第72話:導き
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セシルの報告を聞いた後、私はいてもたってもいられず、お祖父様を説き伏せて探索隊の野営地まで連れて行ってもらうことにした。
「絶対に魔の森へは入らんこと。それが条件じゃ」
お祖父様はそう言って、じろりと私を見る。
「はい」
「隊員たちに料理を振る舞ったら、明日の朝には帰るんだぞ」
「わかりました」
「パトラッシュから絶対に離れるな」
「わかりました!」
あまりにも何度も念を押され、最後は少しだけ返事が雑になってしまった。
お祖父様は呆れたように息を吐いたものの、それ以上は何も言わない。
——よし、許可が出た。
私はお祖父様の気が変わらないうちに、さっさと出発準備を始めたのだった。
◇◇◇
夕方に到着した野営地は、魔の森の外縁に沿うように広がっていた。
大きな天幕がいくつも並び、その周囲を騎士たちが警戒している。奥では、交代した冒険者たちが思い思いに身体を休めていた。
私がパトラッシュの背から降りると、見張りの騎士が目を丸くする。
「お嬢様……!どうしてこちらに?ここは危険なのですが……」
騎士がチラリと背後のお祖父様に視線を向ける。
「お祖父様の許可はいただいています。頑張ってくださっている皆さんに、お料理を作りに来たんです」
そう言って荷台の食材を示すと、騎士は「本気ですか」と言いたげな顔になった。
けれど、後ろのお祖父様が小さく頷くのを見て、渋々荷下ろしを手伝ってくれた。
焚き火を起こし、大鍋を据える。
やがて、昆布と味噌の香りが漂い始めると、休んでいた冒険者たちがちらちらとこちらを見始めた。
夏の終わりとはいえ、北の端に位置する魔の森付近は、朝晩になると冷え込む。
少しでも英気を養ってもらいたくて、私はワイルドボアの肉に、きのこや根菜をたっぷり入れた豚汁を作ることにした。
騎士たちにも手伝ってもらいながら手早く仕上げ、出来上がった豚汁を次々と椀によそって配っていく。
湯気の立つ器を受け取った騎士が、ほっと息を吐いた。
「……うまいですね」
隣の冒険者も感心したように頷く。
「初めて食べました。これが噂の『味噌汁』ですか……」
「これはワイルドボアの肉を使っているので、正確には“豚汁”……いや、“ワイルドボア汁”でしょうか。たくさん作ったので、遠慮なくおかわりしてくださいね」
次の椀を差し出しながら、私は笑った。
本当は、おにぎりみたいにもっと腹持ちのするものも作りたかった。
けれど、夏の終わりの今は、これだけの人数に振る舞えるほど米に余裕がない。
隣では、レオが懐かしそうに豚汁を啜っていた。
「うまい」
しみじみと零れたその一言に、私も思わず口元を緩める。
けれど、レオの視線はずっと森の入口へ向けられたままだった。
まるで、いつ何が起きても動けるように警戒しているみたいに。
「レオ、もう一杯どう? 好きだったよね、豚汁」
そう声をかけると、レオはようやくこちらを見て、少しだけ目元を和らげた。
空になった椀が差し出される。
私はそれを受け取り、新しくよそって手渡した。
「ありがとう。お嬢の豚汁は、相変わらず美味いな」
そう言って大切そうに椀を受け取ると、レオは再び森の入口へと視線を戻した。
◇◇◇
夜。
私はパトラッシュの毛皮に埋もれるようにして横になっていた。
皆には天幕で休むよう勧められたけれど、森の気配が気になって、どうしても屋根の下に入る気になれなかったのだ。
目を閉じても、ヒロの安否への不安は募るばかりで、なかなか眠れない。
現場に来れば何かわかるかもしれない——そんな淡い期待を抱いて押しかけてきたものの、結局、私にできることなんて何もなかった。
「……せめて、ゆっくりレオの話を聞いてあげたかったな」
表向きは冒険者として落ち着いて振る舞っているけれど、ヒロのことを不安に思っていないはずがない。
誰にも気持ちを吐き出せないのなら、せめて私だけでも受け止めてあげたかった。
——でも、レオは仕事でここにいるんだもん。難しいよね。
なら、せめて美味しい朝ごはんを作ってあげよう。
レオは塩の利いた卵焼きが好きだったっけ。
それとも、久しぶりにあの肉入りのサンドイッチを作ろうかな……。
そんな取り留めのない思考も、パトラッシュの温もりと柔らかな毛並みに包まれているうちに、少しずつ溶けていく。
私はいつの間にか眠りへと落ちていた。
——どれくらい眠っていたのだろう。
東の空がうっすらと白み始めた頃、ひやりとした風が一筋、頬を掠めていった。
その瞬間、パトラッシュがぴくりと耳を立てる。
その気配に引き上げられるように、私の意識もゆっくりと浮上した。
「……パトラッシュ?」
目を開けると、パトラッシュはすでに身体を起こしていた。
鼻先を空へ向けたまま、じっと動かない。
——その時だった。
胸の奥へ、何かが流れ込んでくる。
それは、加護を通して伝わってきた、迷いのない確信だった。
——見つけた。
「……え?」
私は弾かれたように身を起こした。
「みんな、起きて! パトラッシュが『見つけた』って——!」
叫ぶのと同時に、パトラッシュが駆け出す。
私は慌ててその背へ飛び乗った。
背後で、「何だ!?」「どうした!?」という声が飛び交う。
「お嬢様!」という叫びも聞こえた。
けれど、止まれない。
「ハルカ!」
お祖父様の声が響く。
「ついてきて、お祖父様! パトラッシュが、ヒロを見つけたみたい!」
その声に呼応するように、お祖父様の鋭い指示が飛んだ。
「夜番の者は残れ! 他は準備が整い次第、追え!」
直後、自らも駆け出した気配がする。
夜明け前の草原を、パトラッシュは風のように疾走していく。
すぐ後ろでは、レオも凄まじい勢いで追ってきていた。
身体強化を使っているのだろう。
人間離れした速度だ。
それでも、パトラッシュには届かない。
一切迷うことなく、ただ真っ直ぐ東へ——魔の森に沿い、朝日が昇ろうとする方角へ駆け続けていく。
◇◇◇
しばらく駆け続けた先で、パトラッシュが辿り着いたのは、隣国との国境近くにある石造りの遺跡だった。
街道から外れているせいで、人の寄り付かない場所だ。
断崖を穿ち、岩肌と一体化するように築かれたその遺跡は、長い年月に晒され、半ば朽ちかけているように見えた。
それでも、朝日を浴びた姿は、どこか厳かな雰囲気を纏っている。
パトラッシュは躊躇うことなく、その奥へと進んでいった。
やがて、草が絡みつく崩れた石壁の一つにたどり着くと、パトラッシュはその前で立ち止まり、前脚で壁の一角を叩いた。
「ここか」
追いついたレオが、息を整えながら近づいてくる。
私もパトラッシュから降り、その後ろへ続いた。
その時だった。
「——誰だ!」
物陰から飛び出してきた男が、鋭い声と共に剣を抜いた。
さらに反対側の茂みからも、もう一人現れる。
「ちっ、見張りがいたのか!」
レオが舌打ちした。
「逃がすな! ガキど——」
男が最後まで言い切るより早く、パトラッシュが地を蹴った。
銀灰色の巨体が風のように駆け抜ける。
「ぎゃっ——!?」
鋭い爪が男の腕を薙ぎ払い、剣が地面へ吹き飛んだ。
もう一人が慌てて短剣を抜く。
けれど、その瞬間には、レオが懐へ踏み込んでいた。
「邪魔だ」
低い声と共に放たれた拳が男の鳩尾へ突き刺さる。
男は呻き声を漏らし、そのまま地面へ崩れ落ちた。
残った一人が後ずさる。
「な、なんだこいつら……!」
「パトラッシュ!」
私が呼ぶと、パトラッシュは唸り声を上げながら男の前へ回り込み、逃げ道を塞いだ。
男が怯んだ隙に、私は地面に魔力を流し、男の両足を土で固めて拘束した。
「うわっ!?」
身動きができなくなり、動揺したところへ、レオが容赦なく剣を突きつける。
「動くな」
短い制圧だった。
けれど、その直後。
——ギィ、と。
遺跡の奥から、重い扉が軋む音が響いた。
「……っ!」
レオと同時に振り返る。
暗闇の中から、一人の男が姿を現した。
痩せた男だった。
ローブ姿のその手には短杖が握られている。
男は扉を開けた瞬間、私たちと目が合った。
「なっ!?……侵入者か!」
両足を拘束され、剣を突きつけられる仲間が視界に入ったのだろう。
一瞬の動揺の後、慌てて杖を振りかざす。
嫌な気配が空気を震わせた。
「魔法使い!」
私が叫ぶのと同時に、男の杖が光った。
放たれた火球を、レオが咄嗟に横へ飛んで回避する。
私も急いで『大地の盾』を展開した。
爆音。
盾が砕け、熱風が吹き荒れた。
「お嬢、下がれ!」
レオが叫ぶ。
だが、その隙に男は再び杖を掲げていた。
「面倒な……!」
次の詠唱が始まる。
けれど、その瞬間。
パトラッシュが低く唸った。
男の背後——遺跡内部へ向かって。
「……!」
そこにいる。
ヒロが。
「レオ! 中!」
「ああ!」
レオは一気に地面を蹴った。
魔法使いが慌てて杖を向ける。
火球が炸裂した。
だが、パトラッシュの方が一歩早い。
爆煙を突き破るように、パトラッシュが男へ体当たりを叩き込んだ。
「がはっ!?」
吹き飛ばされた男の杖が宙を舞った。
その隙を、レオは見逃さない。
一気に間合いを詰めると、身体強化を乗せた拳を男の顎へ叩き込んだ。
鈍い音。
男は白目を剥き、そのまま崩れ落ちた。
「行くぞ!」
レオが奥へ駆け込む。
私は倒れ込んだ男を『大地の盾』で逃げないように囲い込んだ後、その後を追った。
室の中は、石壁の隙間から漏れる薄光がところどころ差し込んでいた。
レオは、薄闇に目を慣らしながら、慎重に奥へと進む。
やがて、さほど広くはない石室の一番奥——石で塞がれた入口だったと思われる場所にたどり着くと、レオは壁に耳を当て、何箇所かコンコンと叩きながら、中の様子を伺った。
「手前は空洞か……? ——その奥に、もう一枚壁があるみたいだな。これなら……」
「ハルカ、下がってて」
そう言うや否や、レオは腰を落とした。
一撃。
二撃。
三撃。
——身体強化を乗せた拳が、石壁へ叩きつけられる。
轟音と共に、石壁の一部が崩れ落ちた。
舞い上がる粉塵の中、レオが躊躇なく中へ踏み込む。
私も、その後を追うように石室へ足を踏み入れた。
粉塵が少し落ち着き、わずかに石壁の隙間から漏れ入る光を頼りに目をこらす。
すると、石室の奥に、人影があった。
壁へ背を預け、崩れるように座り込んでいる。
手首には縄が食い込み、身体のあちこちには傷と汚れが見えた。
「兄さん……!」
「ヒロ!」
私たちは思わず駆け出していた。
久しぶりの共闘回でした。
ハルカも成長して戦い方に幅が出てきましたが——レオ、本当に強くなりましたね~~。
以前とは少し変わった二人の戦い方、楽しんでいただけていたら嬉しいです!




