閑話:パトラッシュの審査
ハルカと別れた直後、セシル視点のお話です。
ハルカと別れ、庭の奥へ向かって歩いていると、双子の笑い声が聞こえてきた。
「わあ!」
「もいっかい!」
声のする方へ目を向けると、芝の上を大きな影がのんびり歩いていた。
でかい。
思わず足が止まる。
馬よりも大きな体。銀白の毛が陽光を反射して青みがかって見える。その背に、アリサとヒナタがしがみついてキャッキャと笑っていた。
——あれが、時々話題に上がっていたパトラッシュか。
シルバーフェンリル。話には聞いていたが、こうして目の前にすると——。
「でかいな」
思わず声に出ていた。
その瞬間、パトラッシュの耳がぴくりと動いた。
そして、アリサとヒナタを背中に乗せたまま、パトラッシュがゆっくりとこちらへ向いた。
琥珀色の瞳が、俺をじっと見ている。
「よお」
とりあえず声をかけてみる。
パトラッシュは無言だ。いや、喋れるわけはないが。
「邪魔するつもりはない。素振りをしに来ただけだ」
説明してみる。
パトラッシュはやはり無言だった。ただ、じっと俺を見ている。
「……なんだ?」
その視線が、なんとなく居心地悪い。
値踏みされている感じがした。
「せしる!」
アリサが背中の上から身を乗り出して、俺に手を振った。
「よお」
手を振り返すと、アリサがパトラッシュの背から飛び降りようとした。
それに気づいたパトラッシュは、降りやすいようそっとその場に身を屈める。
アリサはぴょんと軽やかに飛び降り、ヒナタもゆっくりと背から地面へ降り立った。
そして二人は、楽しそうに辺りをぐるぐると走り回り始めた。
パトラッシュはそんな二人に一切動じることなく、ただ俺を見続けていた。
「邪魔するつもりはない。俺は向こうで素振りでもしてくる」
そう言って、一歩前に進もうとした。
ところが、俺の動きに合わせるように、パトラッシュも一歩、前に出た。
俺が止まると、パトラッシュも止まった。
——なるほど。そういうことか。
「通してほしいんだが」
パトラッシュは返事をしない。
ただ、鼻をひくひくと動かして、俺の方をくんくんと嗅いでいる。
「……ハルカと話していたからか?」
問いかけてみると、パトラッシュの耳が後ろに倒れた。
「なるほど。審査というわけか」
俺は木剣を脇に抱え、腰を落として目線を合わせた。
「よし、じゃあちゃんと名乗ろう。俺はセシル・ローゼンベルクだ。レイノルド殿下の側近で、アーサーの護衛のためにオンタリオに来た。ハルカとは、一週間一緒に訓練した仲だ」
パトラッシュは微動だにしない。
「悪い人間じゃない、と自分では思っている」
パトラッシュは俺の顔を、しばらくじっと見つめた。
それから、ふん、と鼻を鳴らした。
「……合格か?」
パトラッシュはくるりと向きを変え、アリサとヒナタを追って歩き去っていった。
「「ばいばい、せしる!」」
双子が振り返って手を振る。
俺も手を振り返した。
◇◇◇
休憩時間を終え、護衛任務に戻った俺は、アーサーに尋ねてみることにした。
「なあ、アーサー。パトラッシュにああいう習性があることは知っていたか」
「ああいうって?」
「ハルカに近づいた人間を、観察したり牽制したりする習性だ」
「ああ」と少し苦笑気味に答えるアーサー。
「知ってる。俺も最初にやられた」
やっぱりか。俺だけじゃなかったことに、少し安堵の息を吐く。
「……ここに来て最初の朝、顔中を舐め回された」
「それは審査とは言わないな」
「あれは挨拶の方だったらしい」
「挨拶……」
「審査されたのはその後。当時は、ハルカを取られると思ったんじゃないかって、ミランダ様は言っていた」
「今は違うのか?」
「今は……まあ、大分仲良くなった、と俺は思ってる」
アーサーがそっと視線を逸らした。どことなく、目が泳いでいる。
「アーサー」
「何」
「お前、パトラッシュに認められるのに、どのくらいかかった?」
「……一ヶ月くらい」
俺は沈黙した。
隣でヒロが「私は三日ほどで慣れてもらえましたね」とさらりと言い、俺はまた沈黙した。
「まあ、私はパトラッシュより先にお嬢様の側にいましたし、お嬢様を手伝ってミルクをあげたりしてましたからね」
「それでは参考にならん」
「それは申し訳ありません」
ヒロはいつも通り穏やかな顔をしていた。
◇◇◇
翌朝の自主練。
訓練場に向かう俺の前に、パトラッシュがいた。
道の真ん中に座り、俺を見ている。
「……おはよう」
パトラッシュは動かない。
「通してほしいんだが」
パトラッシュは動かない。
俺は大きく息を吸い、吐いた。
「わかった。長期戦だな」
パトラッシュは、ふん、と鼻を鳴らした後、くるりと向きを変えると、そのまま悠然と去っていった。




