第77話:継ぐべきもの
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「ヒロ、クラウゼン子爵位を継承しろ」
部屋の中はしんと静まり返り、誰一人として言葉を返せない。
そんな空気を打ち破ったのは、名指しされた当事者でもあるヒロだった。
「いえ」
静かだが、迷いのない声だった。
「私は、オンタリオ家に生涯忠誠を誓うと決めています。今更、クラウゼン家の爵位など——」
「……俺も同じです」
少し遅れて、レオも口を開いた。
「貴族の地位なんていりません。俺は俺として強くなるし、お嬢の側で支え続けていくつもりです」
迷いのない二人の答え。
お祖父様はその言葉を最後まで黙って聞いていたが、やがてゆっくりと目を細めた。
「……嬉しいのう、二人とも」
低く、温かい声だった。
「ありがとうな」
その言葉を噛み締めるように、短い沈黙が落ちる。
しかし、お祖父様はすぐに表情を改め、再び二人を真っ直ぐ見つめた。
「じゃが、それなら、なおのこと継いでおけ」
「え?」
レオが驚きに声を上げた。
「今の言葉が本心なら、お前たちにとっても、オンタリオにとっても、それが最善じゃ」
お祖父様は腕を組み、落ち着いた声で続けた。
「クラウゼン家は代々、王領管理に長けた『実務の家』だったそうじゃな」
「……はい。父が存命だった頃は、そのような家でした」
「ならば、ヒロ。お前は爵位を継いで王宮に入り、その実務能力を磨いてこい」
その言葉に、再び部屋の空気が張り詰めた。
「どういうことか」と窺うような気配が漂う。
「お前の実務能力は、今でも高く評価しておる。じゃが、それはオンタリオの中での話じゃ」
お祖父様は静かに続ける。
「王宮で視野を広げろ。人脈を作れ。そこで得たものを持ち帰り——今度はオンタリオを助けてくれんか」
「それは……」
ヒロが言葉に詰まる。
けれど、私にはお祖父様の言いたいことが少しわかった気がした。
お父様たちの顔を見ても、どうやら私だけが納得したわけではなさそうだ。
「それから、レオ」
お祖父様が今度はレオに向き直る。
「ハルカたちが王立学院に入学する際、一緒に行ってこい」
レオが固まった。
「え? 俺が……貴族の学校に……?」
「そうだ。生涯にわたってハルカを支えてくれるつもりがあるなら、貴族の常識を身につけてこい」
「で、でも俺、まだ修行が——」
「基礎は修めたんじゃろう?」
お祖父様が、有無を言わせない口調で続ける。
「ハルカたちも十歳になれば冒険者試験を受けて魔の森に行くと言っている。その時は、お前たちでパーティを組めばいい」
「パーティ……」
「その代わりに、ヒロの業務を引き継いで、領の仕事を少しずつ覚えてくれ。学院に行くまでの間は、ワシが稽古もつけてやる」
レオが、狼狽えたように私を見た。
私は戸惑いながらも考える。急な話だけれど、確かにそうしてもらえればとっても心強い。
それに——レオとアーサーと三人で学院に行けたら、きっと楽しいに違いない。
今の私たちなら、三人でA級パーティを目指すことだって、夢じゃない気がした。
そう思った瞬間、少しだけ胸が弾んだ。
——うん。悪くないかもしれない。
私はレオを真っ直ぐ見つめ、力強く頷き返した。
しばしの沈黙の後、口を開いたのは、お父様だった。
「悪くない手かもしれんな」
静かだが、確かな声だった。
「今回の件、クラウゼン子爵を罪に問うことは難しいだろう。だが、何の痛手もないのでは癪に触る。ヒロが中枢に入れば、情報も入りやすくなる。オンタリオの影響力を上げるという点でも、意味がある」
「そうじゃ」
お祖父様が頷く。
「最近は防戦ばかりを強いられていた——それは、ワシらがオンタリオのことにしか目を向けてこなかったことにも原因がある。中枢にも信頼できる者が必要だ」
ヒロはわずかに目を伏せた後、静かに口を開いた。
「……私が中央に行けば、オンタリオのお役に立てますか」
「もちろんじゃ」
お祖父様の声は、揺るぎなかった。
「今までだって十分役立ってくれていた。じゃが、爵位があれば出入りできる場所も、集められる情報も格段に増える。できることが変わってくる」
そこまで言うと、お祖父様がゆっくりと二人を見た。
「オンタリオのため——頼まれてくれんか、ヒロ、レオ」
静かな問いかけだった。
ヒロはしばらく俯いていたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「……わかりました」
その声は、穏やかで、でも揺るぎなかった。
「私の全てをもって、お役に立ってみせます」
「俺も、やります! 貴族の学校だって行きます。パーティメンバーでも、お嬢の護衛でも、何だってやります!」
レオが続く。
お祖父様は、満足そうに目を細めた。
◇◇◇
「そうと決まれば、段取りを考えなくちゃ!」
勢い込む私を、ヒロが苦笑しながらやんわりと止める。
一度私へ視線を向け、それからお父様を見た。
「まずは、オスカーとアデルに会って来てもいいでしょうか?」
「ヒロ……」
「自分できちんと話したいのです。クラウゼン家のことも、これからのことも。二人には、それを伝える義務があると思っています」
「そうだな」
お父様が頷く。
「俺も一緒に行きます」
レオが言った。
「兄さん一人に全部背負わせたりしない」
ヒロがわずかに目を見開き——それから、柔らかく笑った。
「ありがとう、レオ」
「ワシも後見として、同席するぞ」
お祖父様が胸を張ってそう言った途端、
「お待ちください、父上」
お父様がすかさず割って入った。
「それは私の役目です。継承問題の後見なら、ここは現当主である私が出るべきでしょう」
「なるほど、それもそうか。では、一緒に行くとするか」
お祖父様がにっこりと笑う。
「お祖父様! 私もご一緒させてください!」
気づけば、私も勢いよく口を開いていた。
「次期当主として、きちんと見届けたいんです」
「ハルカ、お前はまだ——」
「お父様の後を継ぐのは私です!後学のためにも、参加させてください!」
私は畳み掛けるように主張した。——ここで引いてなるものか!
「……まあ、いいか。何事も経験、じゃな」
お祖父様が楽しそうに笑う。お父様も半ば呆れたように息を吐いた。
三人で、あーだこーだと作戦を言い合い始めると、部屋の空気がにわかに賑やかになった。
相手はどう出るか。
いつ行くか。
何を言うか。
誰が何を担当するか。
話はどんどん膨らんでいった。
その様子を、ヒロとレオとお母様は、少し呆れた様子で見守っていた。
「……何というか、いつものことながら大騒ぎになりそうですね」
ヒロが、苦笑を浮かべている。
「うん。……オンタリオに帰ってきたって気がする」
レオも同じような顔をしていた。
お母様は、静かに微笑んだ。
「まあ、あの三人に任せておけば、大抵のことはなんとかなるわよ」
それは、安心しなさいという意味なのか、覚悟しなさいという意味なのか。
ヒロとレオは顔を見合わせ、ただひたすら、事が大事にならないことを祈るばかりだった。




