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第三十三区画「水と道の整備は完了したようです」

 通水を翌日に控えた夕方、俺は最後の仕込みに、水路を端から歩いた。


 造って終わり、では水道ではない。水は、造った日から汚れ始める。だからここからは、管理の仕組みの話だ。


 まず、領の規定を一枚、書いた。


  ◆◆◆◆


『デッドエンド水道規程』

 第一条(上水の目的) 上水路の水は、飲むための水である。本管からの私的な取水、洗い物、物を浸すこと、その他汚す行いの一切を、禁ずる。

 第二条(取水点) 水は、末端の出口——水盤及び共同水栓、すなわち二次側においてのみ、使うことができる。

 第三条(接続の禁止) 上水の水路及び管は、下水、雨水、その他いかなる水路とも、直接繋いではならない。

 第四条(材料) 上水に触れる材料は、石、焼き物、木、及び青銅に限る。鉛は、いかなる理由があっても、用いない。


  ◆◆◆◆


「二次側、というのは」


「本管が一次側、末端の出口が二次側。……要するに、だ。水にも『口』を決めてやる。人間だって、飯は口から食うだろう。腕の血管から直接は食わない」


「例えが不穏ですが、理解しました」


 理屈は単純だ。五百メートルの本管の、どこか一箇所で誰かが手や桶を突っ込めば、その下流の全員が、同じ水を飲む。取水点を水盤と水栓に絞っておけば、水質は守れるし、万一汚れが出ても、原因の特定が一日で済む。


 規程に合わせて、本管の全域に、札を通した。


 『上水路 飲み水につき、取らない・入れない・汚さない』


 札は「行い」に効く。流れることは後押しされ、途中で掬う、堰く、浸す、汚す、そういう行いをしようとした腕は、鉛のように重くなる寸法だ。


 そして、この札の相手は、人と魔物だけではない。


 舞い込もうとする砂埃。落ちようとする木の葉。飛び込もうとする虫や鼠。染み込もうとする濁り水。——水面に「入ろうとする」ありとあらゆる動きが、この区画の用途に反する行いとして、やんわりと、しかし絶え間なく、逸らされ続ける。


 試しに開渠の上で枯れ葉をひと掴み撒いてみたら、葉は水面の一歩手前で、見えない何かに滑らされたように、ふわりと岸へ流れていった。


 目には映らないが、水路の上には確かに天井と壁が、ある。飲み水だけを通す、見えない屋根が。


 札は天井の重さを支えられないし、投げ込まれた岩の質量を止めることもできない。逸らせるのは、あくまで入ろうとする『動き』だ。


 だから、この水路の要は石の蓋と暗渠が主で、札は従にすぎない。俺がこの世からいなくなれば札は消えるが、石蓋と、砂の濾過と、水を通すための高さは残る。


 俺がいなくても綺麗に流れ、俺がいる間は、もっと綺麗に流れる。水道は、そういう仕組みで成り立つ。


 かくして、この街の水は湧き口から、沈砂池で砂を落とし、濾過池の生きた砂の膜を抜け、蓋をされた石の水がめに納まり、焼き物と木の管を潜って、末端の吐き出し口に至るまで。空にも、土にも、誰の手にも、一度も汚されることなく、綺麗なまま旅をしてくることになった。


 世界初の自警する水道である。


 そして、第三条。俺が前世で骨の髄まで叩き込まれた、上下水道の鉄則、クロスコネクションの防止だ。


「棟梁。上水と下水の水路は、この先どれだけ街が伸びても、絶対に、どこでも、繋がない。図面の上でも、色を分ける。上水は青、下水は灰。交差する場所は必ず立体で交わらせて、上水を上、下水を下。石の床で、縁を切る」


「……水路を上下に組むのは、二度手間じゃぞ」


「一本の繋ぎ間違いで、街一つの飲み水が全部死ぬ。そういう事故は何度も聞いた。腹を下すだけで済めば上等、悪ければ疫病だ」


 バルガスは、上水路と下水路の交差予定点をしばらく睨み、それから、ふん、と鼻を鳴らした。


「……理のある手間は、手間とは言わん。仕事と言うんじゃ。——よかろう、交差は全部、ワシが組む」


 仕上げに、共同水栓の吐き出し口は、水受けの縁より拳一つ高く据えさせた。吐水口空間。受けの桶をどれだけ溢れさせても、汚れた水が管の中へ吸い戻されない、ただの『高さ』を利用した仕組みである。たが、その仕組みというのは、単純だが、効果は絶大だ。


「月次の点検項目に、加えます。『全接続部の図面照合。青と灰が触れていないこと』」


 セリアの帳面に、監査項目がまた一行、増えた。うちの領水道は、札と、高さと、監査の三段構えで守られることになった。


  ◆◆◆◆


 通水式は、快晴だった。


 湧水点の堰の前に、六十一名——と、上空に一頭。全員が並ぶ。堰板に手を掛ける大役は、満場一致で、ガリムに決まった。脚はもうすっかり良くなり、杖なしで立っている。


「い、いいのか、俺で……」


「笛で五人救った男だ。文句のある奴はいない。——合図で頼む」


 俺が笛を、長く一回、吹いた。


 ガリムが、堰板を引き抜く。


 水が走った。


 朝日を弾いて、白い水頭が、真新しい石の水路を駆けていく。子ゴブリンたちが歓声を上げて併走し、ドワーフの若い衆まで釣られて走り、五百メートル先の砦の水盤に、水が、ざぱん、と躍り込んだ。


 一拍おいて、大歓声が上がった。


 棟梁が水盤から柄杓で一杯すくい、ゆっくりと飲んで、目を細めた。


「……ええ水じゃ。石の味も、目地の味もせん。——水の味しか、せんわい」


 職人の最高の自画自賛である。


 ザグは、満水の水盤の縁を、そっと撫でていた。


「……カミに書いたことが、また、本当になった」


「ああ。うちの紙は、よく働く」


 ——と、祝いの輪の端で、小さな騒ぎが起きた。


 ドワーフの若いのが一人、浮かれた勢いで、流れる本管に両手を突っ込んで顔を洗おうとして——腕が動かなくなったのである。


「な、なんじゃこの水路!? 腕が、腕がァ!?」


 すかさず、子ゴブリンたちが七匹、びしりと揃った指差しで唱和した。


「「「とらない! いれない! よごさない!」」」


「顔は水栓で洗え、と規程に書いてある。うちの水道は、自分で自分を守るんでね」


「札まで教育熱心とは……末恐ろしい領じゃわい……」


 若いドワーフは水栓まで連行され、子ゴブたちに正しい手の洗い方を指導されていた。教官の身長は、生徒の膝までしかなかった。


  ◆◆◆◆


 そして、通水から五日後、記念すべき「制度としての最初の休日」に、あの施設が開業した。


 共同浴場である。


 場所は砦の北、山裾。竜の山の火道網から漏れる余熱で岩盤が温い一角に、引いたばかりの水を通し、石造りの湯船を。深いのがドワーフ用、浅いのがゴブリン用、真ん中が共用。そして、各湯を男湯、女湯に分けて、六つ設置した。


 脱衣場には、ゴブたちの字の看板『かけゆ、してから』


 開業初日。湯に沈んだドワーフたちは、最初、直立不動だった。


「い、いいのか……本当に、何もせんで……」


「休みの日じゃぞ……何か、掘らんで……」


 やがて、誰からともなく、肩まで沈んだ。首まで沈んだ。そして——


「「「…………ふおおぉぉぉ…………」」」


 地の底から響くような、恍惚の吐息が、湯気の中に満ちた。


「休むとは……これか……」


「これが、週休二日……」


 契約書の第五条の意味を、彼らは全身で理解したらしい。ちなみに視察に来た警備最高顧問は、湯に爪の先だけ浸して『——ぬるい。話にならん』と一蹴し、いつも通りの冷水を要求して帰った。竜の風呂は、当分、滝壺で良いようだ。


 俺が男湯から上がると、ちょうど、女湯側からセリアが出てきたところだった。


 いつもきっちり結い上げている黒髪が、下ろされて、まだ少し湿っている。頬には湯の火照り。手には、律儀に帳面。


「……浴場の、営業監査です」


「監査結果は」


「———極めて、合理的な施設です」


 目を合わせずにそう言って、彼女はもう一度、湯気の方を振り返った。監査人殿は、明日も監査に来るらしい。


  ◆◆◆◆


 その晩、俺はもう一度、一人で湯に浸かった。


 湯船の縁に首を預けると、夕闇の中に、街の灯りが見えた。


 砦の窓の明かり。ゴブリン村の焚き火。旧市街の、ドワーフたちの炉の火。三つだった灯りの群れが、今は水路と街道の線で結ばれて、一つの「面」になり始めている。


 湯の中で、俺は棚卸しをした。


 領民、六十一名と一頭。ゴブリン三十二、ドワーフ二十七、人間二、竜一。拠点、グレンツェ砦。産業、ゴブ茸に、再開した鍛冶場、焼き始めた石灰。インフラ、上下水道一期と街道一期、浴場、建設中の酒蔵。


 財布の中身は、支度金やら資材やらで目減りして、金貨二百四十枚前後——だが、債権買い取りの九十枚は使わずに済んだ。上々だ。


 四段階のロードマップ。


 第一段階、拠点の確保——完了。


 第二段階、安全と現地労働力——完了。


 そして第三段階、『水と道』——本日をもって、完了。


 残るは、第四段階。商業施設とテナントの誘致。


 それが終われば、大都市を目指して、ひたすらに開発をし続けるだけだ。


 水があり、道があり、安全があり、職人がいる。つまり——ようやく『商業施設の立地条件』が、全部揃った。


 三国交差点の予定地に、市場と工房と宿を束ねた、大きなハコを建てる。人間の王国の文化。エルフの魔法薬、獣人の香辛料、ドワーフの鉄器、魔族の希少資源、大陸中の商材や人々が行き交う、交差点の心臓を。


 いずれ、セレン川の水量が戻れば、河港も引けるようになる。免税の残りは、四年と九ヶ月。時計の針は、まだまだこちらの味方だ。


 このハコの名前は———実は、もう決めてある。


 ……まだ、誰にも言わないが。


 俺は湯から上がり、夜空に向かって、宣言した。


「改めて、第三段階『水と道』完了だ。次は、ハコをつくるぞ」


  ◆◆◆◆


 ——その同じ夜。


 領の西、アルフヘイム大森林の縁。


 焼けた森の匂いを背に、細い影が一つ、木々の間をよろめき出た。


 尖った長い耳。土に汚れた銀の髪。少女は、乾いた唇で、何かを辿るように、荒野の方へ手を伸ばす。


 ——水の、匂い。


 その一歩を最後に、細い体は、糸が切れたように草の上へ崩れ落ちた。


 夜風だけが、それを見ていた。


第三棟「インフラを整えるために熟練の職人をスカウトします」 完

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