◆◆◆
『雇用及び移住に関する契約書』
デッドエンド領(以下「甲」という)と、アルフヘイム大森林・銀葉の氏族(以下「乙」という)とは、乙が甲の領において暮らし、働くことについて、次のとおり契約を結ぶ。
この契約は、施しではない。乙は、火に故郷を追われて甲の領に至った者であるが、本契約は、その不運につけ込むためのものではなく、乙が一人の住人として、また一人の職人として、甲の領で対等に生きるために結ぶものである。甲は、乙の技と、乙の暦と、乙がいつか森へ帰る日とを、あらかじめこの紙に書き込む。書いた甲が、それを違えぬために。
本契約は、乙の求めに応じ、その全文を声に出して読み上げ、乙の問いのすべてに答えたうえで、双方が納得して結ぶものである。
第一条(身分) 乙は、当領の住人であり、職人である。奴隷、家人、隷属民の類ではない。
第二条(業務) 乙の業務は、薬草の栽培、調剤、治療、緑地の造成、木工、その他乙の得手とする仕事とする。
第三条(対価) 賃金は月払いとし、額は別紙による。作物及び調剤の売上の歩合も、別紙による。
第四条(休み) 週の労働は五日、休みは二日とする。森の暦による祭事と弔いの休みは、これを尊重する。
第五条(安全) 危険を伴う作業は、当領の安全規程による。
第六条(治療) 傷病の治療は、当領の労災規程による。
第七条(森還りの積立) 魔法薬に関わる純益の一割を積み立て、森の再建、及び帰郷を望む者の路銀に充てる。積立は乙の名義とし、甲の筆頭補佐官が監査する。
第八条(退去の自由) 乙は、いつでも当領を去ることができる。甲は、これを妨げない。去る者には、積立の持ち分と、道中の食料と水を渡す。
第九条(違約) 甲が本契約に違約したときは、乙は甲に、森で一番苦い薬湯を七日分、処方することができる。甲は、これを残さず飲む。乙が違約したときは、双方の話し合いによる。
第十条(読み聞かせ) 本契約は、調印の前に全文を読み上げ、双方の問いに全て答えたうえで、結ぶ。
以上、本契約の証として、本書を作成し、甲乙記名調印のうえ、各一通を保有する。乙の調印は、総代の署名をもって氏族全員の意思を代表するものとし、これに氏族の各員が、めいめいの葉を書き添える。
王国暦一〇五〇年 八月二十三日
甲 デッドエンド領 領主
タクミ 印
乙 アルフヘイム大森林 銀葉の氏族 総代
リーフェ(氏族五十二名を代表する) 印
(以下、氏族各員の葉 五十一葉)
立会人 セリア・フォート・アークライト 印
調印は、氏族の慣わしで行われた。
総代のリーフェが署名し、それから、五十二人が一人ずつ進み出て、余白に、自分の「葉」を描き添えていくのである。筆を持てない幼子は、親が手を添えて。
一枚、また一枚。丸い葉、細い葉、ぎざぎざの葉。
全員が描き終える頃には、契約書の余白が、銀色の枝のようになっていた。
立会人の席から、ザグが覗き込んで、しみじみと言った。
「……いい、カミだ」
「じゃろうの。……ワシらの時より、華があるわい」
バルガスが、髭の奥で笑った。
と、その時である。
視界の端で、ちり、と小さな音がした気がした。
『【神域の用途指定】——更新』
『自領外の設置上限:三枚 → 四枚』
『事由:領の格の上昇(人口、制度、産業の拡充)』
……神様の査定基準は、今日も非公開である、だが、以前と同様に領民が増え、街が発展する事で俺の道具箱の中身も増えていくようだ。
「タクミ様。今、何か」
「札の枠が、一枚増えた」
「……無形固定資産の増加、ですね。帳簿に載せられないのが、残念です」
「代わりに、載せられるものを新設します」
彼女は帳面を開き、几帳面な字で書き付けた。
『新科目:森還りの積立(預り金・乙名義)。備考:取り崩しは乙の申し出のみによる。当方の権限は、監査に限る。』
金庫の中に、うちの金ではない袋が一つ増えた。……妙な話だが、これが今日一番の資産計上である気がした。
◆◆◆◆
その足で、俺は二つの区画に札を貼った。
一つ目は、砦の一階の空き部屋。……ハコの図面の隅に描いた「医」の四角は、まだ更地の上だ。だから当面の仮店舗は、ここになる。
「【神域の用途指定】——区画、当室。用途【治療院】利用資格、当領の住人と、当領を訪れる者。付帯効果【清潔】【安静】」
『治療院——癒えることが正しい/初診、受け付けます』
「旅の者まで診るのですか?」
「診る。医者のいる宿場は、それだけで客が着くんだ。……初代の院長は、頼めるな?」
「……はい。謹んで」
行き倒れの少女が、二十日後には院長である。うちの領の人事は、今日もスピード感に溢れている。
開院一号の患者は、膝を擦りむいた例の記録係の子ゴブだった。リーフェに軟膏を塗られ、木の葉で「いたいの、とんでけ」をやってもらい、大変な自慢顔で帰っていった。
二号は、同室の若い衆に押し込まれてきた、イビキのドワーフである。
「……申し訳ありません。イビキに効く薬草は……森にも、ございません」
苦情台帳の解決不能案件は、森の薬学をもってしても、なお解決不能であった。世界は広く、イビキは深い。CPAPとかその内、作れるといいな。
二つ目の札は、湧水点の畑に。
「区画、ここから水路の際まで。用途【薬草園】付帯効果【霜避け】【鳥獣忌避】」
『薬草園——育つことが正しい(霜と鳥は、ご遠慮ください)』
三十二番目の区画で、鑑定眼はこう言った。『医術の専門知は、当領に未収蔵』
本日付で、解消だ。
◆◆◆◆
夕方。薬草園には、もう畝が三本、立っていた。エルフの仕事は丁寧で、そして、思ったより早い。
畝の前で、セリアがふと言った。
「タクミ様。四月の覚書を、覚えていらっしゃいますか」
「ザグとの?」
「はい。……『山は、いつか帰れる。それまで、ここで生きる』。第七条の森還りの積立は、あの一文と、ほとんど同じことを書いていますね。金の言葉で」
……言われてみれば、その通りだった。
山を追われた者には、帰れる日までの暮らしを。森を焼かれた者には、帰れる日のための路銀を。
「うちの領の紙は、結局、あの一枚の焼き直しばかりだな」
「同じ願いなら、何度書き直しても、良いものだと思います」
畝の前に、リーフェが膝をついた。
手には、あの革包み。焼け焦げて、それでも最後まで手放さなかった、氏族の全財産である。
彼女は包みを開き、西の空へ。焼けた森と、そこに残った長老へ深く、一礼した。
それから、最初の一粒を、土に置いた。
『薬草の種子:市場価値・銅貨数枚』
見慣れたタグが、ふ、と揺れた。
『——再査定中』
『薬草の種子(播種済み):将来価値・算定不能』
……俺の眼が、初めて、自分から白旗を揚げた。いいだろう。その査定、俺も同意見だ。
一粒目が土に還ると、待っていた氏族が、次々と畝の前に膝をついた。子供も、老人も、一人一粒ずつ。五十二人の手が、焼け残りの種を、新しい土へ置いていく。
誰からともなく、歌が始まった。
低く、静かな旋律だった。だが、夜ごとの鎮魂の歌とは違う。土を撫でながら、リーフェが教えてくれた。
「種蒔きの歌です。……森を出てから、初めて、歌います」
水路の向こうで、ドワーフたちが槌を止めて聞いていた。畝の間には、ゴブリンの子らが座り込んで聞いていた。
……今夜の苦情台帳に、この歌の苦情は、多分載らない。
焼けた森の薬学は、枯れていなかった。
——ここで、芽を出すのだ。




