第三十七区画「行商人は三つの報せを運んでくるようです」
入領の翌日から、街は「建てる」一色になった。
五十二人分の屋根である。幸い、うちには打ってつけの在庫があった。旧市街の廃屋群だ。十五年前に人が去った石造りの家々は、壁と基礎だけなら今も立っている。屋根を葺き直し、床を張れば、住まいに戻る。
「壁は生きとる。屋根はワシらが三日で上げる。床と建具は、森の民が自分でやるがええ。……木の扱いは、あやつらのほうが上手じゃろうて」
バルガスの采配で、旧市街のあちこちに槌音が戻った。ドワーフが梁を担ぎ、ゴブリンが瓦礫を運び、エルフの若い衆が借り物の道具で床板を削る。三種族が同じ現場に立つのは、これが初めてである。
……もっとも、初日から早速、エルフの職人がドワーフの寸法の取り方に眉をひそめ、ドワーフがエルフの鉋がけの丁寧さ——彼らに言わせれば遅さ——に鼻を鳴らし、間に挟まれたゴブリンがおろおろする、という一幕もあったのだが。
その話は、また改めて考えることになるだろう。今はまだ、屋根が先だ。
砦の門には、一時保護規程の写しが掲げられた。第七条の定めどおり、読めない者のために朝晩二回、セリアが読み上げる。三日目の朝には、聞きに来るエルフの数が、読み上げるセリアの声より先に条文を諳んじ始めた。
……エルフは、耳がいい。ザグのばあちゃんは、正しかったようだ。
◆◆◆◆
その行商人が南の街道に現れたのは、入領の翌日の昼だった。
荷馬車。御者台の上の糸目が、街道に入った辺りから、だんだん細くなくなっていく、つまり、見開かれていく。
「……タクミ様」
俺の顔を見るなり、テオは、挨拶も抜きで言った。
「前回伺ったのは、キノコの仕入れで伺った数月前でございます。少し経って参りますれば、道は王都の目抜き通りより良く、水は石の管を走り、湯屋から湯気が上がり、髭の職人衆が石を敷き、頭の上を竜が飛び、今しがた、耳の長い方々と、すれ違いました」
「よく来たな、テオ。積もる話が山ほどある」
「行くたびに面白くなるとは申しましたが。……程というものが、あるでしょう」
荷下ろしは、あっという間だった。青銅の地金。空樽が二十。塩の俵。種籾の袋、食料、生活用品各種。注文の品が一つ残らず、几帳面に揃っている。
「樽は酒蔵へ! 塩は蔵の北側へ!」
セリアの指揮で荷が捌かれていく。ちなみに酒蔵は三日前に屋根が上がったばかりで、樽の到着には、ドワーフたちから本日一番の歓声が上がった。うちの職人衆の優先順位は、実に分かりやすい。
◆◆◆◆
執務室。卓を挟んで、テオが帳面を開いた。
「本日は、ご報告が三つございます。……一つは明るく、二つは、あまり明るくありません」
「明るい方からもらおう」
「幻茸の売上でございます」
卓の上に、銭袋と、商業ギルドの為替が置かれた。
「王都の上代は、相変わらず言い値。卸のお取り分は締めて金貨四十二枚。それから、こちらが注文書の束で、侯爵家が二件、伯爵家が五件、料理長からの泣き落としが十一件。全てに同じ返事をしてございます。『次回入荷まで、今しばらく』と」
「絞ってるな」
「はい。値は落とさず、量を絞る。希少なものは、焦らして売る。……タクミ様の受け売り通りに」
セリアが為替を検め、帳面に書き付ける。冬支度の穴に、まとまった水が入った。
「ただ、相場の風向きが変わり始めております。——王国は今、西で戦をしておりますので」
テオの声が、少し低くなった。
「帝国の騎兵が国境を破りましてね。小競り合いではなく、公然の戦です。王家は武門の家々に本格の出兵を命じました。……ローゼンベルク家も、主力を西へ出すと、もっぱらの噂で」
「……そうか」
俺の返事は、それだけだ。あの家とは、紙の上で綺麗に縁が切れている。
ただ、頭の隅の帳簿に、一行だけ書き込んでおく。
戦は、金を食う。金に困った武門の家が、次に何を売り、誰から借りるか。それはまだ、誰にも分からない。
「戦が始まると、値が動きます。鉄、革、そして穀物。王都の麦は既に上がり始めました。冬には二割、悪ければ三割は高くなるかと」
「セリア」
「はい。……当領の穀物輸入計画、直撃です」
百十三人の冬である。笑えない話だった。
だから俺は、笑えるうちに手を打つことにした。
「テオ。穀物の定期便を頼みたい。冬まで、ひと月に二便。それで——値は、今日この場で固定したい」
「ほう」
テオの糸目が、きゅ、と細くなった。商人の顔である。
「相場が上がると分かっていて、固定の値で運び続けろと。手前が、損を被るかもしれませんが」
「代わりに、量を保証する。全量、うちが引き取る。売れ残りのリスクはゼロだ。帰りの荷も約束しよう。干し茸と——いずれ、もう一つ二つ、茸に負けない特産品が増える」
「……値の変動は手前が呑み、量の変動はタクミ様が呑む。危険の、分け合いでございますか」
テオはしばし宙で算盤を弾き、それから、ふふ、と笑った。
「よろしいでしょう、乗ります。こういう紙は、初めて書きますよ」
「うちは、初めての紙ばかり書いてる領なんでね」
◆◆◆◆
「では、二つ目のご報告を」
テオは帳面を一枚繰り、声を落とした。
「王都の手前の店に、妙な客がございました。算盤玉のような目をした、物静かな男です。茸を人数分より多く買い、世間話のふりで訊いて参ります。北の街道の様子を。道の具合を。……あなたの、人となりを」
「……ほう」
「あの目は、客の目ではございません。検収人の目です。それも、どこぞの大看板を背負った。手前の勘では、南の——」
「ゴルドー商会」
俺が言うと、テオの糸目がぴくりと動いた。
「ご存じで」
「先だって、北の岩山で末端の仲買人と一戦やった。手打ちの席で、向こうが自分から看板を名乗ったよ。本店へ早馬が飛んだのも、こっちで見てる」
「補足します」
セリアが、帳面も開かずに諳んじた。
「証文の末尾の小さな組印。ドレル氏は交渉の席で、自らゴルドー商会の名を後ろ盾に挙げました。組印の主は同商会と見て、まず間違いないかと」
「……なるほど、なるほど。役者が揃っておりますねえ」
テオは揉み手をし、その糸目の奥だけが、笑っていなかった。
「お気をつけを。あの看板は大きいですから。ギルドの窓口の役人が、頭を下げる側の大看板です」
「テオ。それは、お前も同じだ」
俺は、まっすぐ彼を見た。
「幻茸の販路は、お前が一人で握ってる。連中が北を測るなら、真っ先に測られるのはお前だ。荷と、身柄に気をつけてくれ。……逃げ場が要る時は、いつでも北へ来い。ここの警備は大陸一だ」
「ふふ。商人に、先に逃げ場を示してくださるお客は、タクミ様くらいのものでございますよ」
テオは笑い、それから居住まいを正した。
「ご忠告、痛み入ります。手前も、気づいておりますとも。ですから三つ目のご報告は、往来では決して口にせず、ここまで持って参りました」
◆◆◆◆
「王都の市場の外れで、聞き込みがございました」
テオの声は、事務的なほど静かだった。
「身なりのいい、使用人風の男です。商人を回って、人相書きを見せておりました。黒髪の、令嬢風の若い娘。家出人を探している、と。アークライト男爵家の使いだと、申しておりました」
執務室の空気が、変わった。
セリアは、動かなかった。ただ、帳面の上のペン先だけが、ぴたりと止まっている。
「手前は、何も知らない顔で応じました。『はて、見かけませんですねえ。ご覧の通り、手前の客は台所の連中ばかりで』と。……ですが、あの手の聞き込みは一度では終わりません。銭で口の軽くなる者は、市場にいくらでもおります」
「……ありがとう、ございます。テオさん」
セリアの声は、平坦だった。
「礼には及びません。顧客情報は漏らさない。——タクミ様に教わった、手前の商いの一丁目一番地でございますから」
短い沈黙が落ちた。
俺は、努めていつも通りの声で言った。
「セリア。何か、してほしいことはあるか」
「ありません」
即答だった。
「決めたことですから。それに今は、百十三人分の冬支度のほうが優先です」
彼女はペンを持ち直し、次の頁をめくった。ペン先は、もう止まらなかった。
だから俺も、それ以上は訊かなかった。代わりに、一つだけ言っておくことにした。
「分かった。なら、こっちも一つだけ。——君の家の問題は、突き詰めれば紙の問題だ。借金の証文という、紙のな」
「……はい」
「紙の問題なら、俺の……この領の得意分野だ。それだけ、覚えておいてくれ」
セリアはペンを止めず、顔も上げず、ただ小さく頷いた。
……ように、見えた。
◆◆◆◆
商談を終えて表へ出ると、ちょうど旧市街の方から、リーフェが歩いてくるところだった。腕には薬草の籠。保護期間中の身だが、氏族の怪我人の手当てだけは、初日から自分で買って出ている。
「領主様。西の棟の三名、熱が下がりました。……あの、こちらの方は」
「テオという。うちの領の命綱の行商人だ。テオ、こちらはリーフェ。西の森の薬師でな」
「これはこれは。テオ・クレイスラット・シータステッドと申します。以後、お見知りおきを」
テオは商人の礼をし、その糸目が、リーフェの籠の中身の上で、ぴたりと止まった。
「……失礼。そちらの、乾した銀色の葉は」
「え? ミルの葉です。熱冷ましの、ごくありふれた……」
「森の外では、ひと束が銀貨で取引される品でございますよ。それも産地の森が焼けている今、値は日ごとに——」
「テオ」
俺は短く遮った。
「彼女たちは保護期間中だ。商談は、なしだ」
「……おっと」
テオは揉み手を止め、素直に一歩下がった。
「これは手前としたことが。失礼をいたしました、リーフェ様」
「い、いえ、あの……」
戸惑うリーフェに、俺は肩をすくめてみせた。
「保護は、商いの入口にしない。うちの規程の精神だ。……商談をしたければ、三十日を過ぎて、自分の意思でここの住人になって、対等の席に着いてからだな。飢えた者と結んだ取引は、後で必ず紙が牙を剥く。それを、嫌というほど見てきた」
「対等の、席……」
「ふふ……なるほど、なるほど」
テオが、心底楽しそうに糸を細めた。
「焦らすのですねえ、タクミ様。手前に、幻茸の時と同じ手を」
「人聞きが悪い。順番の話をしてるんだ」
「ええ、ええ。ですが手前の見立てを、一つだけ申し上げておきましょう。——魔法薬、でございましょう?」
テオは、西の空を見た。
「産地の森が焼け、供給の細っていく品を、無傷の肥沃な土地と、生きた知識ごとお抱えになる。もし本当にそうなれば、タクミ様、大陸の商いが、変わりますよ」
「気が早いな、相変わらず」
「商人は、半年先の匂いで飯を食うものでございます」
◆◆◆◆
帰り支度を始めたテオを、俺は交差点の予定地まで連れ出した。
杭の列と、縄張りの縄。まだ、それだけの更地である。
「テオ。秋から冬に、ここへ大きなハコを開ける。市場と、工房の直売と、宿と、食堂を、一つ屋根の下に束ねたやつだ」
「……ここに。この、三国の突き合わさる荒野のど真ん中に」
「ああ。それで、最初の区画をお前の店に取っておきたい。外から入る店の、第一号だ」
テオは杭の列を眺め、それから俺を見た。
「家賃は、おいくらで」
「固定を安くして、売上の歩合を乗せる」
「……売上の、歩合?」
糸目が、本日二度目に見開かれた。
「儲かれば儲かるほど、家賃が増えるのですか。そんな貸し方、王都では聞いたことございませんが」
「逆に言えば、売れない月は家賃も軽い。開店したての店を、重い固定家賃で潰さない仕組みだ。それに——歩合にすると、大家は何をするようになると思う?」
「何を、と申されましても」
「店が繁盛するように、必死になるのさ。客を集め、道を整え、祭りを打つ。……大家と店子が、同じ方向を向く家賃方式だよ」
テオは長いこと黙って、何もない更地を見ていた。
やがて、深々と、商人の礼をした。
「その紙、書けましたら一番にお持ちください。……判は、その場で捺します」
◆◆◆◆
その夜。自室の蝋燭の下で、セリア・フォート・アークライトは、誰にも見せない帳面を開いていた。
【八月ニ日】
テオ氏より、報告三件を受領。
一件目、幻茸の売上、金貨四十二枚。冬支度の資金繰りに大きく寄与。二件目、ゴルドー商会の測量。対応方針は既定通り、静観と記録。三件目——
……ペンが、ここで一度止まった。止まったことを、正直に記録しておく。この帳面は、誰も監査しないので。
三件目、人相書き、一件。父は、まだ私を探している。正確には、金貨三千枚の担保を探している。
処理、保留。……保留である。逃げているのではない。優先順位の問題である。当領には現在、百十三名分の冬支度という、明白な最優先事項が存在する。
なお、タクミ様は本日、次の発言をされた。「君の家の問題は、紙の問題だ」「紙の問題なら、得意分野だ」と。
……空白の科目の残高が、また増えた。そろそろ利率の確認をすべきかもしれない。
でも、確認はしない。当分、しない。
以上。
◆◆◆◆
同じ夜、俺は城壁の上にいた。
南の闇の先、王都と、そのさらに先の商都で、こちらを測っている算盤の音を思う。西の闇の先、森を焼く火と、金の要る戦を思う。
どちらもまだ遠い。だが、確実に近づいてくる。
……いいだろう。こっちも急ぐ。
冬が来る前に、あの更地にハコを建てる。人と、物と、銭の流れをこの交差点に通して、誰にも潰せない既成事実にする。
振り返れば、砦の窓と、旧市街の新しい灯りと、ゴブリン村の焚き火が、夜の底に散らばっていた。
春先には二人分だった灯りが、いまは百十三人分ある。
守るものが増えるというのは——案外、悪くない重さだった。




