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第十八区画「完工の夜は宴をするのが常識のようです」

 六日目、夜明け。


 全員を退避線の外へ下げ、俺は火道の入り口に立った。イグナリオンは岩窟の上から、ゴブリンたちは遠くの岩陰から、固唾を呑んで見守っている。


「最終確認を。岩盤温度、基準内。支保、全区画異常なし。退避、完了。……いつでも、どうぞ」


 セリアの声も、さすがに硬い。振り返れば、ゴブリンたちは手に手に骨の御守りを握りしめ、岩窟の上の竜は、身じろぎ一つせずこちらを見下ろしている。


 ……さて、この十五年に、引導を渡す朝だ。


 俺は深く息を吸い、札を切った。


「【神域の用途指定】区画、当亀裂帯、初期口径〇・三。用途【放流路・マナ優先通行】」


 地の底で、何かが身じろぎした。


 札が浮かぶ。『放流路につき、流れ物注意』


 直後、山が、震えた。


 轟と火道の奥から風が鳴り、亀裂の走る音が岩盤を伝って駆け上がってくる。十五年間出口を探し続けた圧が、たった今「正しい道」を見つけたのだ。


 そして———火道の口から、金色の光が噴き出した。


 蒸気でも炎でもない。光の帯が、朝焼けの空へ向かって、細く、長く、立ちのぼっていく。行き場を得たマナが、大気に溶けて還っていく光だった。


「———」


 誰も、声を出さなかった。


 足の裏の振動が、目に見えて弱まっていく。十五年間この土地の底で鳴り続けた唸りが、音程を下げ、掠れ、そして、初めて、途切れた。


 ———静寂。


 風の音がする。それだけだった。ただ風の音がするというだけのことが、この山では十五年ぶりの事件だった。


「ウォォォォォォォン!!!!」


 遠く、南の荒野から、遠吠えが渡ってきた。一つ、二つ、重なり合って、北の山へ。


 あの群れだ。山の異変を、誰よりも早く聞きつけたらしい。


 イグナリオンが、ゆっくりと首を下ろし、地面に耳をつけるように頬を寄せた。長い、長い沈黙のあと、掠れた声が言った。


『……止んだ』


「まだ初期口径です。ここから十日かけて、ゆっくり全開にします」


『止んだのだ、人間。……音が、止んだのだ』


 金色の目から、湯気が一筋立ちのぼった。龍の涙は、蒸発するものらしい。俺たちは、見なかったことにした。


 岩陰では、ゴブリンたちが山を見上げたまま固まっていた。ザグがぽつりと呟く。


「……山が、黙った。……ばあちゃんが言ってた山だ。黙ってる山だ……」


 セリアだけが、いつも通りの声で記録を読み上げた。


「地鳴り、計測限界以下。岩盤の安全率、想定通り。……開通、成功です」


 それから十日。口径を三日ごとに広げ、地鳴りは完全に消え、山肌の湯気は日に日に細くなった。


 並行して寝室の仕上げにかかる。床を均し、川砂を運び入れて寝床を整え、天井の浮石を落とし、最後に俺が岩窟の入り口に立った。


「【神域の用途指定】区画、当岩窟。用途【竜の寝所】付帯効果【静穏】【恒温】利用資格 守護竜イグナリオン及び点検要員。———恒久に」


 札が浮かぶ。


『龍の寝所につき、お静かに(ご入居:一名様、時々、点検員)』


 俺は一歩下がり、深く一礼した。


「お引き渡しです。十五日と少々、お待たせしました」


 イグナリオンは、ゆっくりと岩窟へ足を踏み入れる前に、一度だけ、止めた。


『………タクミ』


 初めて、名前で呼ばれた。


『十五年で、最も愉快な時間であった。感謝する」


 それだけ言って、寝室へ入っていった。


 床の砂を確かめ、天井を仰ぎ、その場でぐるり、ぐるりと二度回って、どすん、と身を横たえた。伝説の古龍も寝る前に回るのか、という感想は、胸に仕舞っておく。


『……うむ。悪くな……』


 悪くない、と最後まで言えなかった。


 言葉の途中で、寝息が始まった。腹の底に響く、しかしどこまでも安らかな、巨大な寝息だった。十五年分の眠気は、どうやら、感想を待ってくれなかったらしい。


 俺たちは足音を殺し、そっと岩窟を後にした。札のおかげで、どのみち物音は届かないのだが、これは気持ちの問題である。


 その夜、砦の食堂で、ささやかな完工の宴が開かれた。


 危険手当の肉が焼かれ、ゴブ茸が山と積まれ、ゴブリンたちは「あしもと、よし!」を宴会芸に昇華させて騒いでいる。俺はザグに、骨の御守りを返した。


「効いたぞ。ばあちゃんに礼を言っといてくれ」


「……ふん。当然だ」


 ザグは御守りを受け取り、それから、窓の外の北の山を見た。もう唸らない、黙った山を。


「……領主。カミに書いたこと、忘れるな。『山は、いつか帰れる』」


「ああ。契約だからな」


 宴の喧噪の中、セリアがふと、隣で杯を傾けたまま言った。


「……ザグ氏の言う通りでした。あなたの紙は、本当になるのですね」


「紙が偉いんじゃないさ。紙を破らなかった全員が、偉いんだ」


「———その台詞も、帳面に控えておきます」


 セリアが帳面を開き、本日付の最後の行を書き入れた。


『完成工事:守護龍契約一式。工期十五日、無事故・無違約』


『当領の警備体制:龍一名(就寝中)。抑止力:大陸最大級』


「タクミ様。第一段階『拠点』、第二段階『安全と労働力』ロードマップの二段目まで、完了です」


「ああ。……アンカーテナント、ご入居完了だ」


 騒がしい食堂の隅で、俺はふと、手の中の杯を見た。


 前世の俺は、開業の夜に死んだ。誰もいない、磨き抜かれた床の上で、たった一人で。


 異世界の俺は完工の夜に、飯を食っている。指差し確認を宴会芸にする職人たちと、氷の顔のまま肉の焼き加減に細かい注文をつける頼れる右腕と、同じ屋根の下で。


 ……上出来だ。二度目の人生の第一期工事としては、上出来すぎるくらいだ。


 ふと、外に目をやった。


 騒々しい室内に反して、窓の外は静かだった。山の音はどこからも聞こえてこない。


 ……きっと、この地に来てから、初めての静かで、そして、騒がしい夜がやってきたのだ。


 第二棟「死の土地の改善工事を行うことにします」完

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