第90話:クラウゼン邸訪問
いつもご愛読いただき、ありがとうございます。
お茶会から一週間後。
約束通り、私はルナと共に、王都レジナルド北東エリアにあるクラウゼン邸を訪れた。
オンタリオ家のタウンハウスから馬車で二十分ほど。
この一帯は、領地を持たず王宮に仕える貴族たちが、多く屋敷を構える閑静な住宅街だ。落ち着いた雰囲気の屋敷が整然と並ぶ一角に、ヒロたちの新しい住まいがあった。
正面玄関前に馬車が止まると、ヒロとレオが揃って出迎えてくれた。
「ようこそ、クラウゼン邸へ」
二人の後ろには使用人たちが整然と並び、一斉に恭しく頭を下げる。
その一糸乱れぬ所作に、私は思わずたじろいでしまった。
だがそんな内心を気取られないよう、私は何事もなかったように微笑み、淑女らしく二人へ挨拶を返す。
「……え?」
顔を上げた瞬間、ヒロの背後に控える使用人の中に、見覚えのある懐かしい顔を見つけた。
「ナタリー?」
幼い頃、結婚するまでずっと私の専属侍女として側にいてくれたナタリーだった。
目を丸くしたまま固まる私を見て、ヒロが苦笑しながら事情を説明してくれた。
「屋敷を引き継いだ時、使用人をかなり入れ替える必要がありまして。タイロン様へ相談したところ、オンタリオ家で働いていた人たちや、縁のある人を紹介してくださったのです」
そうして声をかけられたタイミングが、ちょうどナタリーも出産を終え、復職先を探していた時期と重なったらしい。
どうせなら、一家そろってクラウゼン邸で働こうと言う話になり、今に至ったのだそうだ。
「ナタリー、トビー。ハルカ様にご挨拶を」
「お久しぶりでございます、お嬢様。昨年よりこちらでメイド頭を務めさせていただいております。こちらは夫のトビーです。執事として子爵様にお仕えしております」
「はじめまして。トビーと申します」
ナタリーの隣で、執事服に身を包んだ二十代後半ほどの男性が恭しく頭を下げた。
そういえば、ナタリーの旦那さんは東の砦で兵站や補給を担当していたと、以前聞いたことがある。
私は思わずトビーさんをじっと見つめた。
元軍人らしく背筋はすっと伸び、その立ち姿は実に堂々としている。仕立ての良い執事服もよく似合っていた。
穏やかで誠実そうな眼差しからは、口数は多くなくとも自然と人を安心させる落ち着きが感じられる。
なるほど。これがナタリーが選んだ旦那様か。
——うん。優しくて真面目そうな人だ。
ナタリーが幸せそうで、本当に良かった。
「それから、よろしければ子供たちもご挨拶させてください」
そう言って、ナタリーが物陰へ向かって手招きをする。
すると、五歳くらいの女の子が小さな男の子の手を引きながら、こちらへやって来た。
「娘のエマと、息子のカイルです」
「エマです。五歳です」
「カイル。四歳」
しっかり者らしいエマと、トビーさんをそのまま小さくしたような愛らしい男の子がぺこりと挨拶をしてくれる。
「私はハルカです。あなたたちのお母様には、私が小さい頃たくさんお世話になったんですよ。よろしくね」
私は二人の前にしゃがみ込み、目線を合わせて笑顔で挨拶する。
子供たちは照れくさそうにはにかみながら、小さな声で「よろしく」と返してくれた。
……かわいい!
やっぱり、このくらいの子どもは見ているだけで癒やされる。
しかも大好きなナタリーの子どもたちに会える日が来るなんて!
そんなふうに頬を緩めていると、ちょうどアーサーの乗った馬車が正面玄関前へ到着した。
私は慌てて子供たちと一緒に脇へ下がり、レオの隣へ並んでアーサーを迎える準備をする。
馬車の扉が開き、最初に姿を見せたのはフェリックスだった。
私たちへ軽く目礼すると、そのまま扉の脇へ控え、続いて降りてくるアーサーを待つ。
そういえば、フェリックス様はアーサーの護衛も務めているんだった。
ほどなくして、アーサーも馬車から姿を現した。
今日は休日ということもあり、比較的ラフな装いだ。
とはいえ、一目で上質とわかる仕立ての良いシャツに細身のズボンという装いは、飾り気がないぶん、その品の良さをいっそう際立たせている。
——こうして見ると、アーサーってば本当に王子様っぽくなったな。今日のテーマは、間違いなく『お忍びで遊びに来た王子様』だね。
私がぼんやりとアーサーを眺めている間に挨拶が交わされ、ヒロの先導で屋敷の中へと案内される。
「わあ」
品よく季節の花が生けられたエントランスホールは、二階まで吹き抜けになっている。大きな窓から差し込む陽射しが、室内を明るく照らしていた。正面にある大階段の踊り場には、品のよいご夫婦の笑顔の肖像——ヒロ達のご両親のものだろうか。
「これは、俺たちの両親の肖像画だそうだ。屋敷を引き継いだ際、屋根裏部屋に保管されていたものを見つけて、兄さんが修復に出してくれたんだ」
食い入るように絵を見つめていた私に気づき、レオがそっと教えてくれた。
「ここに来てはじめて、俺は両親の顔を知ることができたんだ」
そう、ポツリと呟くレオ。
その言葉がどこか寂しそうで、思わずギュッとその手を握ってしまった。
レオが驚いたように肩を跳ねさせ、私を見る。
けれど、私はそのままレオの隣に並んで絵を見つめ続けた。
「素敵なご夫婦の肖像だね」
アーサーの声に驚いて、パッと手を離して振り返った私たち。
その背後では、ヒロとフェリックスも静かに肖像画を見上げていた。
「亡くなった私たちの両親です」
ヒロの簡潔な説明を聞き、「そうか」と悲しそうに目を伏せるアーサー。
沈んでしまった空気を打ち払うように、レオが明るい声を上げた。
「さ、立ち話もなんですので、移動しましょう」
そう促され、私たちは応接室へと続く階段を上がった。
◇◇◇
案内されたのは、大きなテーブルとソファセットが置かれた落ち着いた雰囲気の応接室だった。
来客用の部屋としては珍しく、広いバルコニーが併設されている。
どうやら以前はサロンとして使われていた部屋を改装したらしい。
今日はそのバルコニーにも席が設けられ、お茶会の準備が整えられていた。
「わあ、素敵な眺め!」
思わず感嘆の声が漏れてしまった。促されるままバルコニーに足を運ぶと、眼下には美しい新緑の木々と色とりどりの花々が目に映る。大きなパラソルと庇によって初夏の日差しは和らげられ、心地よい爽やかな風が頬を掠めた。
「ハルカ様はこちらにどうぞ」
ヒロによって丸テーブルまでエスコートされ、既に席についているアーサーの隣に座るよう促された。アーサーの反対隣にはフェリックス様。
その隣、ちょうどアーサーの正面の位置にヒロ、ヒロと私に挟まれる席にレオが腰を下ろした。
全員が席に着くと、トビーを先頭にナタリーを始め他の使用人たちが紅茶のカップとデザートを持って入室し、手際よくテーブルの上に並べていく。その中に、以前厨房で見かけたことのある顔もちらほら混じっていた。
私はついつい見知った顔を目で追ってしまう。すると、レオが小声で「庭師も以前オンタリオに勤めていた人だよ」と教えてくれた。
そうなんだ!本当に、オンタリオに縁のある人がたくさん働いているんだ。
そのことが、ヒロたちとの縁がまだまだ続いているようで、途端になんだか嬉しくなった。
「どうぞ召し上がってください。こちらのケーキは、よくオンタリオでお嬢様が作られていたレシピを元に改良を加えたものだそうですよ」
ほほう。それは興味深い。
アーサーも嬉しそうに「本当だ!見覚えがある」といって口に運んでいた。
その間にも、ヒロは色々とトビー達に指示を出し、私たちをもてなしてくれる。使用人たちの連携もよく、しっかりと屋敷が管理されていることが見てとれた。
そんなヒロをフォローするように、レオもまた細々とした指示を補足していた。どうやら、屋敷の警備に関することはレオが受け持っているようだ。
「ヒロもレオも、思ってた以上に上手く子爵家の経営ができてるよね。この短期間でスゴいよね」
「ありがとうございます。最初は戸惑うことも多かったですが、タイロン様やセバス殿にも色々教えていただき、何とかここまでやってこられました」
「お父様はわかるけど、セバスにも?」
「はい。執事として長年に亘り、表からも裏からも辺境伯家を支えてこられた方です。まだまだ学ぶことも多く、機会があれば再び下について教えを乞いたいくらいです」
すると、レオもうんうんと隣で頷く。
「セバスさんは、警備や諜報なんかも統括してるだろ?俺も少し教えてもらってたんだが、やってみると本当に色々と見えてなかったことも多くて……。改めてあの方の凄さを俺も痛感してる」
部屋の隅に控えるルナもうんうんと激しく同意している姿が目に入る。
そうだったんだ。私もまだまだ知らないことだらけだな。
そこから、話題はオンタリオ家人の仕事ぶりから、領地の話へと広がっていった。
「そう言えば」
アーサーは手にした紅茶をテーブルに置き、体ごと私に向き直った。
「もうすぐ夏休みに入るけど、ハルカはオンタリオに帰省するよね?いつ頃から戻る予定なの?」
「店に問題がなければ、夏休み入ってすぐには戻る予定だよ。アーサーはどうする?」
「今調整してるところ。なるべく早く、できるだけ長く帰りたいと思ってるよ」
アーサーが迷いなく「帰る」といってくれたことに、胸がじんわりと温かくなる。ニヨニヨと勝手に上がってくる口角を引き締めつつ、他のみんなの予定も聞いてみることにした。
「ヒロとレオは?」
「私たちも調整が出来次第、向かいたいと思います」
ヒロの即答にレオが同意を示す。
——良かった。みんな帰って来てくれるんだ!
私はどんどん嬉しくなって来た。
「あ、あの!」
突然、フェリックス様が声を上げた。
セシルに比べ、控えめで真面目な印象の彼が話に割って入るなんて珍しい。
どうしたんだろう、とみなの不思議そうな視線がフェリックスに注がれた。
「お、俺も、よろしければ是非、オンタリオにご一緒させてください!以前より、兄や殿下からお話を伺い、一度自分でも体験したいと思っていたんです」
「体験?」
「あ、あの、ラオウ様との訓練とか、ハルカ嬢のご飯とか……あ!間違えた。そう、魔の森です!魔の森を体験致したく!」
だんだんと視線を下げ、声が小さくなるフェリックス。
本音がダダ漏れである。
多分、セシルから色々聞いたんだな。
なるほど、そういえばこの兄弟。強さへの憧れが強いんだった。
「構いませんよ。是非、アーサーたちと一緒にお越しください」
「やった!ありがとうございます」
私の快諾に、フェリックスが嬉しそうに破顔した。
思いがけない再会に加え、ヒロとレオの現状も確認できたし、今日招いてもらえて本当に良かったと心の底から満足する。
それに、夏休みの約束もできた。
「次は、オンタリオで!」
——そう言って、別れの挨拶を交わせたことが嬉しい。
この時既に、私の胸は、もう夏休みへの期待でいっぱいだった。
*裏話*
両親が存命だった頃からクラウゼン邸で働いていた使用人たちは、前クラウゼン子爵に爵位を乗っ取られた際、ほとんどが解雇されてしまいました。
ヒロは子爵位を継承するにあたり、かつての使用人たちを探して再び雇いたいと考えていました。しかし、すでに他家へ仕えていたり、行方が分からなかったりと、再雇用は思うように進みません。
そこでタイロンの提案により、オンタリオ家に縁のある人材を紹介してもらうことになったのです。
その話を最初に聞いたナタリーは、
「えっ!? あのヒロが子爵様に!? やんちゃだったレオが貴族令息ですって!?」
と、それはもう大変驚いたそうです(笑)。
とはいえ、ハルカに拾われてすぐ、尖っていた頃のヒロを気にかけ、おねしょしたレオの布団を何度も洗ってきたナタリーは、ある意味最強の存在。
クラウゼン邸ではメイド頭として屋敷を切り盛りしながら、ヒロにもレオにも遠慮なく小言を言える貴重な人材となりました(笑)。
なんでも、ヒロもレオもナタリーにだけは頭が上がらないのだとか。
……本当かどうかは、本人たちのみぞ知る、ですけどね( ̄∀ ̄)ー☆




