第十四画「塞いでいた血栓はお宝だったようです」
翌朝。俺たちは測量用の縄と羊皮紙の束を背負い、再び山へ登った。
ザグは今日も麓までの案内係である。別れ際、彼は懐から小さな骨の御守りを押し付けてきた。
「……ばあちゃんの形見だ。山の神の骨、だと言ってた。多分ただの鳥の骨だが、無いよりマシだ」
「借りておく。返しに戻るよ」
岩窟の前では、イグナリオンが既に待っていた。待っていた、という表現が正しいのかは分からないが、少なくとも寝てはいなかった。まあ、眠れないのだから当然か。
『来たか、人間。……して、検分とやらは何から始める』
「まずはお宅の、床下の健康診断からです」
現地調査は、丸一日がかりになった。
俺は山肌を歩き回りながら、【鑑定眼】の出力を深さ方向へ絞り込んでいく。視界の中で山が透け、断面図が立ち上がる。金色の地脈、その本流が岩窟の直下の深さおよそ三百メートルの地点で、ぷつりと途絶えていた。
途絶えさせている「栓」の正体を拡大した瞬間、俺は思わず声を上げた。
「……おいおい、嘘だろ」
『どうした、人間。悪いのか、我が床下は』
「悪いです。悪いんですが——驚かないで聞いてください。地脈を塞いでいる栓の正体は、岩じゃない。結晶です。行き場をなくしたマナが十五年圧縮されて、固まった」
『マナ結晶:特級(原石)/推定直径・十二メートル/市場価値:————算定続行中……』
鑑定眼の値付けが、いつまで経っても終わらない。桁が、回り続けている。
「直径十二メートルの、特級マナ結晶。……多分、大陸の市場に出た事のない大きさです」
『……我が寝床の下に、宝、だと』
「はい。つまりこの十五年、あなたら大陸最大の宝石を枕にして、眠れずにいらしたことになります」
『…………道理で、寝心地の良い山だと思ったわけよ』
イグナリオンが遠い目をした。皮肉の通じる客で助かる。それから、金色の目がすっと細くなった。
『時に、人間。我が寝床の下の宝、あれは、誰の物だ』
来た。誇り高くて、話が早くて、そして龍である。財の帰属を流すはずがない。
「法的なお答えを先に。当領の譲渡契約書は、第一条で『地下に存する一切の資源』を私の資産と定めています。つまり、あの結晶の所有権は私にあります」
『……ほう?』
山の気温が、また少し上がった。だが、ここで誤魔化すほうがよほど危ない。正直に、ただし提案を添えて。
「ですが、ここはあなたの寝室の床下です。そこで契約には、こう入れます。『当該結晶の採掘は、居住者の同意なくして行わない』——あなたの同意は、拒否権として永久に有効。そして将来、同意の下でマナ結晶を掘り出せた暁には、産出の一割を閣下の取り分に」
『……我に、拒否権と、分け前を』
「寝室の床を勝手に剥がされない権利と、剥がさせてやった時の対価になります」
竜はしばし黙り、それから、満更でもなさそうに尾の先で岩を叩いた。
『……人間の法とやらも、たまには筋が通っておるな』
隣でセリアが小声で囁いてくる。
「タクミ様。含み資産に龍の拒否権付き……前代未聞の担保設定です」
「帳簿には正直に書いておいてくれ」
「ただし、と言うのが正直な報告です。あれは今、動かせません。栓を無理に抜けば、十五年分の圧が一気に噴きます。以前掘って鱗を焼かれたのは、これが理由です。素手で触っていい代物じゃない」
『では、どうする。抜けぬ栓を抱えて、我はあと八十五年数を数えるのか』
「いいえ。栓は抜かずに、横に抜け道を作ります」
俺は断面図の続きを探して、山を歩いた。あるはずなのだ。この山は肌のあちこちから湯気を吐いている。つまり、内部には空洞の網がある。
果たして、あった。
『旧火道網:山体内部に多層分布/主要火道、地脈本流と最短距離・約四十』
大昔、この山が火を噴いていた頃の名残、溶岩の抜けた管が、蟻の巣のように山中を走っている。そしてその一本が、詰まった地脈のすぐ脇、岩盤四十メートルの距離まで迫っていた。
「イグナリオン様、火道の入り口まで、ご案内願えますか。中腹の東側、崩れた岩で塞がっている辺りです」
『ふん。……そこか』
竜が首を伸ばし、爪を一振り。積み重なった岩が、木の実の殻のように払われて、黒い洞口が現れた。人力なら三日仕事の撤去が、三秒である。
「助かります。工事の才能がお有りのようです。施工業者に転職しませんか」
『ふん、黙れ』
火道の中は、蒸し風呂だった。奥へ進むほど熱気が濃くなり、岩肌が地鳴りに合わせてびりびりと震える。
俺は要所要所で立ち止まり、岩盤の質と亀裂の走り方を査定しながら、縄で距離を測っていく。セリアは汗だくになりながら、数値を全て記録した。
そして、最深部。地脈まで残り四十の岩壁の前に立った、その時だった。
ぴし、と足元の岩が鳴いた。
「——退避!」
叫ぶのと、床の亀裂から灼熱の白いマナが噴き上がるのは、ほぼ同時だった。
圧の逃げ場を探していた地脈の、小さな咳だ。避けきれない——と思った瞬間。
視界が翳った。
巨大な翼が、天井のように俺たちの上へ差し掛けられていた。噴流は翼の鱗に当たって散り、熱風だけが足元を洗って抜けていく。
『……ちっ』
「——イグナリオン様」
『勘違いをするな、人間』
竜は翼を引きながら、ふん、と鼻を鳴らした。
『工事人夫に焼け死なれては、我の眠りが遠のく。それだけのことよ』
(……うちの領には、素直じゃない奴しか集まらない決まりでもあるのか?)
ともあれ、調査は完了だ。必要な数字は、全部揃った。
岩窟の前に戻り、俺は羊皮紙を岩の上に広げ、木炭で断面図を描き上げた。山、地脈、栓になった結晶、そして火道。世界初かもしれない、龍の施主へのプレゼンの始まりである。
「まず、現状のご説明から。——この山は十五年間、息を止め続けています」
『息、だと』
「地脈は大地の呼吸です。それがここで詰まり、吐けない息が唸りと熱に変わっている。我々がやるのは、山を殴って吐かせることじゃありません。細く、長く——息を吐かせてやることです」
俺は火道の末端から地脈の本流まで、四十メートルの線を引いた。
「工事は三段階です。第一に、この火道の最深部から地脈へ向けて『放流路』を通します。ただし人が四十メートルの岩盤を掘るわけじゃない。掘るのは、詰まったマナ自身です」
『……何を言っている』
「私のスキル『神域の用途指定』で、この亀裂帯に圧をかけます。出口を探して暴れている圧は、自分から一番弱いこの岩を割って道を作る。ダムの放水路と同じ理屈です。亀裂の大きさはスキルの効果で絞りますから、一気には噴かせません。少しずつ、段階的に」
『……ほう、そのスキルとやらは、知らぬが、そんな芸当ができるというのか』
「はい。可能です。私のスキルは、範囲を指定し、札を貼り付けることで、札に書かれた内容通りの効果を付与することができますから」
「補足いたします」
セリアが一歩前へ出て、記録の束も見ずに諳んじ始めた。
「本日の計測に基づく計算です。火道の天井岩盤の耐圧から逆算し、放流の初期口径は直径〇・三以下。以後、地鳴りの減衰を確認しながら三日ごとに広げ、最終口径は二・〇。この手順であれば、最大圧の時点でも岩盤の安全率は四倍を確保できます。……つまり、山は保ちます。数字の上では」
『……その娘、全て諳んじておるのか』
「当領の頭脳ですので」
「第二段階。流れが安定したら、寝室に永久の札を貼ります。用途【竜の寝所】付帯効果【静穏】と【恒温】。地鳴りは遮断、床の温度はあなたのお好みに固定し、快適な環境をご提供します」
「第三段階。月に一度の定期点検。地脈の流量と結晶の状態を私が査定し、異常があれば先に手を打つ。……以上が、ご提案です」
イグナリオンは長いこと断面図を見下ろしていた。それから、低く問うた。
『成るのか、それは』
「必ず成る、とは申しません。前例のない工事です。ただ、段階放流の設計なら、失敗した時の被害を最小に抑えられる。最悪でも現状維持。あなたの鱗は、もう一枚も焼かせません」
『……昨日といい、貴様は「必ず」と言わぬ男よな』
「必ずと言う業者は詐欺師ですので」
『気に入った』
竜は喉の奥で笑った。
『——工事を始めてから、いつ、静かになる』
「放流路の開通と地鳴りの減衰まで、十日。寝室の札を貼って引き渡すまで、五日。締めて十五日です。心苦しいですが……あと十五日だけ、羊を数えていただきたい」
『十五日。……十五日か。よい。五千日以上待った身よ、端数のようなものだ』
それからイグナリオンは、値踏みの目に戻った。
『——して、代価は何だ。申してみよ。黄金か、宝石か、それとも我が鱗か』
「いいえ、施工費は、いただきません」
『……何?』
「その代わり——契約を一つ。当領とイグナリオン様の間で、雇用契約を結んでいただきたい」
瞬間、山の気温が二度ほど上がった気がした。
『雇用……だと? この我にィ? 人間の、下につけと?』
「下ではありません。役職をご用意します」
こういう時のために、昨夜セリアと詰めた文言がある。誇り高い相手との交渉は、中身より先に、まず名前だ。
「当領の【守護龍】にして、警備部門の最高顧問。序列は領主の下ではなく、領の『横』。仕事は二つだけです。一つ、この山に住み続けていただくこと——あなたがいるだけで、大抵の外敵は寄り付きません。二つ、領地に軍や大型の魔物が攻め入った時、一度だけ空を飛んでいただくこと」
『………………守護龍』
まんざらでもない声だった。だが龍の欲は、そこで止まらなかった。
『待て。【守護龍】も悪くはないが……こうしてはどうか。【天焔の覇王にして山岳と蒼穹の絶対君主、いと古き血族の守護せし者】』
「契約書の署名欄に、入りません」
『……短くせよと申すか、この我に』
「行数は有限ですので」
セリアが無表情のまま、羊皮紙の署名欄の寸法を指で示した。イグナリオンは署名欄と自らの案を三度見比べ、断腸の面持ちで妥協した。
『……【守護龍・警備最高顧問】これ以上は削らん』
「結構です。良い役職名かと」
「はい。対価として当領は、寝室の静穏と恒温の永久保証、月次点検、そして、冷えた湧水を、十日に一度お届けします」
『み、水……』
イグナリオンの喉が、正直に鳴った。昨日の一舐めが、よほど効いたらしい。
それでも、威厳を振り絞り、条件を出してきた。
『……出動は、我の眠りを妨げぬ範囲とせよ。眠りに入った後は、起こすことまかりならん』
「では『入眠前に限る』と明記します。眠りに入られた後は、抑止力としてのご在住のみで契約履行と見なす、と」
『それから、違約の定めだ。貴様の工事が失敗し、唸りが戻った時は——』
「食っていただいて結構です。既存の条項通りで」
『うむ。……して、我が違約した時は、何とする』
「湧水の配達を、止めます」
『……っ、そ、それは』
イグナリオンの顔が、初めて分かりやすく狼狽した。差し止め条項は種族を越えて有効である。
『……よ、よかろう。妥当な、条項である』
交渉、妥結。細目を詰め終える頃には、日が西に傾いていた。
「契約書は明日までに清書します。調印は、着工の朝に」
『うむ。——時に、人間』
帰り支度を始めた俺たちに、イグナリオンはどこか落ち着かない様子で、爪の先で岩を突きながら言った。
『着工とやらは、いつだ』
「明日の朝一番です。ただ、その前に一つだけ、厄介な交渉が残っていまして」
『ほう。相手は何者だ。王か、それとも他の龍か』
「いえ。——うちの従業員です」
山を下りながら、俺は麓で待つ鍋兜の顔を思い浮かべて、ため息をついた。
「死んでも行かん」と言い切った男を、明日、この山の工事現場に立たせなければならないのだ。
隣を歩くセリアは、暮れかけの光の中で帳面を開き、本日分を書き付けていた。
『得意先:守護龍・警備最高顧問、一名(契約見込)』
『含み資産:特級マナ結晶一(採掘不能・竜の拒否権付き・評価額は算定続行中)』
「……この帳簿、王都の商業ギルドに見せたら、記帳ごと燃やされそうです」
「燃やさせるものか。いずれ、この帳簿の書き方のほうが標準になる」
背後で、ぽつりと呟くのが聞こえた。
『……十五年ぶりよ。明日が待ち遠しいのは』




