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第二十八区画「棟梁は金床に語るようです」

 眠れる夜のほうが、少なくなって久しい。


 夜になると、ワシは見回りに出る。皆が寝静まってから、支保の足りん場所に、こっそり柱を足して回るのが、この数年の習いじゃった。


 じゃが、今夜は行き先がない。


 三番坑は、もう無い。山ごと、閉じた。


 行き場を失うた両足は、結局、いつもの場所に落ち着いた。集落の真ん中。縄で封をされ、油布を被せられた七つの影の前じゃ。


 金床が七基。


 曾祖父の代からの一族の魂。三年前に触れることを、紙一枚に禁じられた魂。


 ワシは油布の前に胡座をかき、ずきずきと脈打つ両手の包帯を眺めながら、先祖どもに、聞いてもらうことにした。


 どこで間違えたのか、という話を。


 長うなるぞ。なに、構わんじゃろう。あんたらは三年前から、そこを動けんのじゃから。


  ◆◆◆◆


 我が鉄鎚の一族は、五代続けて、ガルドラ王室坑道の棟梁を務めた。


 ワシが親父から鎚を継いだ日、親父は祝いの言葉の代わりに、こう言うた。


『バルガス。棟梁の仕事は、掘ることや鍛造ではないぞ』


『……ほう。では、何じゃ』


『全員を、夕飯の席に座らせることじゃ。朝、坑に入った頭数と、晩飯の席の頭数。この二つを、死ぬまで同じ数に揃え続ける。それが棟梁じゃ』


 掘った鉱石の量を誇る棟梁は、二流。誰も死なせなんだ年数を数える棟梁が、一流。


 親父はそう言うて、四十年、席の数を揃え続けて死んだ。畳の上でじゃ。坑夫の家系としては、上等すぎる死に様よ。


 ワシも、そのつもりでやってきた。


 岩を読め。水を聞け。山が「厭じゃ」と言うたら、引け。図面は好きじゃった。図面の嘘は、岩がすぐに暴いてくれるからの。あれは、正直者の紙じゃ。

 嘘をつく紙が、この世にあると知ったのは——四十を過ぎてからじゃった。


  ◆◆◆◆


 三年前。


 あの年、上のほうで戦の匂いがした。西の帝国が森を焼き始め、鉄の値が跳ね、武具の注文が山を三つ越えて雪崩れ込んできおった。炉は昼夜燃え、王都の偉い連中の目の色が、鉄と同じ色になった。


 そして王都から、蝋の封印も麗々しい紙が一枚、届いた。


 曰く、王室第七支坑、採掘量を倍とせよ。工期は、半分とせよ。


 ワシは翌朝、第七支坑に入った。壁に手を当て、耳を当て、半日かけて、山の言い分を聞いた。


 天井の亀裂が、水を吸うて黒うなっとる。支保の柱は、今の掘り方でぎりぎりの数。倍掘りなど、山は一言も承知しておらん。


 ワシは、王都から来た監督官に言うた。場所も、理由も、日数も添えてじゃ。


『第七支坑は、倍掘りには耐えん。天井の亀裂に水が回っとる。支保を三倍に増やして、掘る量は据え置き、それでも、ようて半年。無理をすれば、三十日と保たずに落ちる』


 絹の服を着た監督官は、羊皮紙の束を胸に抱えたまま、眉ひとつ動かさず、こう抜かした。


『棟梁。紙に書いてあることが、できんと申すか』


『紙に書けば、岩が言うことを聞くとでも思うとるのか』


『……王命であるぞ』


『山は、王より古い』


 今でも、一言も間違えとらんと思うとる。じゃが、言い方というものが、あったのかもしれんな。


 ワシは自分の組の者を、一人残らず第七支坑から引き上げさせた。監督官は鼻を鳴らし、余所から坑夫を搔き集めて、掘らせた。囚人上がりや、流れ者たちじゃ。岩の読み方も知らん者らじゃった。


 ワシにできたのは、せめてもと、あの者らの詰所に支保の楔をひと箱、黙って置いてくることだけじゃった。


 九日目の朝に、山が落ちた。


 腹の底に響く、あの音。土煙。……ワシは真っ先に駆けた。素手で石を毟った。ワシの組も、誰に言われるでもなく、みな駆けつけて掘った。三日三晩、掘った。


 結局、九人、還らなんだ。


 引き上げた九人の顔を、ワシは今でも全部言える。

名前は知らん者もおった。じゃが顔は、全部覚えとる。それだけが、ワシにできた全部じゃった。


 今でも思う。


 あと一声、大きく吠えておれば。監督官の胸ぐらを掴んででも、王の耳まで届かせておれば。うるさい爺と疎まれて、棟梁の座を追われてでも、止めておれば、あの九人は、その晩の飯を食えたはずじゃ。


 ……ふん。どこかの若い領主が聞いたら、まるで同じ顔をしそうな繰り言じゃな。


  ◆◆◆◆


 二枚目の紙は、沙汰書じゃった。


 白洲に引き出されたワシの前で、役人が読み上げおった。


 曰く、第七支坑崩落の責は、坑道管理者たる棟梁バルガスの怠慢にあり。よって、坑道権を没収。家財を没収。鍛冶場を没収。一族全員、国外追放。


 怠慢、と来たか。


 「落ちる」と言うた男が、落ちた責めを負う。警告の口上は記録から消え、紙の上で役人どもが首を捻り、紙の上で頷き合い、紙の上でワシらは消された。

安全に殉じて、職を失うたわけじゃ。


 追放の朝、ワシらは家より重いものを、家の代わりに担いだ。


 金床、七基。一基につき若い衆四、五人がかり。橇に載せ、縄で曳き、雪の峠を越えた。誰も「捨てよう」とは言わなんだ。飢えて、肩の皮が破れて、それでも、誰一人じゃ。


 金床を失った鍛冶は名を失う。


 名を失うた一族は、どこへ流れても、最早、職人ではなく、ただの穴掘りの群れよ。あの七基は、ワシらが『鉄鎚の一族』である証文。


 ……ああ、そうじゃ。あれもまた、紙より正直な、鉄でできた証文なんじゃ。


 峠で、最長老を一人、眠らせた。橇を曳く縄を、最期まで離さなんだ爺様じゃった。岩の下ではなく雪の下に埋めたのが、今でも心残りでならん。


  ◆◆◆◆


 最初の冬が、あの痩せ岩山で来た。


 狩る獣もおらん。蓄えは尽きた。子らの肋が、日ごとに浮いてくる。ワシは夜ごと数えた。柱の数を数えるように、子らの肋を数えた。


 年寄りどもが、こっそり飯を減らし始めた。ワシは夜通し岩を叩いて、叩いても叩いても、鉄は飯にならなんだ。


 そこへ、ある日、雪の中に灯りが来た。


 橇を三台も連ねて、粉袋と、干し肉と、油と、資材を山と積んで。仲買人と名乗るその男は、まず何も言わずに、荷を解きおった。


『まずは、召し上がれ。お代の話は、満たされた後でもよろしいでしょう』


 子らが、湯気の立つ粥に群がった。老人どもが、干し肉を握って泣いた。ワシは、その光景から目が離せなんだ。


 飯が先。紙は、後。


 今なら分かる。あれは手口じゃった。満たされた腹と、子の寝顔ほど、条文の上で目を滑らせるものは、この世にない。


 ドレル。その名を、ワシは死ぬまで忘れんじゃろう。


 三枚目の紙は、その夜、蝋燭一本の下で差し出された。


『なに、形ばかりのものですよ。同業のよしみだ。春から、鉱石で少しずつ返していただければ』


 条文は、細かい字で、蟻の行列のように並んどった。


 読めたはずじゃ。利率の書き方が妙に回りくどいことも。検収は貸し手が一存で決める、と書いてあることも。担保の欄に、さらりと『職能道具一式』とあることも。読めたはずじゃった。


 じゃが、天幕の隅で、ガリムの小僧が、空の椀を抱えたまま眠っておった。夢の中でまで、口をもぐもぐ動かして。三日ぶりの、満腹での眠りじゃった。


 読まなんだのは、ワシの目ではない。腹じゃ。飢えた子らの顔が、ワシの目を条文の上から滑らせたんじゃ。


 ワシは、判を突いた。


 これまでの人生でただ一度、鉄鎚より先に、紙を信じた夜じゃった。


  ◆◆◆◆


 紙は、春に牙を剥いた。


 利子は月ごとに一割。返せなんだ分は元金に繰り込まれて、その上にまた利子が乗る。雪玉じゃ。坂を転がる雪玉に、何をしても追いつけるものか。


 夏には、検収が牙を剥いた。


 初めて納めた鉱石の山を、ドレルの検収人は、親指を舐めながらひと撫でして、こう言いおった。


『——うぅん、品位不足ですなぁ。この筋の入り方はいけない。半分、お返ししますよ』


 王室坑道で二十年、鉄を見てきたワシの目の前でじゃぞ。あれは上物じゃった。じゃが、検収は貸し手の一存。紙に、そう書いてある。突き返された半分にも利子が付き、雪玉はまた太った。


 そして、あの朝じゃ。


 ドレルの人足どもが、紙切れを振りかざして鍛冶場に入り、金床に縄を掛けた。担保条項の執行、と言うてな。


 若い衆が、得物に手を掛けた。ガリムの小僧は、三人がかりで押さえられても、まだ暴れておった。


 ワシは言うた。『手ェ出すな』と。


 手を出せば、次の紙が来る。紙の次は、兵が来る。ワシらに、還る国はもう無い。……あの一言を言うた時のワシの声を、ワシは自分で聞きとうなかった。


 七基の金床は縄で封じられ、油布を被せられた。


 翌朝の鍛冶場の、あの静けさよ。物心ついてから、槌音のない朝など、ワシは知らなんだ。鍛冶場の音は、一族の心の臓の音じゃ。それが、止まった。音の無い鍛冶場ほど、恐ろしいものが、この世にあるか。


『初雪までに、魔鉄を規定の量。納めていただければ、耳を揃えてお返ししますよ』


 揉み手の男は、そう言うて笑いおった。


 算盤を弾けば、分かることじゃった。間に合わん、と算盤は言う。じゃからワシは、算盤を黙らせるために、掘る速さを上げた。


 柱を惜しめ。天井は保つ。ズリは近くに捨てい。運ぶ足で、掘れ。


 ——気づいておる。とっくに。


 この号令は、三年前、羊皮紙を抱えてワシを鼻で笑うた、あの監督官と同じ号令じゃ。そして、その声はワシのものじゃ。


 安全に殉じて職を失うた男が、飢えと担保と初雪に追われて、自分がこの世で一番憎んどる掘り方を、一族に命じておった。


 朝、坑に入る頭数を数える。晩飯の席の頭数を数える。同じ数であるたび、ワシは山に手を合わせた。明日も同じでいてくれ、と。祈りながら、祈りと逆さまの号令をかけ続けた。


 近頃は、皆の槌音が、ワシの耳には悲鳴に聞こえた。空を飛ぶ竜あたりにも、きっとそう聞こえておったろうよ。


 夜中に一人で柱を足して回るくらいで、帳尻の合う話でないことは、ああ、全部、分かっとった。分かっとって、掘らせた。


 支保の楔が足りんようになった時、ワシは夜中に、岩を金床代わりにして楔を打った。


 封を破るわけにはいかん。じゃが柱は要る。だから、岩の上で打った。鍛冶が聞いて呆れる、罰当たりの仕事じゃ。銘は打たなんだ。打てなんだのじゃ。金床を使わん鉄に、この鉄鎚の銘を刻む資格はない。


 あの無銘の恥の楔が、三倍の荷重で悲鳴を上げて折れ、沢に流れ——よりにもよって、あの男の手に渡るとはな。


  ◆◆◆◆


 そして、この数日じゃ。


 境界に杭が立った。ワシらが投げた槍が、律儀に立てかけて返してあった。借り物を返す人間を、ワシは三年ぶりに見た。


 杭の紙には、場所と、理由と、日数が書いてあった。天井の亀裂。支保の不足。ズリの荷重。


 ……ワシが毎晩、闇の中で数えとった数と、一つ残らず同じじゃった。三年前、ワシが監督官に言うた口上と、同じ書き方じゃった。


 小僧どもが破って捨てたあの紙切れだけが、この三年で初めて、本当のことを言うておった。


 翌る日、ワシは追い払いに出た。……つもりじゃった。


 あの男は、紙の代わりに、折れた楔を差し出しおった。


 手が、勝手に動いた。破断面を透かし、木口を撫で、角度を確かめ——五十年、鎚を握った手は、頭より先に仕事をしおる。


 一級の腕、とあの男は言うた。


 岩の上で打った、銘も刻めなんだ恥の仕事をじゃぞ。よりにもよって、それを、一級と。


 ……嬉しかったのだと思う。認めとうないが。そして嬉しかった分だけ、腹の底が冷えた。人間の褒め言葉には、必ず後から値札が付く。三年かけて、そう教わったからの。


 じゃからワシは吠えて、追い返した。追い返しながら、去り際に、訊かずにおれなんだ。五日の、根拠を。


 訊いてしもうた時点で、負けよ。プロというのは因果な生き物での。感情で紙は破れても、正確な数字だけは、無視できんのじゃ。


 あの男は、外から見えるものだけを並べた。全部、正しかった。その上で言いおった。うちの岩読みは、三日だと言うとる、と。


 ……ワシも、水の音の変わったのには、気づいておった。気づいて、聞こえんふりをしておった。期日と担保が、ワシの耳を塞いでおったんじゃ。


 そして翌朝、三日目の朝に、山は落ちた。


 あの男の五日より早う、緑の小鬼の三日、その通りにじゃ。


 あとのことは、夢のように覚えとる。


 石の壁の向こうの頭数を、五、と言い当てた人間。素手で石を毟るワシの手首を掴んで、順番を間違えた石が中の空気を潰す、と怒鳴った人間。


 ……正しかったのは、全部あっちじゃった。


 宙に光る札が浮かび、緑の小鬼が肩幅の穴に頭から潜った。魔物じゃぞ。魔物が、ドワーフを掘り出すために、崩れかけの穴に入りおったんじゃ。ワシは命綱を握って、神にも山にも、手当たり次第に祈った。


 ガリムの小僧は、瓦礫の下で笛を吹き続けておった。引き出された小僧は、道具を捨てて走ったことを、ワシに詫びおった。


 よう捨てた、とワシは言うた。本心じゃ。


 じゃがな、小僧。お前に「命のほうが道具より高い」と教えたのは、ワシではない。ワシは三年、逆さまのことを教え続けた。あの笛の男が、たった一晩で、正しい方を教えおった。


 薬をくれた。労災、とか言うておった。現場の怪我は、指揮を執った者の責任なんじゃと。聞いたこともない。そんな決まりは、ガルドラの王室にすら無かったわ。


 なぜ助けた、と訊いたら、あの男は言うた。


 見過ごせなかっただけだと。間に合って、よかった。と、それきり、語らなんだ。


 語らんでも分かった。あの目は知っとる目じゃ。崩れた山の前に、間に合わずに立った者の目。ワシが三年前の朝からしとる目と、同じじゃった。


  ◆◆◆◆


 東の空が、白み始めた。


 それでもワシは、今朝も皆に鶴嘴を担がせた。四番坑から回り込む、と言うてな。


 恩は恩。借りは借り。じゃが、飢えと、担保と、初雪は、恩では消えん。雪玉は今も転がり続けとるし、金床は今も縄の中じゃ。掘る以外の道を、ワシは三年、思いつけなんだ。三年考えて出なんだ答えが、一晩で出るものか。


 道の真ん中に、あの男が立った。


 そして、焼けた鉄を真上から打つように、言いおった。


 ——あんたたちを殺しかけたのは、山か。それとも、その紙か。


 ——山は正直だ。嘘をついてるのは、山じゃない。


 ……三年間、ワシは山と喧嘩しとるつもりでおった。


 違うたんじゃな。山は最初から、亀裂で警告し、軋みで予告し、期日まで律儀に守って落ちた、この世で一番正直な相手じゃった。親父の言うた通りじゃ。岩は、嘘をつかん。


 嘘をつくのは、いつも紙じゃった。


 命令書。沙汰書。証文。三枚の紙が、三度、ワシらを噛んだ。じゃから人間の紙は信じん。二度と信じんと、金床に誓うた。


 ——じゃが。


 四枚目の紙が、あった。杭に打たれ、破り捨てられ、それでも本当のことだけが書いてあった、あの通告書じゃ。


 人間の紙は、信じん。


 ……じゃが、あの男の『五日』、いや『三日』は、正確じゃった。


 数字に、嘘がなかった。ワシら鉄鎚の一族が、五代かけて信じてきたのと同じ種類の、正直さじゃった。


 その紙を見せてもらえないか、と男が手を差し出しとる。


 先祖どもよ。ワシは今から、人生で二度目の博打を打つ。一度目は飢えに負けて紙を信じ、魂を取られた。二度目は、この正直な数字に、一族を賭けてみようと思う。


 ワシは、胸元へ手を入れた。三年間、肌身から離したことのない、証文へと。


 そして、もう片方の拳の中で、岩を金床代わりに打った、銘のない、恥の楔が。折れて、流れて、あの男が拾い、返しに来おった楔が。


 ———打ってすぐのように熱かったんじゃ。

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