第66話:急報
探索隊が出発してからも、慌ただしい日々が続いていた。
十月には領都アルテンブルグで一号店がオープンすることが決まり、化粧品の量産化も本格的に始動。私は開店準備に追われる毎日を送っていた。
さらに、一月の社交シーズンに向けて、十二月には王都店舗も開きたいとフリッツが張り切っている。
この忙しさは、間違いなく年内いっぱい続きそうだった。
そのせいで、私はアーサーたちの騎士団訓練にまったく顔を出せていない。
夕食の席で、二人から楽しそうに訓練の話を聞かせてもらうのが、最近の日課になっていた。
そんな慌ただしい毎日が、十日ほど過ぎたある朝——。
まだ空が白み始めたばかりの時間、私はルナに肩を揺さぶられて目を覚ました。
「お嬢様、起きてください」
どこか切迫した声色に、胸がざわつく。
「……ルナ? 何かあったの?」
目をこすりながら身を起こして尋ねると、青白い顔をしたルナが、ゆっくりと告げた。
「探索隊から急使が来ています」
◇◇◇
急いで身支度を整え、廊下へ飛び出すと、緊張した面持ちのセシルとアーサーが部屋から出てきた。
「何があった」
セシルが低い声で問う。
「わからない。でも、急ごう」
三人で小走りに向かった執務室には、お父様とお母様、そして埃と汗にまみれた騎士の姿があった。
荒い息遣いと乱れた髪が、ここまで休みなく駆けてきたことを物語っている。
「落ち着いて話せ」
お父様はセバスに水を持ってくるよう指示を出すと、騎士へ静かに声をかけた。
「は——はい。実は、昨夜からヒロ殿の行方がわからなくなりました」
受け取った水を一気に飲み干し、呼吸を整えると、騎士は慎重に言葉を選ぶように続けた。
「最後に確認されたのは、夕食前の見回りの時です。途中まで一緒だった者がいたのですが、はぐれてしまい、その後、食事の時間になっても戻らず、野営地内を捜索しましたが見つかりませんでした。荷物も残されたままで……」
「争った痕跡は?」
「ありませんでした。魔物の気配も、賊の侵入も。ただ、姿だけが消えていました」
執務室に重い沈黙が落ちる。
「父上は?」
「はい。すぐに周辺の捜索に当たられました。ただ、夜の森で広範囲を探すのは困難で……夜明けを待って、改めて捜索範囲を広げるとのことです」
「詳細はこちらの手紙に——」そう言って、懐から一通の手紙を差し出した。
「わかった」
お父様はその手紙を受け取ると、短く息を吐いた。
「すぐに応援を手配する。ご苦労だった。休め」
伝令の騎士が下がると、お父様は受け取った手紙を開封し、それをお母様とセバスにも読むように差し出した。
「今の時点では、情報が少なすぎる。取り急ぎ、冒険者ギルドへ捜索協力を依頼しよう。事故で動けなくなっている可能性もある。医師と薬師の手配も頼む」
「承知しました」
指示を受けたセバスは一礼すると、すぐに部屋を出ていった。
「今できることは、このくらいか……」
「ええ。とにかく、今はヒロの無事を祈るしかないわね」
二人の会話が途切れた瞬間、私は堪えきれず一歩前へ出た。
「お父様。私にも手伝わせてください」
自分でもわかるほど、声が強張っていた。
「何か事故に遭って動けないだけなら、きっと近いうちに見つかると思います。でも……もし事件だったら?そんなこと、あってほしくないけど、失踪とか、誘拐とか……」
すると、アーサーも私の隣へ進み出た。
「ヒロは最近、何か思い悩んでいるようでした。それが今回の件と関係しているなら、事件の可能性も考えるべきだと思います!」
「私たちにも、今わかっている情報を見せてください!」
私たちの必死の訴えを聞き終えると、お父様は何かを測るように、じっとこちらを見つめた。
やがて小さく息を吐き、
「……わかった」
そう言って、引き出しから書類を取り出すと、先ほどの手紙と一緒に机へ並べていく。
探索日誌。
隊員たちの健康状態の記録。
そして、先ほどの騎士が持参したお祖父様からの手紙。
私たちは執務室の隅にある机を借り、書類を広げて読み始めた。
「最後の目撃は夕食前の見回りか。二手に分かれていて、ヒロは冒険者と共に、二人で東側を担当していたみたい——けど、その冒険者も、途中でヒロと逸れたんだって」
日誌を確認しながら、アーサーが続ける。
「この日は朝から薄曇りだったみたい。夕方にはさらに雲が厚くなって、かなり暗かったって書いてある」
「足跡はなかったのか?」
セシルもこちらへ歩み寄り、私の手元の手紙を覗き込んだ。
「『探したが見当たらなかった』って書いてあるね」
私は文字を追いながら、頭の中で状況を整理する。
——荷物はそのまま。
争った跡もない。
魔物に襲われた痕跡も残っていない。
ただ、昨夜は暗闇の中での捜索だった。
夜明け後に範囲を広げれば、何か見つかる可能性はある。
でも……。
魔物なら、何かしら痕跡が残るはずだ。
それなのに、何もないとしたら——。
「自分で出ていったんじゃないなら、人間の仕業だと思う」
口にすると、セシルも静かに頷いた。
「そうだな。だが、ヒロ殿を拉致できる人間がどれほどいるか——」
確かにその通りだ。
ヒロは体術、剣術、魔法、そのすべてに秀でている。
だからこそ、あの若さで探索隊の責任者に抜擢されたのだ。
並の騎士や冒険者では太刀打ちできない。
「……複数人か、あるいは別の手段があったか。もしくは、ヒロ殿本人の意思でどこかへ——」
「ヒロが、私たちに何も言わずに出ていくなんてありえない!」
気づけば、私は声を荒げていた。
「まして今は探索隊の責任者なんだよ。それを放り出して姿を消すような人じゃないもの!」
「落ち着いて、ハルカ」
アーサーが宥めるように声をかける。
「ここにいる誰も、ヒロがそんな人だとは思ってないよ」
「……すまん。言い方が悪かった」
セシルも眉を寄せた。
「俺も、ヒロ殿がそんな無責任な人間じゃないって信じてる」
「……私こそ、ごめんなさい」
謝った私の背後から、お母様が静かに口を開いた。
「どちらにしても、今の段階で断定はできないわ」
その声は落ち着いていたけれど、どこか張り詰めていた。
「でも、あなたたちの言う通り、“人間の仕業”を前提に動いておくべきだとは思うの。狙いがヒロ本人なのか、それともオンタリオそのものなのか——まだ何もわからないけれど」
「そうだな」
お父様も低く頷いた。
「闇雲に動いても仕方ない。まずは続報を待とう。具体的に動くのは、それからだ」
その冷静な言葉に、私たちは黙って頷くしかなかった。
◇◇◇
翌朝——待ち続けていた続報が届いた。
夜明けとともに再開された捜索で、拉致の痕跡が発見されたという。
東側の森の外れ。
地面に残された複数の足跡。
何かを引きずったような跡。
そして、途中で折れた木の枝が数本。
「……人間の足跡か」
報告を聞きながら、お父様が険しい表情を浮かべる。
「はい。ただ、どこへ向かったかまでは追跡できておりません。途中から足跡が消えていて……」
「消えた?」
「転移魔法、あるいは転移系の魔道具を使用した可能性があります」
その言葉に、部屋へ重い沈黙が落ちた。
転移魔法や転移陣を扱える者など限られている。
それだけで、優秀な魔法使いが関わっていたことがわかる。
私たちが息を呑む中、お父様はすぐに指示を飛ばした。
「ミランダ。治安維持隊を率いて周辺を捜索してくれ。仮に、転移陣を使ったならば、転移先はそう遠くないはずだ。隣接する村や街道筋も含めて虱潰しに頼む」
「わかりました」
お母様は短く答えると、すぐに動き出す。
「冒険者ギルドへの応援要請は?」
「すでに手配済みです。明日には第一陣が現地へ到着するかと」
セバスが即座に答えた。
「よし。ではセバスは、魔道具の特定と入手経路を洗え。扱える商会は限られるはずだ。各ギルドにも協力を要請してくれ」
「承知しました」
一礼すると、セバスもまた慌ただしく部屋を後にした。
私たちも、お父様たちの邪魔にならないよう静かに執務室を後にする。
慌ただしい足音が遠ざかり、部屋には重い静寂だけが残った。
「……何としても生き延びろよ、ヒロ。生きてさえいれば、必ず助け出してやるからな」
その呟きを聞く者は、誰もいない。
ただ、窓から差し込む夏の日差しだけが、沈痛な横顔を静かに照らしていた。




