第二十一区画「営業は門前払いから始まるようです」
夜明け。荷馬車は、まだ薄暗い北東の旧道へと滑り出した。
見送りは、砦の門前に整列したゴブリンたちと、腕に『代理』の木札を巻いたガグである。
ガグは何度も胸を叩き、「るす、まかせろ」と繰り返した。頼もしい限りだ。……備蓄庫の鍵の在り処だけは、出発直前、セリアが三重に確認していたが。
城壁の上空を、大きな影がひとつ、ゆっくりと旋回した。
『——留守は、我の散歩道の内だ』
声は、それだけ。翼の起こした風が土埃を巻き上げ、影は北の山へ帰っていく。警備最高顧問の、朝の出勤である。
契約書のどこにも「見送り」の条項はないのだが、うちの顧問は、存外に律儀らしい。
馬車の旅は丸一日。
道は、死んでいた。十五年前までこの旧道は、ガルドラとの交易路の端くれだったらしい。今は石橋が落ち、路肩が崩れ、車輪の下には轍の骨だけが硬く残っている。俺たちはその骨を拾うようにして、北東へ進んだ。
道中は、ザグの「ばあちゃん講座・ドワーフ編」が開講された。
「ドワーフは、岩の下の親戚だ。ばあちゃんが言ってた」
「親戚。じゃあ仲はいいのか」
「悪い。親戚だからだ」
「……妙に実感がこもってるな」
「それと、連中は鉄と酒には嘘をつかねぇ。あとはいちいち握手で、相手の腕を測る」
「最後のは、握り潰される予感しかしないぞ」
セリアはその横で、講座の内容を律儀に帳面へ控えていた。『取引先・文化調査』と。うちのCFOは、伝聞情報ひとつ無駄にしない。
夕暮れ。稜線に、見覚えのある影の列が並んだ。
北へ帰った、あの狼の群れだ。連中はしばらく黙ってこちらを見下ろし、やがて、道を空けるように稜線の向こうへ消えた。
「……顔パス、ということでしょうか」
「先方の縄張りにおける、通行許可だろう。義理堅いご近所さんだ」
二日目は、夜明け前から徒歩の登りだった。馬車を岩陰に隠し、荷を分けて背負う。
命綱、滑車、支保材、治療薬、笛——そして、白紙の契約書の束。重さの九割は救助の道具で、望みの九割は採用の道具である。
登るほどに、空気が変わっていった。
草の匂いが消え、代わりに、焦げた石の匂いが強くなる。炉の匂いだ。ザグの鼻が、ひくりと動いた。
「……鉄の匂いだ。それと」
「それと?」
「——腹の減った火の、匂いがする」
昼前、俺たちは峠の頂に立った。
眼下に、痩せた岩山があった。
草木のない灰色の斜面に、掘り口が並んでいる。ひとつ、ふたつ……六つ。いや、七つだ。ただし一番端の口は、色の新しい瓦礫で喉元まで塞がっていた。
……あれか。
出発の前夜、遠雷のように聞こえた、あの音の正体。山は警告どころか、もう一発、実弾を撃っていたのだ。
そして連中は、その埋まった口を悼むでも、掘り返すでもなく——すぐ隣に、新しい口を開けて掘り進めていた。
坑口の脇にはズリの山。麓には、板と石を寄せ集めた掘っ立て小屋の群れ。煙は、細いのが二筋だけ。行き交う、ずんぐりとした小さな影。豊かな髭。
だが、その足取りは、遠目にも分かるほど重い。
鑑定眼が、音もなく赤いタグを展開した。
『集団構成:ドワーフ・二十七名/実働十九・老幼八』
『支保:欠落、多数』
『第三坑道:崩落確率——五日以内に、七割』
『推定拘束時間:日の出から日没超過/休憩の痕跡:なし』
『居住環境:越冬水準未満』
『栄養状態:全員、不良』
……全部、赤だ。
これはまるで事故の予約表だ。
隣で、セリアが小さく息を呑んだ。数字を扱う人間には、この光景の意味が、俺と同じ速さで読めてしまうのだ。
ザグは、埋まった坑口と、その隣の新しい口を交互に睨んで、吐き捨てた。
「……柱ない。天井も。埋まった穴の隣を、また裸で掘っている
」
「穴倉のプロの目から見て、どうだ」
「あれは落ちる。じき、でかいのが来る。——領主。あの掘り方は、急いで、死ににいっている」
急いで、死ににいく。
ザグは、時々、詩人のようなことを言う。でも、それは正確な言葉だった。
◆◆◆◆
ザグたちと荷は岩陰に残し、俺はセリアと二人、白い布を掲げて坂を下った。
営業の基本は、手数を見せないことと、まず初めは二名以下で伺うことである。
距離が半分まで縮んだところで、足元の岩が、弾けた。
投げ槍だ。深々と突き立った柄が、まだ震えている。狙って、外している。いい腕だ。と、感心している場合ではない。
見上げれば、小屋の前に、髭の壁ができていた。
二十を超えるドワーフが、槍や鶴嘴を構えて、こちらを睨んでいる。頬はこけ、目ばかりが炯々と光り、それでも足の運びと得物の構えだけは、紛れもなく玄人のそれだった。
……ただ、その穂先が、わずかに揺れている。殺気の揺れじゃない。空腹の、揺れだ。
「隣の領の者だ! 敵意はない。話を——」
「帰れ!!」
壁の中央から、岩を割るような声が飛んだ。
「人間は——紙切れ屋は、帰れ!!」
「紙なら、もう懲りた!! 二度と持ってくるな!!」
……紙切れ屋。
その一言に込められた憎悪の濃さに、俺は続く口上を呑み込んだ。
人間が憎い、ではないのだ。「紙を持ってくる人間」が、憎い。二十の目が、二十とも同じ色をしている。あれは、喰らい尽くされた者の目だ。それも——骨まで、深く。
列の一番端で、若いドワーフがひとりだけ、穂先をほんの指二本ぶん、下げているのが見えた。迷い、と呼ぶにも小さすぎる揺らぎ。だがそれが、この日の唯一の収穫だった。
「タクミ様」
セリアが袖を引く。押すな、の合図。同感だ。ここで半歩でも詰めれば、次の槍は、外されないだろう。
俺は両手を上げたまま、ゆっくりと一歩、下がった。
「分かった、今日は帰る。——だが、また来る」
「来るな!!」
実に、取り付く島もない。
岩陰へ戻ると、ザグが呆れ半分、感心半分の顔で待っていた。
「領主。ありゃあ、口上じゃ開かねぇ門だ。目が飢えてる。飢えた獣に、言葉は届かねぇ」
「だろうな。『営業活動初日、成果——門前払い、一件』」
「……そのまま記録に書かせないでください」
「いいさ、書いておけ。門前払いってのは、裏を返せば『門がある』ってことだ。開かない門なら、開け方を考えるだけだ」
◆◆◆◆
その晩、俺たちは峠の中腹に野営を張った。火は小さく、岩の陰に。
毛布にくるまったザグたちの寝息を聞きながら、俺はランタンの明かりの下で、一枚の紙に向かっていた。
セリアが、静かに覗き込む。
「……紙を受け取ってもらえそうにない相手に、また紙を書くのですか」
「ああ。ただし今度は、手渡さない。杭に打ちつけて、置いてくる」
「読まれずに、破られるだけでは」
「破られても、読まれることはある。紙ってのは、案外しぶといんだ」
書くべきことは決まっている。挨拶でも、口説き文句でもない。数字だ。
『警告。第三坑道は、五日以内に崩落する。』
「……補強は無償で請け負う、と」続きを目で追ったセリアが、眉を寄せた。
「無償で、ですか」
「初対面の見積には、信用がいる。うちはまだ、あの門の中では、槍を投げられる側だからな」
ふと、手が止まった。
『五日』と書いた、自分の字を見る。瞼の裏に、昼間の赤いタグが灯る。『崩落確率、五日以内に七割』
みし、と。
夜気の底で、岩山が小さく鳴いた。雷鳴には程遠い、乾いた軋み。
俺は書き上げた通告書の端を、指で強く押さえた。
五日。カウントダウンは、とっくに始まっている。
今度こそ、間に合わせる。




