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知識による「自信」と「優越」の違い



 以前、「シートン動物記のロボを知らないのは、教養がない」という書き込みを見たことがある。


 この書き込みは、「他人を見下す優越」に当たると私は思う。


きっとその書き込みをした人は、有名なシートン動物記を知らない人がいることにショックを受けたのだろう。


ならば、「シートン動物記を知らない人がいるのはショックだ」と言えばいい。


 それを「教養の有無」にすり替え、「上か下か」といった二元論で優劣を決めてしまうのは、そのつもりがなくても、相手からは「見下す嫌な奴」と思われる要因になる。



では、知識による「自信」とはなんだろう?


それは、「対話し、教えること」にあると私は思う。


 念の為断っておくが、私はこの条件に一致しない。なぜなら、私は一方的に情報を書いているだけで、「対話」が発生していない。だから、自信とは違う。どちらかといえば、知識を書いておきながら感想欄を閉じ、対話を拒否している姿勢は、失礼な態度だ思っている。



 他人は自分ではない。育った環境や生まれた年代の教育方針やトレンド。いくらでも違いがある。


だから、他人が知らないことを知っている自分は偉くも何ともない。



 私はエマニュエル・レヴィナスの「顔」の概念を知っている。では、私は他者より″偉い″のか?「顔」の概念を知らないあなたはバカなのか?


そんなわけない。


あなたも、人が知らない物事を知っているはずだ。


あなたも凄い人間なはずだ。


「優劣」でしか語れない優越人間に、「コンプレックス」という呪いをかけられてはいけない。



 つまり、知識の有無で優越を感じるのは構造的に間違っている。


知らない人と関わり、教えてこその自信ではないだろうか。



「そんなのも知らないの?」

「これだから〇〇は〜」

「教養がない無能」



こんな言葉たちを主に扱う人間の話は、無理して聞く必要がない。


 自信がある人間は、そんな言葉たちで他人を攻撃しなくても知識が身についている。だからこそ、その知識の有用性を知っている。


ゆえに、他人を「無能」と叩くことで、持っている知識の有用性を確認する必要がない。




【まとめ】


・知識の優越は、「言葉」に出る。


・知識の自信は、「態度」に出る。


・無理して人の話を受け取る必要はない。





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