第58話:急な話
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化粧品の商品化に目処が立ち始めてからというもの、毎日がめまぐるしくなった。
薬師ギルドに依頼していた成分分析の結果を受け、改良方法の打ち合わせと試行錯誤を繰り返す。並行して、量産化の拠点となる工房候補地の視察や、人員の確保にも動いていた。細かな調整が次々と発生し、そのたびにフリッツと顔を合わせる日々が続いている。
さらに、マークからは今年の米と澄み酒の生産計画、そしてそこから確保可能な酒粕についての報告書が届いた。目を通して返事を書いているうちに、気がつけば午前中が終わっていた、という日もある。
はっきり言って、多忙だった。
そんな慌ただしい日々の中、第二回探索隊の派遣予定が正式に決まったと、夕食の席でお父様から告げられた。
出発は半月後、期間は二十日間。手帳に日付を書き込みながら、私は「いよいよだな」と、期待に胸を膨らませた。
——そんなある日の午後。
お父様から、「二人とも執務室に来てくれ」と呼び出しを受けた。
◇◇◇
アーサーと二人で執務室を訪れると、お父様とお祖父様が揃って待っていた。珍しい顔ぶれだと思いながら挨拶を済ませ、促されるまま席に着く。アーサーも隣に腰を下ろした。
「実はな」
お父様が、間を置くことなく要件を切り出す。
「ヒロが探索隊に同行する間、アーサーの護衛が手薄になる。そのため、護衛を兼ねて、有能な騎士科の学生を一人預かることになった」
「え?」
思わず驚きの声が漏れる。しかし、お父様は構わず話を続けた。
「陛下とレイノルド殿下のご意向でな。まあ、一種の文化交流のようなものだ」
そう言って、お父様はわずかに苦笑した。
「ヒロには探索でも中心的な役割を担ってもらっているし、これまでも執事見習いとして、俺やハルカの仕事を手伝わせることがあった。アーサーの側を離れて動くことも、決して珍しくはなかった」
そこで一度言葉を切り、表情を引き締める。
「……アーサー自身の自衛力も上がっていた。だからこそ、専属護衛であるヒロが側を離れることへの危機感が、我々の中で薄れていた——その点を、陛下に指摘された」
確かに、いつもならアーサーの傍にいるはずのヒロだけど、今日は探索隊の準備で不在だ。
「なるほど。じゃあ、文化交流っていうのは?」
「ああ、今回来ることになったのは、今年で王立学院を卒業する騎士科の学生なんだ。卒業後は正式に騎士団に入団するそうで、その前に武術留学に来たいそうだ」
お父様が言葉を継ぐ。
「王宮の事情にも通じておるし、護衛任務の経験もある。アーサーの助けにはなるだろう」
そこで一度言葉を切り、わずかに口元を緩めた。
「……もっとも、本人にも少々思うところがあるようだがな」
私は首をかしげた。
「思うところ?」
「今度来るのは、以前ヒロと模擬戦をした騎士団長の息子だ。覚えているか?」
ああ、と記憶が繋がる。
「がっしりした体格で、赤みがかった茶色の髪の……?」
「ああ、——セシル・ローゼンベルク殿というのだが、あの敗北以来、我らの武に強く惹かれているらしくてな」
お父様は少し楽しげに言う。
「彼はレイノルド殿下の側近でもあるのだが、アーサーの護衛を兼ねて、オンタリオに滞在しながら訓練を受けたいと申し出てきた。王宮側としても、ちょうどよいと判断したようだ」
なるほど、と私は納得する。
レイノルド殿下の側近。ヒロの代わりの護衛。そして——本人の希望。
いくつもの思惑が重なった結果、ということか。
私は隣のアーサーを見た。
「アーサーは、それでいいの?」
アーサーはわずかに間を置いてから答えた。
「……うん。この前王宮に行った時、兄上から正式に紹介してもらって、セシル殿に挨拶もしてきた。賑やかで気さくな方だったよ」
どこか遠い目でそう呟くアーサーは、とても落ち着いていた。王宮の関係者、それもお兄様の側近がそばに来ることを、すでに受け入れている顔だ。
きっと、向こうで何か話があったのだろう。
——でも今は、それを聞く場ではない気がして、問いかけの言葉は飲み込んだ。
「いつから来るんですか?」
お父様が言いづらそうに一度目を閉じた。
「実は、そのことで今日集まってもらったんだ」
……何となく嫌な予感がした。
「明後日には訪れることになっている」
「明後日!?」
思わず立ち上がりかけた。
「ずいぶん急ですね!?」
「ああ。セシル殿は今現在は学生なので、夏季休暇を使って来てくれることになったんだ。それに、ヒロが探索に出る前に引き継ぎを済ませたいそうでな。それと——」
お父様がそこでお祖父様にじっと視線を向けた。
「どうしても、父上に鍛えていただきたいとか何とか」
「え」
私はお祖父様を見た。
「お祖父様目当てってこと?」
「まあ、そういうことじゃな」
お祖父様が、特に照れた様子もなくうなずく。
「例の模擬戦でオンタリオの武力に感銘を受け、ぜひ父上から教示を得たいと。加えて、従兄弟でもあるアーサーが王宮に馴染むための橋渡しになればとも志願してきたらしい」
なんと。つまりセシル様は、お祖父様へのおしかけ弟子志望者、というわけか。
隣に座るアーサーの顔を覗き見る。何かを思っているようだったが、特に口は開かなかった。
「では」と、私は頭の中で迎え入れの段取りを組みながら口を開いた。「急いで、セシル様のお部屋の準備などを進めなくてはいけませんね」
「ああ。すでにミランダから指示は出ていると思うが、セシル殿に不便がないよう、皆でそれとなく気にかけてやってくれ」
お父様のその一言で、この話はひとまず締めくくられた。
◇◇◇
執務室を出ると、廊下でルナが待っていた。どうやらすでに話を聞いているらしく、私が口を開くよりも先に、進捗の報告を始める。
「お部屋の準備については奥様から指示が出ており、すでに整っております。現在は奥様とマーサが最終確認をしているところです」
「ルナ、ありがとう。厨房のほうにも連絡は入っている?」
「はい。明後日の昼餐から、お一方分追加でご用意するよう手配済みです。ただ、ご本人の好みが分かりませんので、お越しになってから調整することになるかと思います」
「わかったわ。急なことだから、いろいろ問題も出てくると思うし、何か気づいたことがあれば遠慮なく教えてね」
歩きながら一通り打ち合わせを済ませ、ふとアーサーの様子が気になって振り返る。
アーサーはまだ廊下に立ったまま、どこかぼんやりと窓の外を眺めていた。
(どうしたんだろう……?)
やっぱり、王宮から人が付けられることに不安があるのかな。
「ハルカ」
じっと見つめていると、こちらに気づいたアーサーが声をかけてくる。
「セシル殿は、すでに騎士団に出入りして剣の腕を磨いているそうなんだ。手合わせするの、楽しみだね」
「そうだね」
私は明るく答えた。
——セシル様のことじゃなかったのか。じゃあ、いったい……。
アーサーは控えめに微笑むと、わずかに迷うように視線を揺らし、
「少し、話せないかな」と、部屋のほうへ目を向けた。
何を、とは聞かなかった。
ただ、静かにうなずく。
廊下に差し込む日差しが揺れている。夏がもう、すぐそこまで来ていた。
ハルカが化粧品プロジェクトに奔走する中、探索隊の予定も決まり、さらに急な来客の知らせも舞い込みます。
そんな慌ただしい中、どこか憂いを帯びた表情を見せるアーサー。
果たして、彼が切り出そうとしている『話』とは——。




