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第十三区画「古代の焔龍にも現代の営業スキルは通用するようです」

 前の晩。俺たちは執務室(もと領主の間、机は応急修理済み)で、世紀の議題を検討していた。


 議題【龍への手土産は、何が正解か】


「一般論から申し上げます。龍は財宝を好むとされます。金貨、宝石の類を」


「却下だ。金品を贈るのは営業の悪手中の悪手だよ。向こうの財布のほうがデカイ可能性を考慮しないと、感謝の代わりに値踏みが返ってくるだけだ」


「では、伝承に従いまして……生贄、という様式も」


「財務責任者の口から出ていい単語じゃないな!?」


「様式の確認です。無論、私も反対です。原価の計上が不可能ですので」


「反対の理由もどうかと思う」


 結局、答えは基本に戻った。ご近所挨拶の品は、地元の名産と、相手の困りごとに効く実用品。この二本柱である。


(そして、あの山の住人の困りごとについてなら、俺には一つだけ、確信がある)


 翌朝、山行きの支度を整えた俺たちを、ザグが門の前で待ち構えていた。


「……山の麓まで、案内する。それより先は、行かん。死んでも行かん」


「助かる。道案内料は夕食に肉を一切れ追加だ」


「二切れだ」


「交渉上手め」


(この数日で明らかに会話が上手くなっている。ゴブリンは知能が低いと認識されがちだが、そういう訳ではないようだ。……それとも、これも、スキル『神域の用途指定』の影響なのか)


 荷物は最小限。ただし手土産だけは、昨夜さんざん悩んで二品用意した。


 一つは、ゴブ茸の串焼きをぎっしり詰めた籠。ご近所への挨拶の品は、地元の名産と相場が決まっている。もう一つは、樽に汲んだ湧水だ。よく冷えている。


「タクミ様。龍への手土産に、キノコと水、ですか」


「引っ越しの挨拶は誠意と実用性だよ。まあ、見てなって」


 山は、登るほどに様子がおかしかった。


 山はとにかく、暑かった。春だといっても、北方のここで残雪くらいはあるはずなのに、それが無い。


 岩肌のあちこちから湯気が細く上がっている。中腹の沢は湯になって流れ、魚の影一つない。立ち枯れの森を抜ける間に、獣の骨を三度またいだ。


 逃げ遅れたものたちの跡だ。生きて動くものは、俺たち以外にいない。


 地面は絶えず、腹の底に響く低い唸りを立てていた。足の裏から伝わる振動が、途切れない。


『地温:異常高(平年比+一八度)』


『地脈圧:危険域——閉塞点、直下深度約三百』


『居住適性:ゼロ(当査定開始以来の最低値)』


(最低値の記録更新おめでとう。ちっとも嬉しくない)


 と、その時。ぐらり、と山全体が揺れた。


「グオオオオオオオォォォォォォォォ!!!!」


 遥か頭上で岩の転がる音。続けて、大気そのものが軋むような長い咆哮が、谷をひとつ丸ごと渡っていった。


 とっさに防御の術を編みかけたセリアの指先で、氷の術式が形になる前に霧散する。


「っ……魔法が、編めません。マナが荒れすぎていて、術式が固定できない……!」


「なるほどな。この山じゃ、まともに魔法も使えないわけだ。……ますます、単純な力だけで解決できる案件じゃないな」


「……マナが叫んでいます」


 セリアが青い顔で足を止めた。


「淀みどころではありません。詰まって、暴れて……こんな上で、生き物が暮らせるはずが」


「その『暮らせるはずのない場所』に、十五年住み続けてる住人がいるわけだ」


「……砦の時のように、追い出すことは? ここも、タクミ様の所有地なのでしょう」


 ……いい質問だ。俺は首を振った。


「仮にスキルが効いたとしよう。でも、今回は、規格外の存在が相手だ。根性で踏み潰される可能性を考慮しなければいけない。その場合は、怒らせて終わりだ。それに、追い出してどうする? 原因は床下に残ったままだし、何より彼は、うちの警備顧問の最有力候補だぞ」


「面接前から採用予定なのですね……」


 麓で別れたザグは、最後にぼそりと言った。


「死ぬな、領主。……メシ、まだ、もらってない分がある」


 うちの従業員は、実にいい奴である。


 岩窟は、山肌にぽっかりと口を開けていた。熱風が吹き出す洞口の奥、暗がりの中で、その山が、動いた。


 いや。山だと思っていたものが、鱗だった。


 ずる、と巨大な質量が這い出してくる。岩窟の縁に爪がかかり、金色の双眸が、俺たちを見下ろした。首だけで砦の塔ほどある。


 翼をたためば丘、広げれば雲。ザグの言った「翼の生えた燃える山」は、比喩ですらなかった。


 隣で、セリアが震える手を剣の柄にかけた。俺はその手を、上から押さえる。


「抜くな。……営業に武器は要らない」


「正気ですか」


「こういう時ほど、手ぶらなんだ」


『山の主(古代の焔龍こだいのえんりゅう):状態——慢性的睡眠不足(推定十五年)/熱ストレス:重度/機嫌:最悪』


(……今度は機嫌の鑑定までしてくれるのか、俺の眼は。……そして、予想通りすぎる診断結果だな)


 よく見れば、金色の目は充血し、目の下の鱗は色が沈んでいる。竜にも、隈というものができるらしい。


『——去ネ』


 声、というより、大気の震えだった。


 衝撃が正面から叩きつけ、セリアが膝をつく。呼吸が浅くなる。生き物としての格が違う。本能が全力で「逃げろ」と喚いている。


 ———膝が抜ける。立っていられない。崩れる。


 その崩れ落ちる動きを、俺の中の営業マンが強引に「最敬礼」へと変換した。角度およそ四十五度。我ながら完璧なお辞儀である。恐怖も使いようだ。


「お初にお目にかかります! このたび、隣に越してまいりました、麓の領主のタクミと申します! 本日はご挨拶に伺いました!」


『……………………は?』


 大気の震えが、止まった。


 金色の目が、ゆっくりと瞬きをする。十五年ぶりに想定外のものを見た、という顔だった。侵入者は数あれど、引っ越しの挨拶に来た人間は初めてだったらしい。


『……人間。貴様、我が恐ろしくないのか』


「恐ろしいです。さっきから膝が笑いっぱなしで、正直に申せば、今すぐ帰りたい」


『……ならば、何故逃げぬ』


「逃げたら、ご近所付き合いが始まらないので」


『…………』


 龍は、理解の追いつかない顔で俺を眺めた。長く生きていると、たまにはこういう日もあるのだろう。


『矮小なる者よ。我を誰と心得る。我が名はイグナリオン。天翔ける古き血族、焔の——ふ、ふぁ……』


 名乗りの途中で、竜が、あくびをした。


 巨大な顎ががぱりと開き、締まりなく閉じる。本人(本龍?)も気まずかったのか、ごまかすように喉の奥で唸った。


『……ほむらの、末裔である。去ね。次はない』


「その前に、粗品ですがお納めください。地元名産のゴブ茸——と、こちらを」


 俺は水樽の蓋を開け、洞口の岩の窪みに、なみなみと注いだ。よく冷えた湧水が、湯気の立つ岩の上で、涼しい音を立てる。


 龍——イグナリオンの鼻先が、ぴくりと動いた。


『…………貴様。なぜ、冷えたものを持ってくる』


「暑くていらっしゃるでしょう、この山。それと……」


 俺は一歩踏み込み、一番大事な質問を投げた。


「夜は、眠れていらっしゃいますか」


 沈黙が長かった。


 金色の目が揺れ、細まり、それから——堰が、切れた。


『——眠れるわけがなかろうがァァァ!!!!』


 山が震えた。本日一番の大声だったが、もう威圧ではなかった。それは紛れもなく、愚痴の声だった。


『十五年! 十五年だぞ人間! 地面は昼も夜も泣き喚く、寝返りを打てば腹の下は灼ける、風上に頭を向ければ蒸され、風下に向ければ煮える! 我は最上級の眠りにつくためにこの寝床を選んだのだ、大陸で最もマナの豊かな、最上の寝床を! それが横になった三日後からこの有様よ! 羊も数えた、三万まで数えた、意味はなかった!!』


「さ、三万……」


『寝所も移した! 北の岩室、東の岩室、山頂——三度移して三度とも駄目よ! 地の唸りは山のどこにいても骨まで響く! 耳に岩を詰めたこともあるわ、我の耳に合う岩を探すのに丸二日かけて、それでも聞こえた!!』


 隣でセリアが呆然と呟き、俺は深く、深く頷いた。傾聴の姿勢、これ大事。


「お察しします。……つまり、あなたは十五年間、騒音と熱の被害に遭い続けている、と」


『うむ。そうだ、被害だ! 我は被害者である!』


『大方、地の底で貴様ら人間かドワーフが、何ぞ愚かな真似をしたのであろう! でなくば我の寝床が、我が横になった途端に壊れるものか!』


 ……なるほど。この御仁は十五年間ずっと『誰かの仕業』だと思って怒っていたのか。原因が分からない不調ほど、人を——竜を、苛立たせるものはない。


「一つ伺っても? それほどお辛いなら、なぜ別の山へお移りにならなかったのです」


 イグナリオンの目が、屈辱の色に燃えた。


『……我ら古き血族は、己の選んだ寝床で睡眠を全うすることを誉れとする。ここで、眠りを果たせず寝床を捨てて戻れば、一族の笑い者よ。「イグナリオンは寝床選びをしくじった」と、向こう千年は語り草にされるわ』


「なるほど。引っ越すに引っ越せない、ご事情がおありだった、ということですね」


『それに一度だけ、腹に据えかねて足元を掘った。原因とやらを引きずり出してくれよう、とな。……途端に唸りは倍になり、熱は噴き上げ、我の尾の鱗が三枚焼けた。以来、掘っておらぬ』


(力任せに触って悪化させたのか。素人施工の典型例だな……)


 被害者で、誇りゆえに動けず、しかも自力対処に失敗済み。ますますもって、プロの出番である。


「その原因なら、視えています」


『——何?』


「寝床の真下、深さおよそ三百。そこで地脈が詰まっています。行き場を失ったマナが暴れている音と熱が、あなたの睡眠を妨げている。……人間の仕業ではありません。ですが、直せない詰まりでもない」


 イグナリオンの目が、すう、と細くなった。値踏みする目だ。脅す目より、よほど話が早い。


『……口から出まかせを申すな。矮小の身で、大地の底の何が分かる』


「では、確かめさせてください。一度、床下を拝見させていただいても?」


 イグナリオンは長いこと俺を睨んだ。それから、探るように問うてきた。


『……一つ問う、人間。直せると、申すのだな』


 金色の目に、すがるような光が一瞬だけ宿り、すぐに威厳の奥へ隠れる。


 ……ここで「直せます」と言い切れば、話は早い。だが。


「いいえ。現時点では『直せる見込みがある』としか申し上げられません。原因の深さも規模も、まだこの目で確かめておりませんので」


『……何?』


「調べる前から『必ず直ります』と断言する者は、信用なさってはいけません。世界のどこへ行っても、あれは詐欺師の言い回しなのです」


 イグナリオンは虚を突かれたように瞬き、それから、喉の奥で低く笑った。地鳴りと区別のつかない、ずいぶん久しぶりらしい笑い声だった。


『——面白い。十五年ぶりだ、この山で正直者の声を聞いたのは』


『よかろう。床下とやら、検分せよ。……但し、偽りを申せば、その時は食う』


「妥当な違約条項です。実は当領の雇用契約にも『約束を破ったら噛んでよい』という条文がありまして。あなたの場合は『食う』——規模は違いますが、法理は同じですね」


『貴様は先ほどから、何の話をしておるのだ』


 イグナリオンは呆れたように鼻を鳴らし、それから、冷えた岩の窪みの水を、ちろりと一舐めした。


 喉が鳴る。充血した目が、ほんの少しだけ、緩む。


『……水は、貰っておく』


 クレーム対応、第一段階、受付完了。


 相手はまだ客じゃない。だが、もう敵でもなかった。


 帰り道、セリアは半ば呆けたように無言だったが、山を半分下りたあたりで、ようやく口を開いた。


「……本当に傾聴だけで。あの存在と、交渉の席に」


「席についただけだぞ。本番は明日からだ」


「でも、もし、調べた結果、直せなかったら。どうなさるのです」


「その時は正直にそう言って、次善の案を出す。大陸中の地脈の資料を引いて、代わりの寝床を探して、引っ越しのお手伝いだ。誇りの問題は……『より良き寝所への戦略的転居』とでも呼び方を工夫する。誠実な撤退案を持たない交渉は、ただの博打だからな」


「…………」


 セリアは何か言いかけて、結局、帳面に一行だけ書き付けた。俺には見せてくれなかった。


 麓では、ザグが岩の上で膝を抱えて待っていた。俺たちの姿を認めるなり跳ね起きて、それから、わざとらしくそっぽを向く。


「……死ななかったか」


「おかげさまで。飯は約束通り、肉二切れ増しだ」


「三切れだ。心配料が、乗った」


「どうやら、うちの従業員は交渉が上手すぎるようだ」


 夕暮れの砦へ戻る道すがら、北の山を振り返った。今夜もあの山は唸り、あの巨体は眠れずにいるのだろう。


 だが、十五年続いた夜に、初めて、改善の目処が立った。


 まずは、床下の現地調査といこうじゃないか。

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