第89話:ロイヤルなお茶会
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夏休みを一ヶ月後に控えた頃、王都タウンハウスに一通の招待状が届いた。
一目で上質とわかる真っ白な封筒には、アルトリウス公爵家の紋章がうっすらと浮かび上がっている。淡い空色の封蝋には、アイリスの花の紋が刻まれていた。開けてしまうのが惜しいと思うほど、美しく繊細な仕上がりだった。
『王宮の庭園に咲くアイリスが見頃を迎えました。よろしければ次の週末、花々を眺めながら午後のお茶をご一緒できればと思います。レイノルド殿下とアーサー殿下にもお声がけしておりますので、みなで楽しい時間を過ごしましょう』
細くしなやかな筆致で綴られた内容に、私は一瞬で頭がフリーズした。
「ど、どうしよう、ルナ。ソフィア様からお茶会の招待状をいただいたんだけど、レイノルド殿下とアーサーも招待してるって書いてあるの」
確かに、デビュタントの夜、「今度ぜひお茶会をしましょう」と声を掛けていただいた。
けれど、あれからもう半年。
てっきり社交辞令だと思い、そんな話をいただいたこと自体すっかり忘れていた。
しかも、なんだか想像していた令嬢同士のお茶会とは違う。
……すごくロイヤルなお茶会になってるし。
「流石私のお嬢様。デビュタント以降初めての社交が、王族のお茶会だなんて!」
戸惑う私とは対照的に、ルナは目を輝かせていた。
「これは腕の見せ所ですわ。私のお嬢様を、一番美しく見せるドレスを選ばなくては!」
そう言うなり、意気揚々とドレスルームへ消えていく。
残された私は苦笑しながら机へ向かい、出席の返事を書き始めた。
まあ……久しぶりにアーサーに会えるのは嬉しいけどね。
学院でも滅多に会えないし、最近はゆっくり話せてもいない。
うん、そう思うとお茶会が楽しみになってきた。
アーサーもいるし、きっと大丈夫。
——そう自分に言い聞かせ、封筒をそっと閉じた。
◇◇◇
約束の日。
王宮の正面玄関で馬車を降りると、アルトリウス公爵家のエドウィン様が出迎えてくださった。
聞けば、王太子殿下の側近であり、ソフィア様の実兄でもあることから、自ら案内役を買って出てくださったらしい。
いきなりの大物出現に、一瞬だけ面食らったものの、これまで叩き込まれてきたマナー教育を総動員し、笑顔で挨拶を交わす。
学院生活や領地の特産品について話しながら庭園へ向かうと、ほどなくして本日の会場であるガゼボへ到着した。
白い柱に蔦が絡み、美しく咲き誇るアイリスに囲まれた東屋。
そこには、すでにソフィア様とレイノルド殿下、そしてアーサーが席についていた。
しまった。
お待たせしてしまったかもしれない。
そんな焦りが一瞬だけ胸をよぎる。
しかし、私たちに気付いたソフィア様は優雅に立ち上がり、にこりと微笑むと、自らこちらまで歩み寄ってくださった。
「ハルカ様、ようこそいらっしゃいました。お兄様も、案内をありがとうございます」
その柔らかな笑顔に救われるような気持ちになり、私は深くカーテシーを捧げる。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。」
紹介を受ける形でレイノルド殿下へ挨拶を済ませ、続いてアーサーへ視線を向けた。
……あれ?
ハーピー討伐の時よりも、さらに背が伸びた気がする。
肩幅も広くなり、顔の丸みもなくなっている。
私を見る柔らかな笑顔は昔のままだけど、纏う雰囲気は今までとはどこか違う。
何だろう、この感じ。
まるで初めて魔の森へ入り、ほんの少しだけ皆とはぐれてしまった時のような心細さが胸をよぎった。
「ハルカ様はこちらへどうぞ」
聞き慣れた声に顔を上げる。
そこには、アーサーとソフィア様の間で椅子を引くヒロの姿があった。
「え、ヒロ?」
思わず声が漏れる。
「俺もいるぞ、ハルカ」
向かいを見ると、レイノルド殿下の背後にはセシルも立っていた。
「セシル様!?」
私は思わず目をぱちぱちさせる。
どうして二人がここに?
戸惑いながら席へ向かうと、ヒロは私が腰を下ろすのを確認してから、静かにアーサーの背後へ下がっていった。
——あ、そうか。二人は護衛としてここにいるんだ。
それでも、ヒロとセシルが近くにいる。
それだけで、不思議なくらい呼吸が楽になった。
さっきまで感じていた居心地の悪さは、いつの間にか消えていた。
「ハルカ様、ご覧になって。アイリスがちょうど見頃ですのよ」
ソフィア様がそう言って庭園へ視線を向ける。
私もつられて視線を向けると、周囲には青紫や白、淡い藤色のアイリスが一面に咲き誇っていた。背の高い花茎の先で幾重にも重なった花びらが風に揺れ、そのたびに甘く上品な香りがふわりと漂ってくる。
「……きれい」
思わずため息が漏れた。
緑に囲まれた庭園の静けさも相まって、王宮の中とは思えないほど穏やかな空気が流れている。
「ハルカ嬢は花が好きなのだな」
レイノルド殿下が穏やかに話しかけてくれた。
「はい。花も好きですが、緑の多い場所にいると落ち着くんです。オンタリオは森や湖が多いので、故郷を思い出します」
「オンタリオは今頃、新緑が一番美しい季節だよね」
アーサーが自然に話へ加わった。
「空気も澄んでいて、湖畔の道を散歩するだけでも本当に気持ちいいし」
「はい。春から夏にかけては色とりどりの野花が咲いて目を楽しませてくれますし、森では小鳥のさえずりが絶えず聞こえてくるんですよ」
勧められたお茶を傾けながら、和やかに会話は続く。
あれ?
アーサーの声に、ふと違和感を覚えた。
穏やかな話し方は変わらない。
けれど、耳に届く声はまるで別人のようだ。
……あ、声変わりしてる!!
そうか。
もうそんな年頃なんだ。
先ほどから感じていた違和感の正体が分かり、少しだけスッキリとした。
けれど、目の前にいるのは私の知っているアーサーなのに、少しだけ知らない男の子と話しているような気もして……。
——私と離れている間にも、ちゃんと成長してたってことだよね。
そう思うと、嬉しいような、少し寂しいような、不思議な気持ちになる。
「ハルカ?」
私がぼんやりしていたからだろう。
アーサーが心配そうに首を傾げる。
「え? あ、ごめん。ちょっと庭が綺麗で見とれちゃって——いえ、見惚れてしまっていました」
慌てて誤魔化したせいか、口調が乱れる。
いけないいけない。
ここは王宮。相手は王族。
そして私は立派な淑女。
しっかりしなくっちゃ。
「それなら良かった」
そう言って、昔と変わらない眼差しでアーサーが笑った。
……あ、やっぱりアーサーはアーサーだ。
その笑顔を見た瞬間、胸の中に残っていたモヤモヤも、いつの間にかすっと溶けていた。
すると、ソフィア様が楽しそうに微笑まれた。
「お二人は本当に仲がよろしいのですね」
「幼い頃から、ずっと一緒でしたから」
「はい。ハルカといると落ち着くんです」
私たちの声が重なった。
その様子を見て、今度はレイノルド殿下が面白そうに口角を上げた。
「王宮へ来たばかりの頃は、毎晩遅くまで一人で剣を振っていたな」
「兄上、それは……」
「わかってる。慣れない生活で弱ってた気持ちと闘ってたんだろ?」
アーサーが少し照れくさそうに苦笑する。
「最近は、ようやく王宮での暮らしにも馴染んできたようだしな」
「お陰さまで。兄上を始め、みなに助けてもらってなんとかやれています」
そう言ってアーサーは背後のヒロやセシルに視線を向けた。
——良かった。王宮でも問題なく過ごせてるみたい。
アーサーを見つめる柔らかな周囲の眼差しを認め、私はようやく心から安心することができた。
会話がひと段落したところで、ソフィア様が侍女へ目配せをした。
侍女たちは手際よく、それぞれのカップに新しい紅茶を注いでいく。
ソフィア様はカップを手に取り、ふわりと立ちのぼる香りに目を細めると、ゆっくりとカップを傾けた。
「そういえば、フロストリアの化粧品はハルカ様が開発されているのでしょう?実は、私も愛用させていただいてますのよ」
ソフィア様のその一言で、手土産をまだ渡していなかったことに思い至る。
慌ててルナに視線を送ると、スッと持参した人気商品の詰め合わせを出してくれた。
「ご愛用いただき、ありがとうございます。こちら、本日のお礼にご用意させていただいたものなのですが、よろしければお使いください。新商品の酒粕パックもございますよ」
そう言って、笑顔で差し出す。
ソフィア様も嬉しそうに受け取ってくれた。
そこからは、貴族令嬢たちの間で最近流行っている美容やファッションの話に花が咲いた。
「今年はフロストリアの影響か、美肌づくりに力をいれているご令嬢が多いようよ」
途中からは殿下とアーサーも交え、貴族令息たちの流行についても教えてくれる。
「その影響か、ここ最近温泉人気も高まっているようだぞ。温泉設備のある保養地には、この夏予約が殺到しているらしい」
へえ。それは知らなかった。
やっぱり、王宮にはいろんな情報が集まってくるんだな。
——こういう情報は、うちの情報網には引っかかってこないんだよね。
やっぱり、社交をもう少し頑張るべき、かな?
「そういえば、ハルカ嬢は文官科に進学したのだったな。授業は楽しいかい?」
一通り流行についての話題が落ち着くと、今度は学院生活へと話題は移っていった。
「はい。面白いです。過去の事例を踏まえた先生のお話も興味深いですし、同じ立場の友人と領地経営や商売について話すのも刺激があって楽しいです」
「……そうか、ハルカ嬢はそういった方面に関心が高いのだな——やはり、オンタリオ辺境伯を継ぐつもりでいるのかな」
「はい。そのつもりで、日々勉強しています」
「……そうか。ハルカ嬢ほどの才があれば、王宮でも重宝されると思うのだが、それについて考えてみたことは?」
「ございません。もちろん、皆さまがやりがいのある素晴らしいお仕事をされていることも、そのお陰で私たちが日々を安心して暮らしていられることも承知しています。けれど、私は生涯、オンタリオの民と共に生きると決めています」
「……そうか」
「はい。お父様やお祖父様のように、私もあの土地と民を守っていきたいんです」
「……ハルカ嬢なら、きっと立派な領主になれるだろう」
少し間があったのが気になったが、レイノルド殿下がそう言ってくれた。
未来の王様のお墨付きに、私は嬉々としてお礼を述べた。
「ありがとうございます。立派な領主になって、レイノルド殿下の御代にも貢献していきたいと思っています!」
胸を張って満面の笑顔でそう答えた。
その後は、来年春に予定しているお二人の結婚式の話や、その準備の話。
お妃教育や王族の社交についてもお話を伺った。
今まで意識してこなかった王族の義務や仕事の一端に触れ、たくさんの学びや気づきを得たお茶会は、和やかな雰囲気の中、お開きの時間を迎えた。
「是非、またお茶会をしましょうね」
ソフィア様たちに笑顔で送り出され、私は庭園を後にする。
初めてのお茶会を無事終え、ほっとした私は、足取り軽く馬車へと向かった。
馬車までは、アーサーとヒロがエスコートしてくれた。歩きながら互いの近況をもう少し詳しく話していると、ふいにヒロからお誘いがあった。
「今度、屋敷に遊びに来ませんか?」
そういえば、レオから時折屋敷の様子を聞くことはあっても、実際に訪ねたことは一度もない。
ヒロとレオの屋敷はどんな感じなんだろう。
そんな好奇心もあり、思わず笑顔で頷いた。
「「ぜひ!」」
アーサーと快諾する声が重なったところで、馬車が待つ正面玄関に到着した。
次の約束もでき、満足そうに別れを告げるアーサー。
私も手を振り返すと、馬車に乗り込んだ。
馬車の窓越しに、もう一度二人を見る。
門をくぐって見えなくなるまで、アーサーはずっと手を振ってくれていた。
——ちゃんと元気そうでよかった。
——みんなと、仲良くやれているようでよかった。
私は満ち足りた気持ちのまま、家路についたのだった。
★ おまけ ★
エドウィン:「なかなか肝の据わったご令嬢だな、ハルカ嬢は」
レイノルド:「そうだな。新年の宴で挨拶した時を除けば五年ぶりだったんだが、俺を前にしてもまったく物怖じしなかったぞ」
エドウィン:「俺とも初対面とは思えないほど普通に話していたな。しかも、どこで知ったのか、最近うちの領で開発に力を入れている『割れないガラス』について、あれこれ質問攻めにされた」
レイノルド:「そこに目をつけるとは、流石だな。近年、オンタリオ経済の調子がいいのも頷ける」
エドウィン:「彼女を商務部へスカウトすることを、真面目に検討するべきじゃないか」
レイノルド:「いや、俺はあの対人能力に注目したい。外務部へ回して、外国との折衝を任せても面白そうだ」
エドウィン:「……なるほど。それも悪くない」
レイノルド:「まあ、本人は一ミリも王宮で働く気はなさそうだがな」
——そんな会話が、お茶会の後、レイノルドの執務室で交わされていたとか、いないとか。
もちろん、当の本人は知る由もない。
ハルカ:「え!? Σ(o゜д゜oノ)ノ」




