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第二十区画「命はお金では買えないようです」

 一見、かなり順調に見えた領地の開発だが、俺の目には、次の壁がもう、はっきりと見えていた。


 実際にその壁に正面からぶつかったのは、水路の試験施工の日だった。


 湧水から砦まで、まずは五百メートル程度の水路を通す。第三段階に至るための「水と道」の、ほんの小手調べのつもりだった。


 結果は、惨敗である。


 ゴブリンたちの積んだ石組みは、三日目の朝に二箇所で漏り、五日目に一箇所が崩れた。誰のせいでもない。


 彼らは運び、掘り、言われた通りに積んだ。だが、指示する側の俺が、勾配の詰めも、石の合端の切り方も、水圧に耐える組み方も——自身のその手で示せないのだ。


「……思い知ったよ、セリア。俺はとことん『作らせる』側の人間みたいだ。土地は仕入れられる。図面は描ける。工程は組める。管理だってやれる。だが、石は積めない」


「鑑定眼で、正しい積み方は視えないのですか」


「視えるさ。『この石組み:三日で漏る』とまではな。……採点はしてくれるが、手本は見せてくれないんだ、あの眼は」


 図面と労働力だけでは、街は建たない。間に『技術』がいる。大工、石工、鍛冶、測量、水利——つまり、職人が必要だと。


 セリアが、帳面を繰って、静かに数字を突きつけてきた。


「参考数値を申し上げます。現行の戦力と技術のまま第三段階を進めた場合——上下水道と主要街道の完成まで、推定十八年です」


「十八年」


「はい。なお、血判状の免税期間は、残り四年と十ヶ月です」


 ……約五年。


 成人の儀で、父に啖呵を切った五年だ。五年後に税を上納すると言った以上、五年後にはここに「上納できるだけの経済」が建っていなければならない。


 十八年かけて水道を引いている場合では、断じてない。


「技術で、工期は短縮できる。——ならば、職人を連れてくるしかないだろう……隣の国から。」


「ドワーフ、ですか。ガルドラ山岳国……峠の向こう。ですが、国交どころか街道すら死んでいる相手です」


「何も国ごと口説く必要はないさ。一人でも、一組でもいい。——と、そう思っていたところに、だ」


 俺は机の上に並べた、今朝入ったばかりの『二件の情報と一つの現物』を叩いた。


 一件目の情報源は、守護龍イグナリオンからである。


 十日に一度の冷水配達と、月に一度の点検。契約の履行に岩窟を訪ねると、イグナリオンは寝だめの合間の「リハビリ飛行」とやらから戻ったところだった。


『タクミ。貴様に言うておくことがある』


 水を舐めながら、竜は言った。


『まず一つ。我は百年の眠りに就く予定だった。だが、少し先に延ばすことにした。……既に十五年も後ろ倒しになっているのだ。貴様らの街とやらが成るのを見届けてから、眠りについても、遅くはあるまい』


「それは心強い。警備最高顧問が起きていてくださるなら」


『暇つぶしよ。勘違いするな』


 うちの顧問も、この領の領民らしく、例に漏れず素直ではない。


『二つ目。先日、北東の峠の上を飛んだ。峠の向こうの岩山に、煙が上がっておった。野営の煙ではない、炉の煙だ。岩肌には掘り口がいくつも開いておった。髭の小人どもが、穴を掘っておるようだったぞ』


「ドワーフが? ガルドラの国境を超えてきたのか。なんで、あんな峠に……」


『知らぬ。だが妙であった。……あの掘り口の並び、空から見た我の目にも、ひどく雑に映った』


「なるほど。調べてみる価値はありそうですね」


 有益な情報を得た。ちなみに点検結果を一つ添えると、床下の特級マナ結晶は、十五年続いた成長をぴたりと止めて、マナを大気中に放出しているようだった。

 

 圧が抜けた証拠である。良い傾向だ。だが、あれが『なぜ』生まれたのかという疑問は、まだ棚の上に置いたままだが。


 二件目の情報源は、ザグだった。


 しかも今回は、噂だけではない。ザグの偵察班(自主的に峠の手前まで様子を見に行ったらしい。うちの従業員は勤勉である)が、掘り口の下の沢で『現物』を拾ってきたのだ。


 食堂のテーブルに、ごとり、と置かれたのは、握り拳ほどの、鉄のくさびだった。半ばから、ねじ切れるように折れている。


『支保用の楔:製作者の技量・一級(銘なし)/使用状況:設計荷重の三倍超過により破断』


 セリアが楔を摘み上げ、破断面に目を寄せた。


「錆の進み方。全然ですね。折れたのは、つい最近でしょうか。……つまりこの『無茶』は、過去の話ではなく、現在進行形のようです」


「……セリア。この楔を打った鍛冶は、一級の腕らしい。なのに、使い方は三倍の無茶をさせてると鑑定眼は言っている」


「腕のある職人が、腕に見合わない危険な現場にいる、と」


「そういうことだ。道具は嘘をつかない。あそこにいるのは間違いなく本物の職人で——本物の職人が、絶対にやらないような死に急ぐ掘り方をしてる」


 ゴブリンは穴蔵暮らしの専門家である。その専門家の指が、俺が先ほど書いた堀り口の図のあちこちを苛立たしげに突いた。


「柱、全然残してない。天井、支えてない。早く掘ることしか考えてない掘り方だ。——あれは、死ぬ。じきに、落ちる」


「……追放された連中だと言ったな。何をやらかして追われたのか、噂はあるのか」


「山の魔物連中の噂、『掘り方』のことで、国のお偉方と喧嘩して、負けて、追われた、とそう聞いた」


「掘り方で、喧嘩ね……」


 安全か、速さか。どこの世界の、どこの現場にも転がっている、喧嘩だろう。


 だとしたら、追われて崖っぷちで無茶を掘っているのかもしれない。


 だが、考えても、答えは峠の向こうにしかない。


 ——落ちる、という言葉には、重さがある。


 現場監督時代。とある現場で仮設エレベーターが落ちた。原因は過積載、安全装置の不作動によるものだった。


 俺の担当工区ではない。責任でもない。


 ただ、轟音に駆けつけた時にはもう、十階から墜落した金属の箱はアルミ缶のようにぺしゃんこに潰れていた。扉の外には、へこんだ水筒が転がっていた。


 その水筒は、朝に「監督、今日は暑くなりそうっすね」と、俺の前で麦茶を飲んで笑っていた若い職人のものだった。


 安全第一。どこの現場のゲートにも掲げてある、あの色褪せた緑十字の標語が、本当はどれほど血の色をしているか。俺はあの日から知っている。


 あの日は、間に合わなかった。駆けつけた時には、全部が終わっていた。


 自分の担当ではないからと、点検を疎かにしなければ。全体に対して、過積載の危険性をもっと啓蒙できていれば。うるさい奴と思われてもいいから、もっと周囲へ注意できていれば。


 そう思わずにはいられなかった。


 ——だが、今度は、まだだ。まだ、落ち切っていない。


「セリア。峠までの行程は」


「馬車で一日と最後の登りは徒歩半日。……行かれるのですね」


「ああ。うちは深刻な技術者不足で、喉から手が出るほど、職人のドワーフが欲しい。それに何より——」


 テーブルの上の、折れた楔を見る。


「起きてからじゃ、何もかも遅いことがある」


 セリアは頷き、それから地図の南端を指でなぞった。


「もう一つ申し上げます。ノルトール方面の行商の噂です——『北の山が、黙った』と。山の異変は、南へ漏れ始めています。この土地に何かが起きていることは、遠からず王都にも届くかと」


「……だろうな。静けさってのは、案外うるさく伝わる。それに、王国内で茸の流通が本格的に始まれば、出所も探りを入れられるだろう」


 誰が気づき、誰が来るか。思い浮かぶ顔ぶれに、ろくなものは一つもない。外の世界が振り向く前に、一つでも多く既成事実を積み上げておきたい。人も、技術も、水も、道も。


 出発は明後日、と決めた。


 救助と採用の、二正面作戦である。荷は、縄を結った命綱と滑車、支保材、治療薬、合図の笛——そして、雇用契約書の白紙の束。救助セットと採用セットを同じ鞄に詰める領主は、大陸広しといえど俺くらいのものだろう。


「今度の差し入れは、何になさるのです。竜には冷水でしたが」


「命綱と、適正工期と———週休二日制だ」


「……まだ、この大陸には存在しない概念ですね」


「存在しないなら、うちが最初に始めればいいさ。ザグ。掘れる奴を二人、貸してくれ。支保の設置は、お前たちが一番速い」


「…………三人だ」


「ん?」


「俺も、行く」


 食堂が、ざわ、と揺れた。鍋兜は、そっぽを向いたまま続けた。


「穴のことは、ゴブが一番知ってる。落ちる穴も、落ちない穴もだ。それに……領主は、カミに書いたことを守った。なら俺も守る。『働く』と書いた」


「山が怖いんじゃなかったのか」


「怖い! ……だが」


 ザグは窓の外——もう唸らない、黙った北の山を、顎でしゃくった。


「怖い山が直るところは、もう見た」


 留守は副長のガグに任せることが決まり、うちの組織図に、初めて『代理』という役職が生まれた。


 荷造りの合間、城壁の上で一息ついていると、セリアが隣に並んだ。


「一つだけ、伺っても。……相手は、会ったこともないドワーフです。これは冷たい言い方ですが、崩れ去った後、生き残りを雇いに行っても、経営上の損失はありません。なぜ、そこまで急がれるのです」


 俺は答えを探した。経営判断、という便利な言葉が喉まで出かかった。


 だが、セリアには、もう通じない。彼女の目は、嘘自体だけではなく、その裏の本音まで見抜いてしまうようだ。


「……間に合わないということの本当の意味を俺は知っているからだ」


「———」


「きっと、いつか話すよ。セリアには」


 セリアはしばらく俺の顔を見て、それ以上は訊かなかった。


「……愚問でした。お忘れください」


 いや——鋭い質問だった。俺が、答えられなかっただけで。


 その夜、執務室。


 壁に貼った領内図の前で、セリアが完了した項目に線を引いていった。拠点、良し。安全、良し。労働力、良し。それから北東の峠に、新しい印をひとつ。


「第一期の検算結果を、ご報告します。——誤りは、見つかりませんでした」


「そいつは何よりだ。第二期も頼むよ、CFO殿」


「はい。次も、検算し甲斐のある数字を期待します」


 窓の外、静かな荒野に、ゴブリンの村の灯りが小さく並んでいる。北の山は黙り、龍は眠り、水路はまだ漏る。


 上等だ。直せる問題しか、残っていない。そう、思った時だった。


 ごう……、と。北東の空の底で、遠雷に似た音が、ひとつ。


 俺とセリアは、同時に窓へ駆け寄った。峠の方角。星の隠れた稜線。音はもう続かない。だが、あの重さ。あの短さ。雷じゃない。岩が、まとまって落ちた音だ。


「……タクミ様」


「ああ。始まってる」


 まだ、大崩落じゃない。だが山は、警告を出し始めた。次で済むのか、その次なのか、それを決める権利は、こちらの側にはない。


「予定変更だ。荷積みは今夜中——明日、夜明けと同時に発つ」


 号令一つで、砦が夜に動き出した。


 ゴブリンたちが松明を掲げて資材を運び、ザグが積み荷の順を怒鳴り、セリアは夜明け出発に合わせた行程表を、その場で頭の中に引き直す。


 つい先日まで、ここは魔物の巣だった。だが、今は——音一つで動く、一つの組織だ。


 俺は執務室に駆け戻り、白紙の契約書の束を鞄へ押し込んだ。


 救助が先か、採用が先か。着いてみなければ分からない。ただ一つ確かなのは、どちらに転んでも、こちらの持ち札は同じだということだ。


 命綱と、適正工期と、週休二日制。


 ——待ってろ、職人ども。世界で一番ホワイトな領主が迎えにいくぞ。


 峠の向こうで、尽きかけている、誰かの命を救うんだ。

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