第74話:水面下
今日から暫くは月・水・金の週3回投稿します!
ヒロの救出と岩塩窟発見の第一報は、すぐさま屋敷へ届けられた。
その吉報に、屋敷中が一気に沸き立つ。
使用人たちは歓声を上げ、お母様はその場で胸に手を当てて安堵の息を漏らしたらしい。
その後、私たちがヒロを連れて帰還すると、出迎えたアーサーに大泣きされた。
セシルはそんなアーサーの背中をバンバン叩きながら、「よかったな。本当に良かった」と、わずかに目元を濡らしていた。
一方、お祖父様とパトラッシュは、岩塩窟の詳しい調査を行うため、そのまま現地へ残っている。
私が報告を済ませると、お父様は早速追加の人員を手配し、お祖父様の元へ送り出した。
そうして慌ただしく時間が過ぎ——ヒロが目を覚ましたのは、屋敷へ運び込まれた翌日の夕方だった。
折られていた足は、野営地で応急処置が施され、屋敷へ戻ってからも、お母様が治癒魔法をかけ続けていた。
それでも、完治にはまだ時間がかかるらしい。
ヒロは現在、屋敷の客室の一つで静養していた。
目を覚ましたという知らせを受け、私はお父様、お母様、アーサー、そしてセシルと共に、ヒロの休む客室へ向かった。
◇◇◇
部屋へ入ると、ヒロは上体を起こし、ベッドの上に静かに座っていた。
その傍らにはレオの姿がある。どうやら、ずっと付き添っていたらしい。
私たちに気づくと、レオはベッド脇の椅子から立ち上がり、その場所をお父様へ譲った。
そして自分は、少し下がって壁際へ移動する。
ヒロの顔色はまだ優れず、頬も幾分こけている。折られた足は添え木と包帯で固定され、そのまま布団の上へ横たえられていた。
私たちの姿を見ると、ヒロは深々と頭を下げる。
「この度は、ご心配をおかけしました」
「頭を下げる必要はない」
お父様はそう言って、傍らの椅子へ腰を下ろした。
「体調はどうだ?」
「足以外は、特に問題ありません。ポーションとミランダ様の治療のおかげで、随分楽になりました」
「そうか」
お父様が静かに頷く。
「骨は繋げられても、失った血や体力はすぐには戻らないものよ。しばらくは無理をせず、しっかり養生なさい」
お母様も、ベッドの端に腰掛け、案じるように言葉を添えた。
「それはそうと——捕えていた見張りたちへの尋問も、一通り終わったぞ」
お父様の声音が、少しだけ鋭さを帯びる。
「お前からも、覚えている範囲で話を聞かせてもらえるか」
「はい」
ヒロは小さく頷き、一度静かに息を吸い込んだ。
◇◇◇
「探索を開始して、八日目のことでした」
ヒロの声は穏やかだったが、その奥にはどこか張り詰めた硬さが滲んでいた。
「夕食前、三名の冒険者と共に周辺の見回りへ出ました。いつものように、途中で二手に分かれ、私は冒険者の一人と共に東側の外縁を確認していたのですが——その時、森の外れに見知った人影を見ました」
「そんなところに知り合いが?」
「……はい。アデル・クラウゼン——古い知り合いです」
その名に、室内の空気が静まり返った。
「今になって思えば、幻覚魔法か何かだったのでしょう。見かけた彼女は、最後に見た八歳の姿をしていました。ですが、その時の私は、まったく疑いもしませんでした」
ヒロの手が、布団の上で静かに握られる。
「なぜあんな場所にいるのか——そう考えるより先に、私は彼女の方へ駆け出していました。そして、待ち伏せしていた男たちに囲まれたのです」
「一緒にいた冒険者はどうした?」
「わかりません。アデルの姿を見た瞬間、私は身体強化を使って飛び出していましたから。あの日は曇天で、辺りも薄暗かった。恐らく、私とはぐれたと判断して、他の者たちの元へ戻ったのではないでしょうか」
「ふむ……報告されている状況とも一致するな。それで、敵は何人いた?」
「十人ほどです。拘束用の魔道具を発動され、動きを封じられました。その後、首に魔道具を嵌められ、魔法を使えなくされました」
ヒロはそこで一度言葉を切った。
「反撃できないと判断された後、逃亡防止のために足を折られました」
レオの表情が険しく歪む。
「……それで動けなくなったところを引きずられて、転移陣に乗せられたってことか」
「そのようです。気づいた時には、あの遺跡の中にいました」
お父様が低く呟く。
「お前ほどの実力者が遅れを取るとはな。相手も、よほど周到に準備していたらしい」
「申し訳ありません」
ヒロは静かに頭を下げた。
「今振り返っても、なぜあれほど簡単に罠にかかってしまったのか、自分でもわかりません」
「ヒロ」
お母様が静かな声で呼びかける。
「あなた、このところ悩み事を抱えていたのではなくて? アデルというお嬢さんや、クラウゼン家のことで」
ヒロがわずかに目を細めた。
「……既にご存知でしたか」
「兄さん、水臭いんだよ」
それまで黙っていたレオが、堪えきれないように口を開く。
「どうして今まで、何も話してくれなかったんだ」
「すまない、レオ」
ヒロは真っ直ぐ弟を見つめた。
「私にとっては、とっくに捨てた家のことだった。もう関わるつもりもない。過去のものだと思っていたんだ。だから、春にオスカーと偶然再会した時も、深刻には考えていなかった」
「……でも、向こうは違った」
「ああ」
ヒロは苦く笑うように目を伏せる。
「次第に、今さらどう向き合うのが正解なのかわからなくなっていった。特に、アデルから手紙が届いてからは——」
そこで言葉を切り、静かに視線を落とした。
「縁談が決まったそうだ。隣国へ行く前に、一度会いたいと書かれていた。どう返事をするべきなのか、ずっと考えていたんだ」
「二人とも」
お母様が穏やかに割って入る。
「この件については、ひとまず今回の問題が片付いてから、改めてゆっくり話しましょう。爵位のことも含めて、ね?」
レオは少しだけ不満そうな顔をしたものの、最後には小さく頷いた。
ヒロも目を閉じ、静かに頭を下げた。
◇◇◇
「それよりも、だ」
お父様が話を引き取る。
「誰が何の目的でヒロを拉致したのか、整理しておく必要がある。それと、使われた魔道具について——あれは、我が国では使用が禁止されている、隣国で開発された『魔法を制限する』ものだった」
「禁止されているものが、なぜ……」
「ちょうど昨夜、セシル様の元にレイノルド殿下からの追加報告が届いたの」
そう言って、お母様がセシルに視線を向ける。
「はい。その魔道具、やはりソルティス商会が関係していたようでした。具体的には——」
セシルが届いた情報について、詳しく述べていく。すべての話を聞き終えると、ヒロが静かに口を開いた。
「……そうですか」
ヒロは一度目を伏せ、それからゆっくりと顔を上げた。
「しかし、何故私が狙われたのでしょう。私のような使用人を捕えたところで、たいした影響力もありませんのに」
「何を言っているんだ、ヒロ」
お父様の声が、低くなった。
「お前は大切なオンタリオの一員だ。この館にいる誰一人として、お前のことを切り捨てられる者はいない」
ヒロが、かすかに息を呑む。
「……ありがとうございます」
「あの、」
レオが遠慮がちに手を上げた。
「ソルティス商会は、そもそも何故オンタリオにこんなことを?」
「そういえばレオは修行に出ていて詳細は知らなかったわね」
お母様は、塩の供給停止の件から今日に至るまでの経緯を、かいつまんでレオに説明した。
話を聞き終えたレオが、静かに言った。
「そういえば、先日のローゼンベルク様の報告にもありましたね。ソルティスとクラウゼンの繋がりについて」
「そうだな」
お父様が腕を組む。
「クラウゼン子爵は邪魔者を排除する。ソルティスはそれに協力する代わりに恩を売る——そういう話か」
「それだけ、でしょうか?」
私は思わず割って入る。
「ヒロは領政、軍務の両面でオンタリオを支えてくれています。ヒロを狙うことでオンタリオへの打撃も狙ったんじゃないでしょうか」
それまで黙っていたアーサーも口を開く。
「俺もそう思います。クラウゼン子爵に”恩を売る”ためだけに、禁止された魔道具に手を出すのは、リスクの方が高い気がします」
その言葉に、皆が考え込むように沈黙した。
するとセシルが意を決したように、声を上げた。
「実は、まだ確証が取れていなかったため伏せていましたが、ソルティス侯爵家には以前より禁製品輸入の疑いがあります」
セシルが静かに続ける。
「ただ、禁止魔道具の使用が確認されたのは——今回が初めてのようです」
部屋の中に再び沈黙が降りる。
その沈黙を破ったのはヒロだった。
「なるほど……それなら、魔道具の性能実験も兼ねていたのかもしれませんね。実験対象として、私はちょうど良さそうです」
その声は落ち着いていたが、どこか苦いものを含んでいた。
お父様が小さく鼻で笑った。
「随分と舐めた真似をしてくれるもんだな」
そう言って、ゆっくりと立ち上がる。
「ここは一つ、きっちりお礼をしておかないとな」
お父様は不敵な笑みを浮かべた。
「あとは任せておきなさい」
お母様も穏やかに微笑んで立ち上がると、二人で部屋を出て行った。




