第80話:セシルの旅立ち
裁定評議会が終わり、秋の気配が深まっていくにつれ、王宮内でのエリザベス様と第三王子クリス殿下を取り巻く環境は急速に変わっていった。
最初に変化があったのは、側近の数だった。
ソルティス侯爵——いや、今は元侯爵か。
彼が権勢を誇っていた頃は、様々な貴族家から優秀な子息令嬢が集められ、クリス殿下の側には常に人が溢れていた。
だが評議会の後、そのほとんどが辞意を申し出たという。
エリザベス様は失意と周囲の変化から心労を重ね、床に就いてしまわれたらしい。
加えて、クリス殿下が家庭教師から教わる内容も、帝王教育的なものは省かれ、貴族マナーや領地経営に関するものだけに絞られるようになったという。
そのことを直接見聞きしたわけではない。でも、最近は王都へ行くことの増えたアーサーが、折に触れて話してくれた。
「クリスの今の状況は、オンタリオに来る前の俺と、少し似ているかもしれない」
そう呟いたアーサーは、クリスに何度か会いに行ったとも話してくれた。
「クリスはまだ幼い。周囲の急な態度の変化に、ずっと戸惑っているみたいなんだ。でも、だからといって、今回の結果から逃れることはできない。だからこそ、今の立場を柔軟に受け止めて、強く生き抜く手伝いを誰かがしてやるべきだと思ったんだ。ハルカが昔、俺にそうしてくれたように」
そう言って、アーサーは笑った。
クリス殿下はアーサーにとって、直接的ではないにしろ、自分の不遇のきっかけとなった存在だ。きっと、いろいろと思うことはあっただろう。それでも、幼い弟に手を差し伸べようとするアーサーの心の強さと優しさを、私はただただ嬉しく思った。
そして、裁定の日を境に、アーサーは以前にも増して王族としての教育に熱心に取り組むようになった。
そんな彼の姿が、頼もしくて、少しくすぐったかった。
ヒロとレオは、あれからずっと引き継ぎに追われていた。爵位継承の準備に、王宮との調整、クラウゼン家とのやり取り。お父様たちの助けはあるものの、自分たちでこなさなければならない仕事も多い。二人が揃って夜遅くまで執務室に灯りを点けている日が続いた。
『風の神殿』については、王の協力のもと専門の調査チームを設けて調査にあたることが決まり、チームリーダーにはお母様が就任した。元王宮魔法使いで、魔力溜まりの解明に強い関心を持っていたお母様が、この話が出た時に真っ先に手を挙げたのだという。
いろいろな物事が、確実に前へ進み始めていた。
そんな中——学院の夏季休暇を利用してオンタリオに武術留学に来ていたセシルが、王都へ戻る日が決まった。
◇◇◇
旅立ちの前夜、騎士団関係者や屋敷の使用人など、オンタリオでセシルと交流のあった人たちを集めてささやかな送別パーティが開かれた。
テーブルには、私が料理人たちと腕を振るったオンタリオの特産品がずらりと並んだ。酒粕研究の過程で生まれた漬物や魚の粕漬けも初お目見えで、大人たちには澄み酒も振る舞われる。みなが料理に舌鼓を打ち、賑やかに歓談する声があちこちに響いていた。
「セシル殿には、王宮との橋渡しや情報収集の面で大変助けられました。感謝しています」
お父様がグラスを傾けながら言うと、セシルが頭を下げた。
「いいえ。こちらこそ、ラオウ様や騎士団の皆様には訓練の機会をいただき、大変勉強になりました」
「うむ。お前は基礎もしっかりできておる。このまま精進すれば、よい騎士になるじゃろう」
お祖父様の言葉に、セシルが嬉しそうに笑顔を見せた。
そこへ、ヒロがレオと共に近づいてくる。今日の二人は、仕事ではなくゲストとしての参加だ。
「ローゼンベルク殿、私の救出にご尽力いただいたと聞きました。遅くなりましたが、御礼申し上げます」
「それほどのことはしていませんよ。ですが、もしお礼をと考えていただけるなら——そろそろ俺のことは『セシル』と呼んでいただきたいですね。それと、怪我が完治した暁には再戦を。レオ殿とも、是非」
セシルがにやりと笑うと、レオも「望むところです」と好戦的に口角を上げた。
◇◇◇
少し経った頃、やっと準備の整った私は、お母様と共に会場に合流した。
私の姿を認めると、お祖父様が大きな声で迎え入れてくれた。
「おお、ハルカ!見違えたぞ」
この日の私は、いつもの動きやすい服装ではなく、少しだけ背伸びしたドレスを身に纏っていた。お母様が「せっかくだから」と用意してくれたものだ。
山吹色の生地は明るく華やかで、裾には小さな刺繍が施されていた。鏡に映る自分が、少しだけ大人になったような気がする。
私はソワソワした気持ちでお祖父様たちのところへ赴き、挨拶した後、その場でくるりと回ってドレスをお披露目した。
「ハルカ、すごく似合ってるぞ」
今度はセシルが明るい調子で褒めてくれる。そのまっすぐな言葉が嬉しくて、私も笑顔でお礼を返した。
「そうだわ、ハルカ。せっかくだから、記念にセシル様に踊っていただいては。練習の成果を見せてちょうだい」
「ああ、それならヒロも踊っておいた方がいいな。爵位を継承したら、パーティへの参加は必須だ。ハルカ、ヒロとも踊ってやってくれ」
お父様がそう添えると、レオが隣で「え、じゃあ俺も?ダンスなんて踊ったことないのですが」と狼狽えた。
「レオはこれからハルカやアーサー様と一緒に練習していきましょう。大丈夫、十二歳のデビュタントまでまだ一年半もあるわ」
お母様に爽やかに言い切られ、レオがひきつった顔をしていた。
「では、せっかくですので」
セシルが前に出て、私に手を差し伸べた。
「ハルカ嬢、一曲お相手いただけますか」
音楽に合わせて踊り始めると、周囲からさりげなく視線が集まるのが感じられた。
セシルのリードは安定していて、身長差を感じさせないほど、とても踊りやすかった。以前より少しだけ上達した自覚のある私のステップも、今日はそれなりに形になっていると思う。
「ハルカ、俺がいなくなると寂しい?」
セシルが、小声でそう言った。
「……自分でそれ、聞いちゃうんだ」
思わず笑うと、セシルも笑った。
「寂しくなる……と思う」
小さく呟いたら、セシルが少しだけ目を細めた。
「ハルカは十歳になったら、レオ殿やアーサーとパーティを組んで冒険者活動をするんだろ?俺も、時々参加させてもらっていいか?」
「うん、もちろん。歓迎するよ」
曲が終わると、セシルはポンポンと私の頭を撫でた。
「ハルカが寂しくなる前に、また、遊びに来るからな」
そう言ってから、次のダンスを申し込むために控えていたヒロのところまで、きちんとエスコートしてくれた。
別れ際、聞こえるか聞こえないかくらいの声で、セシルが呟いた。
「早く大きくなってくれよ」
——そう聞こえたような気がした。
でも、音楽にかき消され、はっきりとは分からなかった。
私はその後、ヒロともアーサーとも踊り、ついでにお祖父様とお父様とも踊った。
お祖父様とのダンスは、ダンスというよりもただ振り回されているだけのような感じがした。
それに比べて、お父様は紳士的で、「疲れただろう」といって自分の足の上に私の足を置いて踊ってくれた。自分で足を動かしているわけではないのに、ちゃんとダンスになっているのが面白かった。
けれど、さすがに立て続けのダンスは堪えたので、そのあとは料理を楽しみながら、ひたすらお喋りに徹した。
なかなかゆっくりと聞くことのできなかったレオの修行のこと、春から住む予定のヒロの屋敷のこと。
セシルの今後の予定や王立学院の話。
アーサーはクリス殿下との交流や、最近の王宮での出来事を聞かせてくれた。
私も、来月オープン予定の化粧品店『フロストリア』について熱く語る。
話題は次から次へと尽きることなく、あっという間に楽しいひとときは過ぎ、やがてお開きの時間となった。
翌朝。
荷台にオンタリオの特産品をたくさん積んだ馬車が、玄関前に停められていた。
セシルは来た時と同じように、軽い足取りでその馬車に乗り込んでいった。
「皆さま、大変お世話になりました。アーサー、ヒロ殿、次は王宮で会おう」
見送りに出た私たちにそう言い残して、セシルは帰っていった。
私は馬車が見えなくなるまで手を振り続けた。
これで会えなくなるわけじゃない。
きっと、またすぐに会えるよね——そう思いながら。
これにて4章は終了です。
閑話を挟んで、本作の最終章となる第5章がいよいよスタートします。
引き続きお楽しみください╰(*´︶`*)╯♡
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久しぶりに短編を書きました!こちらも併せて読んでいただけると嬉しいです☆
『討伐された邪竜は異世界で"最愛"を知る 〜龍神となった俺と、供物となった少女の話〜』
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