第三十二区画「鑑定眼が口を利いたようです」
翌朝。剥がし終えた水路の跡地で、事件は起きた。
昨日のうちに、棟梁の号令で例の五十歩は完全に解体され、石は選別され、水糸を張るための杭が等間隔に打ち直されていた。
俺は再施工の段取りを頭に描きながら、更地になった水線を、鑑定眼で端から眺めていると、視界の中央に、見たことのない一文が、浮かんだ。
『——解決策を、提示しますか?』
「…………は?」
二度見した。三度見した。文は、消えない。それどころか、俺の返事を待つように、文末で小さく明滅している。
「……眼が、口を利いた!?」
「タクミ様?」
「セリア、眼が! 俺の眼が、喋っ……いや、書いた! 『解決策を提示しますか』と!」
「…………朝から、大丈夫ですか」
心配の種類が違う。だが構ってはいられない。俺は、恐る恐る、心の中で答えた。——頼む、と。
その瞬間、視界が、切り替わった。
◆◆◆◆
『水路再施工——推奨工法・三案』
案一 石積み・焼成石灰目地工法(伝承元:ドワーフ式)
工期:短 費用:中(石灰焼成窯の新設を要す) 耐久:高(五十年超)
案二 粘土巻き立て工法(伝承元:ゴブリン式)
工期:最短 費用:小 耐久:中(十年毎に打ち替え)
案三 切込接ぎ・空目地工法(伝承元:ドワーフ式・宮廷仕様)
工期:長 費用:大 耐久:最高(百年超)
※判断は、施主に委ねられます』
◆◆◆◆
それぞれの工法を読み上げる。工法。工期。費用。耐久。トレードオフ付きの三択の提示り
これまで、数字しか見せてこなかった眼が、初めて『手本』を、それも、比較表の形で差し出してきたのだ。
試しに、頭の中で問う。案一の石灰、焼成の温度と時間は。
『石灰岩を野積み窯にて三日三晩。火加減の詳細は、棟梁バルガスの知識に拠る』
……対話が、成立している。まるで、頭の中に相談相手が一人増えたようだった。
「セリア。決めたぞ。案一だ」
「根拠を、伺っても」
「鑑定眼が五十年持つと言っている。五十年あれば、打ち替えの周期を街の成長に合わせられる。何より、石灰の窯を一度作れば、目地材だけじゃない——漆喰も、舗装材も、この領の『建材産業』の種になる。一石で二鳥どころじゃない」
「……承知しました。広域査定で石灰岩に歓喜されていた理由がようやく分かりました」
さっそくバルガスを呼び、案一の図を引いて見せた。
途端、バルガスの髭が、ぶわ、と膨らんだ。
「————お、おい。待て。この目地の配合、この窯の組み方……その工法、ワシの親父の代のやり方じゃぞ。ガルドラでも、もう組める者は残っとらん。……なぜ、人間の若造が知っとる」
「ああ、それなんだが」
俺は、自分でも半信半疑のまま、答えた。
「——どうやら、この眼は、街が覚えたことを、返してくるらしい」
「……街が、覚えたこと?」
「あんたが来た。あんたの頭の中に、親父さんの代の工法がある。だから、この眼は、それを引き出して、並べ直して、俺に見せられるようになった。……多分、そういう仕組みだ」
言いながら、腑に落ちていくものがあった。
テオの来た日から人を見れるようになった鑑定眼の進化。そして、この明滅。あれは、この眼が『喋りたくてたまらなくなっていた』前兆だったのだ。
『信頼できる仲間を作ってください。それがきっとあなたの助けになります』
あの女神の言葉。あれこそが、仕様説明だった。
この二つの力は、最初から、独りでは未完成品。仲間が増え、街が知恵を蓄えるほど、完成に近づいていく、そういう設計で、俺に渡されていた。
……あの女神、とんでもないスキルを寄越してくれたな。今度会ったら、礼と苦情を、七対三で言ってやろう。
「タクミ様。決断の根拠と工法をご説明ください、と棟梁が」
「あ、ああ。悪い。——というわけで棟梁、案一でいく。窯はあんたの記憶が頼りだ」
「……ふん。親父の工法に、この眼力。ますます訳の分からん領じゃわい。——ええじゃろう、組んでやる。三日三晩、火の番はワシがやる」
◆◆◆◆
着工の朝、俺は自領の特権を、初めて本気で振り回した。
自領内は、札の枚数無制限。恒久。最大出力。
「【神域の用途指定 展開」
湧水点から砦、砦から旧市街、旧市街からゴブリン村。工区の全域に、半透明の札が、次々と灯っていく。
『工事区画 安全第一(利用資格:登録作業員のみ)』
『退避路 正・副二本(迷わず、走れ)』
『資材置場(積んだものは、留まる)』
『ズリ捨場(転がらない・崩れない)』
『危険区画 立入禁止(近づく者は、足が重くなる)』
『作業区画 効率上昇(迷わず、手を動かす)』
そして、最後の一枚。俺はこれを、どの札よりも丁寧に、現場の真ん中に据えた。
『休憩所 休むことが、正しい行いである区画』
バルガスが、その札を見上げて、しばらく黙っていた。
「……休むことが、正しい、か。三年前のワシに、読ませてやりたい札じゃ」
「これからのあんたは、毎日読むことになるさ」
◆◆◆◆
そこからの約一ヶ月間を、俺は生涯忘れないと思う。
現場が高速で回った。歯車が噛み合う、あの音が聞こえるようだった。
ドワーフの技術。石の目を読み、水糸一本で勾配千分の三を通し、焼き上がった石灰の目地を、飴のように滑らかに詰めていく。
ゴブリンの機動力。狭い溝を苦もなく往復し、資材を運び、暗渠に潜り、ドワーフの「次」を先回りして道具を並べる。
セリアの工程管理。五十九人と三工区の作業を頭の中だけで組み上げ、手待ちの一切を潰していく。
「石灰の窯出しが半日早まります。目地班は明朝、第二工区へ」
彼女の声一つで、現場全体が半日分、前に進む。
そして、常設札。運ぶ者の足は軽く、積んだ資材は崩れず、危険区画には誰も近寄れない。
念のため言っておくが、札が石を積むわけではない。目地は札では固まらないし、勾配は札では通らない。札にできるのは、正しい仕組みを、速く、確実にするところまで。
街を建てているのは、あくまで人の——人と、ゴブリンと、ドワーフの手だ。
上水は、湧水点から砦の水盤へ、そして、領主邸、旧市街とゴブリン村の共同水栓へ。下水は、勾配で集めて沈殿枡に落とし、葦を植えた浄化帯を通して、回復し始めたセレン川の源流へ返す。
——と、経路を言うのは一行で済むが、水は「配って」初めて水道になる。そしてこの配りは、三段構えだ。導く。溜める。配る。
導くのは、例の本管。ただし湧水点の取り入れ口には、まず沈砂池を置いた。石組みの小さな池で、水を一度ゆっくり歩かせ、砂と木の葉をここで沈めて落とす。底には掃除口。掃除できない設備は、造った日から壊れ始める。
沈砂池の先には、濾過池を二面、並べて掘った。
石張りの浅い池の底に、砕いた砂利を敷き、その上に、川砂をたっぷり厚く敷き詰める。水はこの砂の層を、一日かけて、ゆっくり、ゆっくり沈み抜けていく。
急がせては駄目だ。ゆっくり通すうちに、砂の表面に目に見えない「生きた膜」が育ち、こいつが細かな濁りも、腹を下す悪いものも、根こそぎ漉し取ってくれる。
手入れは、表層の砂を数センチ削って、日に干して、戻すだけ。二面あるのは、片方を掃除している間も、もう片方で水を通し続けるためだ。
「湧き水自体は、すでに極上と査定されていたはずですが」
「ああ、今日の水はな。だが水質ってのは、一番いい日じゃなく、一番悪い日に合わせて設計するんだ。長雨の濁り、雪解け、この先の水量の増減。濾過池は、その『一番悪い日』のための保険だよ」
溜めるのは、砦を見下ろす高台に築いた、配水池だ。切石積みに焼成石灰のモルタル、内側は漆喰仕上げ。大人が立って歩ける水深の、石の水がめである。
天端は石の蓋で塞ぎ、点検口には錠前。飲み水の上は、常に閉じておくのが鉄則だ。通気口には、ドワーフが引いた銅線の網を張って、虫を締め出す。
そして縁の一箇所にオーバーフロー用の穴を開け、金網を張る。そこから溢れた分はそのまま沢へ返す。水位の調節に、浮きも弁も要らない。常に少しだけ溢れさせておく。これが、この世で一番壊れない水位管理である。
配るのは、高さの仕事だ。配水池の水面と、末端の水栓との高低差、およそ十メートル。人足も、車も、魔法も要らない。水は、己の重さで、街中に配れる。
配水池から先の管は、材料を使い分けた。幹線は陶管——ゴブリン村の粘土を、石灰窯の隣に増設した土管窯で焼いた受け口付きの焼き物の管だ。
差し口に麻を巻いて受け口へ納め、目地に石灰モルタルを回す。一窯目は三割が窯疵で割れたが、二窯目からは歩留まりが化けた。台帳の上で二束三文だった粘土が、また一つ、街の血管に化けたわけである。
枝線は木樋にした。松をくり抜き、鉄鎚の鍛冶場で打った鉄の輪で両端を締めた管だ。継ぎ手の詰め物は、麻と松脂。ゴムパッキンなどこの世界にないが、麻と、脂と、焼き物と、石があれば、水は十分に運べる。先人の知恵というのは、偉大である。
……ちなみに鑑定眼は、管の材料候補に「鉛」も挙げてきた。柔らかく、曲げ放題で、継ぎやすい。水道管には一見、理想の金属だ。
だが、あれは長い年月をかけて水に溶け、飲む者の頭と体を静かに蝕む毒になり得る。うちの水道は、石と、焼き物と、木と、青銅でいく。この禁は、規程の第四条として書き足しておく。
発展さえすれば、いずれは様々な管材を扱えるようになる。規定は、その時にまた書き加えていけばいい。
……それに、まだこの鑑定眼の新機能を使いこなすには知識がないと危険だな。注意しよう。
管の要所要所には石の点検枡を据え、内壁に堰板の溝を切らせた。板を落とせば、その先だけ水が止まる。修理のたびに街中の水を止めずに済む、単純な仕切りの仕掛けだ。
いずれは、しっかりとした配管を通して、バルブをつけたいが、いまはこれでいいだろう。
そして、末端——二次側の水栓類である。
共同水栓の基本形は、溢流式にした。指ほどの太さで出しっぱなしの吐き出し口と、石の水受け。常に流れ続ける水は、腐らず、澱まず、冬も凍らず、番人も要らない。
その上で、砦の厨房、浴場、鍛冶場など、量の加減が要る要所にだけ、青銅のコック栓を作ってもらい、取り付けた。
円錐にすり合わせた栓を、四半回転でひねるだけの、単純極まりない作りだ。すり合わせの精度が命だが、そこは金床の戻った鍛冶場の独壇場だった。単純なものほど、壊れない。
もっとも、青銅の地金は、うちの在庫では心許ない。当面は要所のみとし、テオへの次の発注書に「青銅地金」の一行を書き足しておいた。水栓の増設、そして、配管の分岐は、商いが回ってからの楽しみである。
凍結対策は、埋設の深さとかけ流しで行う。念のため配水池に【恒温】の札を——と考えかけて、やめた。
俺の札は、俺が生きている限りしか保たない。だが、土被り一メートルは、百年後も一メートルだ。この街の水は、俺がいなくなっても流れる作りにしておく。それが、造る側の礼儀というものだろう。
仕上げに、配水池の出口へ、量水堰を切った。堰を越える水の厚みを目盛りで読めば、その日に配った量が分かる。取り入れた量と、配った量。二つの数字の差は、すなわち、漏れである。
「水収支の監査を、月次に加えます。差が三分を超えたら、漏水探索です」
水にまで監査の入る領である。だが、漏れは早く見つけるほど安く済む。メーター確認は不動産管理時代の鉄則だった。
街道一期も、並行して延びた。砦と各住区、湧水点、都市計画予定地を結ぶ幹線。路盤には、掘削で出たズリの砕石を転用し、両脇には排水の側溝。
「道は、水はけが命」——前世の受け売りに、バルガスが深々と頷いてくれたのが、少し嬉しかった。
そして、その二十日の間に、もう一つの音が、街に戻った。
旧市街の鍛冶場に据えられた、七基の金床。火入れの朝、バルガスが最初に打ったのは、新しい道具ではなかった。
あの、折れた楔だ。
真っ二つの鉄を炉に戻し、沸かし、鎚を入れ、打ち延ばし——生まれ変わった楔の腹には、今度は、小さく深く、銘が刻まれていた。鉄鎚一族の紋。
「持っとれ、領主どの」
棟梁は、それを俺の掌に、ごとりと置いた。
「金床が戻って、最初の銘入りじゃ。……この領の、一番杭の代わりにな」
執務室の机の上に、鉄の一番杭が一本、増えた。
この杭を打ち込む日はもう決めている。この都市の建設着工のその日に打ち込もう。
どんどんと変わっていく街を見ながら、そう決めた。




