第59話:アーサーの心配事
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アーサーの部屋に通されると、窓が少し開いていた。この時期特有の、少し湿り気を帯びた暖かな風が、薄いカーテンをゆるやかに揺らしている。
促されてソファに腰を下ろすと、アーサーも向かいに座る。
そこへ、いつの間に準備したのか、ルナが手際よくお茶を用意しテーブルに並べていった。
私たちは、カップを手に取り、淹れたての紅茶に口をつける。
「そういえば、こうして二人だけでゆっくり話すの久しぶりだよね。王宮はどうだった? 嫌な思いはしなかった?」
アーサーはカップを置き、穏やかに微笑んだ。
「うん。思っていたより大丈夫だった。父上も兄上も、今は俺の味方だって信じられるし、自分の身を守れるだけの強さと知識も身につけたし。それに——王宮で俺に向けられる視線も少し変わった気がするんだ」
「視線?」
「俺っていうより、オンタリオに向けられてるって言ったほうが正しいかな」
「どういうこと?」
「たぶん、去年披露したラオウ様の演舞の影響だと思う。なんというか……敬意というか、畏怖というか。とにかく『一目置かれてる』感じだった」
「そうなんだ。さすがお祖父様……なのかな?」
アーサーと目が合うと、同時にフッと笑いが溢れた。
笑ったことで肩の力が抜けたのか、アーサーが軽い調子で口を開いた。
「実は俺、兄上から王宮に戻ってこないかって言われてるんだ」
「え?」
びっくりして思わず声が漏れた。昨年、レイノルド殿下の謝罪を受け入れてから手紙のやり取りが続いているとは思っていたけれど、まさかそんな話が出ているなんて——。
心臓がどくりと大きな音を立てた。
「とはいっても、この話はグランフェルトから戻ってすぐに届いた手紙に書かれていただけで、今すぐってわけじゃないんだ。今回お会いした時にもまったく触れられなかったし……」
「……そうなんだ」
無意識に強張っていた体が解れ、安堵の息が漏れる。やっと酸素が肺まで届き、止まっていた時間が動き出した気がした。
……でも、そっか。アーサー、いつかは王宮に戻るのか。
体も健康になって、魔法も使えるようになった。魔力過多症の発作も心配ない。何より、陛下や殿下とも和解して、家族としての交流も増えてきている。
——それなら、もう……
「ハルカ!」
はっとして顔を上げる。思考に沈んでいた意識が引き戻され、アーサーの澄んだ空色の瞳と目が合った。
「誤解しないで。俺はハルカの側が自分の居場所だと思ってる——だから、兄上の誘いに乗るつもりはない」
「……うん」
動揺してしまったことをアーサーに気づかれただろうか——何となく気まずくなって、私は再びカップの紅茶をコクリと飲み、そのまま褐色の液体が揺れるのを見つめていた。
アーサーも同じようにカップを手に取ると、残っていた紅茶を一気に飲み干した。すかさずルナが寄ってきて、そっとおかわりを注いでいく。
湯気の立つカップから顔を上げたアーサーが、少しだけ表情を引き締めて私を見た。
「ところで、ハルカ。実は今日の本題——というか、相談したいことがあるんだけど、いいかな」
——なんだろう。アーサー、さっきより張り詰めた表情だ。もっと切実な話なのかな。
不安が胸をよぎる。けれど、これ以上動揺しているところをアーサーに知られたくない。
「もちろん。何?」
私は殊更明るい声で返事をした。
「ヒロのことなんだけど」
言いながら、アーサーは視線を落とした。
「王宮に行った頃から、考え込むような顔が増えた気がして。最初は探索隊の準備で忙しくて疲れてるのかと思ってたんだけど……だんだん、暗い顔していることが多い気がして」
「ヒロが?」
思わず聞き返す。
執事見習いとして教育を受けるようになってからのヒロは、常に落ち着いていて感情を表に出さない。どんなに忙しくても、あの穏やかな表情が崩れることはほとんどなかった。
「気になってるんだけど、俺が尋ねても『何でもありません』としか答えてくれなくて」
ため息まじりに呟くアーサーに、私も何と言っていいかわからない。最近は私も忙しすぎて、そういえばヒロともほとんど顔を合わせていなかったことに気づく。
「失礼いたします、お嬢様」
その時、部屋の隅に控えていたルナが珍しく声を上げた。
「恐れ入ります。その件について、私からもご報告してよろしいでしょうか」
「もちろん。どうしたの、ルナ。話に入ってくるなんて珍しいね」
「実は先日、ヒロ宛にヴァルター・クラウゼンという方から手紙が届いておりました」
ルナが静かに続ける。
「内容は確認しておりませんが、その手紙を受け取った際、ヒロが珍しく動揺していたのが気になりまして」
「ヴァルター・クラウゼン?」
私はアーサーを見る。
「知ってる?」
「いや。王宮で紹介された人たちの中にはいなかった名前だ」
「実はそれ以前にも、オスカー・クラウゼンという方から手紙が届いておりまして。同じ姓の方から短期間に続けて連絡があったことが気になり、軽く調べてみたのですが」
ルナは淡々と説明を続ける。
「クラウゼン子爵家は、領地を持たない中立派の王宮貴族でした。最初の手紙は嫡男オスカー様から、今回のヴァルター様はその父君にあたる方のようです。お二人とも法務部に所属されております」
「法務部……仕事関係かな」
アーサーが呟く。
「それにしてはおかしいと思うの」
私は首を傾げた。
「息子と父親、二人から立て続けに連絡が来るって不自然じゃない? しかも父親の手紙は、中身を読む前から動揺してたんでしょ? 明らかに名前に反応してる」
「はい。私も同様に感じました」
ルナが頷く。
「おそらく、その父親との間に何かあったのではないかと」
「ルナが今この話を出したってことは、ヒロが浮かない顔をしていることと、何か関係があると思ってるんだね」
「はい」
短い返答だったが、それで十分だった。
私は少し考えてから口を開く。
「わかった。この件はもう少し様子を見て、直接ヒロに話を聞いてみる。それで、必要ならお父様やお祖父様にも相談してみるね」
「うん。ありがとう」
アーサーの声には、わずかな安堵がにじんでいた。




