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第十五区画「工事計画は安全第一のようです」

 その日の夕方、砦の執務室。


 俺は大判の羊皮紙を机いっぱいに広げ、横に十五本、細い線を引いた。着工から引き渡しまでの、十五日分の目盛りである。


「セリア。工程表を組む」


「……こうていひょう」


「工事の設計図が『どう造るか』なら、これは『いつ、誰が、何をやるか』の表だ。——これがない工事は、必ず失敗する」


 俺はペンを走らせ、工種を上から順に書き出していった。


 工程前の事前準備:ゴブリン達の説得。安全の意識づけ。


 一、仮設工事。坑口周りの整地、資材置き場、そして退避線を引く。作るより先に、逃げ道を作る。


 二、測量・墨出し。俺の眼とセリアの計算で、放流路の進路と口径を確定し、火道の岩壁に炭で印を打つ。ここを間違えれば、あとの全部が無駄になる。


 三、風の道の確保。これが本工事の心臓だ。あの火道は蒸し風呂で、放っておけば人もゴブリンも三日で倒れる。旧火道の枝道を繋いで、熱気の抜ける通気路を作る。以後、全工期にわたって交代で風を送り続ける。


 四、歩廊と落石撤去。人が通れて、荷が運べる道を、洞の中に作る。


 五、支保工の設置。木の柱と梁で天井を支える。狭い所ほど手間がかかるが、ここを惜しむと山が落ちる。


 六、亀裂帯の周囲補強。放流路として割らせる予定の帯、その周りを固める。これで「ここを割れ」と決めた場所以外を、割らせない。


 七、最深部の整形。人が近づけない高熱区画。施主自らのご担当。


 八、退避訓練。実際に笛を吹き、全員を線の外まで走らせる。二度、繰り返す。


 九、放流路の開通。


 十、段階拡幅。徐々に口径を広げ、十五日目に二・〇へ。


 十一、寝所の整備。床均し、川砂の搬入、天井の浮石落とし。


 十二、竣工・引き渡し。


 ペンを走らせるセリアの手が、途中で止まった。


「……お待ちください。あなたは今日、『十五日』と即答なさいました。工程表を組んだのは、たった今です。順序が逆では」


「逆じゃない。頭の中で先に組んだ工程を今出しただけだ。工期ってのは、祈って決めるもんじゃない。積み上げて、出てくる答えだ」


「……では、十五日は、動きませんね」


「動かせるとも。安全を削ればな。——だが、それをやってはいけない」


 俺はペンを置いて、工程表の下に、もう一枚の紙を並べた。


 【安全計画】と、大書する。


「工程表と安全計画は、必ず二枚一組だ。片方だけ守る奴は、結局、両方失う」


 書き出した項目は、七つ。


 朝礼と危険予知活動。


 笛の合図(一回で中断、二回で退避、三回で救助要請)


 点呼板の設置。各自の印を彫った木札を、坑に入る時に掛け、出た時に外す。これで「今、中に何人いるか」が一目で分かる。字が読めなくても運用できる。


 連続作業の制限。高熱区画の連続作業は四半刻まで。

 単独入坑の禁止。


 支保と亀裂の日々点検。


 そして、日没での定時退坑。


「夜間作業はやらない」


「工期を思えば、夜も掘りたいところですが」


「疲れた奴が、一番危ないんだ。……工期はいくらでも変更できる。でも、命は替えがきかない」


 セリアはしばらく安全計画の紙を見つめ、それから静かにペンを取って、俺の書いた七項目の下に、几帳面な字で一行を書き足した。


『右の一項でも守れぬ日は、工程を止める』


「……よく分かってるじゃないか」


「あなたの言うことは、記録しますので」


 セリアがペンを置き、まっすぐこちらを見た。


「一つ、伺っても。……なぜ、そこまで人の手でやるのです。あの山は、あなたの土地でしょう。自分の土地なら、札は何枚でも、いつまでも貼れる。【安全】と一枚貼れば、それで済む話では」


 いい質問だ。俺は首を横に振った。


「無理なんだ。……俺の札は、『これから』にしか効かない」


「これから」


「用途ってのは、これからどう使うか、の話だ。ここは工事現場、ここは寝室、ここは逃げ道——世界に『今後こう扱え』と登録する力さ。


 だから、これから起きることなら、いくらでも味方につけられる。……だが」


 俺は火道の断面に、ひび割れた天井の線を引いた。


「『これまで』は、書き換えられない」


「…………」


「あの天井の亀裂は、十五年分の熱と圧が刻んだものだ。もう起きてしまったこと。積み上がってしまった劣化だ。俺の力は、時を巻き戻して、割れる前の岩に戻す力じゃない。一度、壊れたものは直せないんだ」


 セリアが、小さく息を呑んだ。


「……砦の、屋根」


「思い出したか」


「あの惨状の清掃も、床板の張り替えも、屋根の修繕も、すべて、手作業でした。私はてっきり、あなたが札を出し惜しんでいるのかと」


「出し惜しみじゃない。できないんだ。落ちた屋根は、札じゃ塞がらない。板を張って、初めて雨が止む。……壊れたものは、直すしかない。柱を立て、梁を渡し、人の手で支えるしかない」


 だから支保工がいる。だから点呼板がいる。だから訓練がいる。世界の法則を書き換えてしまう力を持っていてなお、俺たちを守るのは、結局、柱と、笛と、木札なのだ。


(……そして、それでいいと思っている)


 もし俺の力が『過去も未来も全てを書き換えてしまう』力だったら。俺はきっと、真っ先に前世を巻き戻そうとしただろう。あの二十年を、削り取られた自分を、なかったことに。


 だが、過ぎた時間は取り消せない。取り消せないから——これからの用途を決めていくしかない。


 それはきっと俺にとって、救いなのだと思う。


「札は、仕組みの代わりにはならない。仕組みを、効率よく、速く、確実にするだけだ。——そのうえで」


 俺は工程表の隅に、貼る予定の札を書き並べていった。


【工事区画】——作業範囲の全域。利用資格は登録した作業員のみ。魔物も、危険予知を受けていない者も、そもそも入ってこられない。


【退避路】——正副の二本。逃げることが「正しい行い」になる道。走れば速く、塞ごうとするものは疎まれる。


【資材置場】【ズリ捨場】——積んだものが「留まる」ことが正しい場所。転がらない、崩れない。


【風の道】——気流が通ることが正しい道。ギグたちが枝道を繋いだら、そこに貼る。開けた穴に、風が自分から抜けていくようになる。


【危険区画・立入禁止】——天井の緩んだ場所に貼る。近づこうとする者は足が重くなり、いたたまれなくなって引き返す。


「……そして、最後に一枚」


 俺は少し考えて、書いた。


 【休憩所】


「日陰に一区画作る。ここでは、休むことが『正しい行い』になる。座れば、他所の三倍の速さで疲れが抜ける」


「……休むための、札」


「ああ」


 セリアが、意味を測りかねる顔でこちらを見た。


 言えるはずもない。


 ——前の人生の俺には、休むことが「用途に反する行い」だった。


 会社にも、現場にも、俺自身の頭の中にも、休んでいい区画は一つもなかった。だから、あの磨き抜かれた床の上で死んだ。


 なら、今度は。世界の方に登録してやる。


 ここは、休んでいい場所だと。


「……札の一枚くらい、贅沢に使わせてくれ。俺の土地なんだから」


「……はい。何枚でも、どうぞ」


 セリアは静かにそう言って、【休憩所】の三文字を、几帳面な字で書き写した。


 最後に、班編成を組んだ。


 支保班六名、頭はザグ。風班五名、ギグ。運搬班七名、グズ。水班三名、ゾグ。


 そして、現場に入れない子供七名と老体四名には、後方支援という役割を与える。坑木の皮むき、縄綯い、炊事、そして点呼板の管理。


「働けない者にも、役割を」


「飯を食う奴は、全員が働き手になってもらう」


 俺は工程表を丸め、脇に抱えた。


「今日の夕飯の時間、この紙を持って食堂に行く。……一番の難関だ」


「ザグ氏ですね」


「山に近づいたら死ぬと信じてる男に、十五日間の山ごもりを頼む。——さて、どう口説くか」

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