第60話:セシル・ローゼンベルク
セシル・ローゼンベルクがオンタリオに到着したのは、よく晴れた昼下がりのことだった。
屋敷の玄関前に馬車が止まると、扉が開くよりも早く、中から元気な声が聞こえてきた。
「着いたぞ! オンタリオだ!」
そう言いながら、バタンと扉を押し開け、馬車を飛び出すように降りてきたのは、赤みがかった茶髪を風に揺らした大柄な青年だった。両手を広げて深く息を吸い込み、そのままぐるりと屋敷を見回す——が、次の瞬間には落ち着きなく視線を走らせる。
「いい空気だな。さすが辺境だ。——あ、ラオウ様はどちらに?」
到着するなり真っ先にお祖父様を探し、きょろきょろと視線を巡らせるセシルに、迎えに出た使用人たちは笑いをこらえるように一斉に視線を伏せた。
「ようこそオンタリオへ。ローゼンベルク様、まずはアーサー殿下へのご挨拶が先ですよ」
私も必死に笑いをこらえながらそう声をかけ、隣のアーサーへと視線で促す。
「ハルカ嬢!」
セシルの顔がぱっと輝いた。
「失礼しました! ——それから、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
そう言って笑顔で歩み寄ってくる。その切り替えの早さに、思わず笑みがこぼれた。
「アーサー殿下、ご無沙汰しております。この度はよろしくお願いします!」
今度は隙のない所作で礼を取る。王宮で見たのと変わらない、整った挨拶だった。
「こちらこそ。長旅、お疲れ様でした」
アーサーが静かに応じる。
その後、セシルは私たちの背後で見守っていたお父様たちとも挨拶を交わし、さらに使用人一人ひとりにも丁寧に声をかけていく。
——が、ひと通り終えるや否や、またそわそわと視線を巡らせ始めた。壁、庭、門……まるで「どこかにラオウがいるのでは」とでも言いたげに。
「それで、ラオウ様は——」
「お祖父様は今、魔の森の外縁部の見回りに出ています。夕食までには戻る予定ですので、その時にご紹介しますね」
「夕食時までお預けか……」
心底残念そうに、がっくりと肩を落とす。その落差があまりにもわかりやすく、思わずくすりと笑ってしまった。
それを見て、隣に控えていたヒロが一歩前に出た。
「ローゼンベルク様。長旅でお疲れでしょう。まずはお部屋へご案内いたしますので、夕食までお寛ぎください」
「ヒロ殿……!」
ヒロの姿を認めた瞬間、セシルの目の色が変わる。
「それでしたら、先にヒロ殿と再戦をお願いします!」
「私は仕事中ですので。それに、旦那様の許可なくお受けすることはできません。引き継ぎが終わったのち、旦那様とご相談ください」
ヒロは穏やかな声音のまま、しかしきっぱりと言い切った。
◇◇◇
陽が傾き始めた頃、夕食の席に少し遅れてお祖父様が戻ってきた。
扉が開いた瞬間、セシルは弾かれたように立ち上がる。
「ラオウ様、セシル・ローゼンベルクと申します!」
深く頭を下げ、そのまま勢いよく言葉を重ねる。
「以前王宮でお目にかかりました。本日より一ヶ月ほどこちらでお世話になります。その間、ぜひご指導を賜りたく——あの時の御技を、もう一度この目で……!」
「ふむ」
お祖父様がじっとセシルを見る。
「顔は覚えておるぞ。ヒロに負けた子だな」
「はい。その節は大変勉強になりました」
即答だった。迷いがない。
「あの後、毎日ヒロ殿の動きを思い出しながら訓練していたのですが……正直、まだ全然理解が及びません。ですので——」
ぐっと拳を握る。
「ぜひ、直接ご教示いただければと」
まっすぐすぎるその言葉に、お祖父様がふっと口角を上げた。
「正直な奴じゃな。嫌いではない」
セシルの表情が一気に明るくなる。
「まあ、食事をしながら話そう。座りなさい」
「はい!」
勢いよく座る。その隣でアーサーが小声で「落ち着いてください」と言い、セシルが「失礼しました」と小さく返す。
しかしその後も、視線はちらちらとお祖父様の動きを追っている——その様子は、憧れの相手を前にした少年そのものだった。
◇◇◇
夕食が始まると、話題は学院のことへと移った。
「学院の騎士科は、今年どのくらい入ったんだ?」
同じく騎士科を卒業しているお父様が、セシルに向かって尋ねる。
「今年の入学者は四十名ほどです。うち半分は平民出身で、魔力か体術に秀でた者が選ばれています」
「へえ、そんなに平民も入れるんですか?」
私は少し驚いて聞き返した。
「ええ。騎士団の実力底上げという目的もあって、身分より実力重視で選ぶようになったんです。ここ十年ほどの変化だと聞いています。——騎士科は、特に変わりましたね。以前は剣術と体術が中心だったそうですが、今は戦略や部隊指揮の講義も必修になっています」
「確かに。俺が在籍していた頃は、圧倒的に貴族の子弟の方が多かったからな。模擬戦では、身分の低い者が指揮官役になると指示にすぐ従えず、いろいろ問題になっていた」
「父からもそのように聞いております。そのあたりの改善も含めて、実力重視の選抜に変更されたようです」
セシルはそこで一度言葉を区切り、きらきらとした瞳でお父様を見た。
「そういえば、辺境伯様は学生時代、指揮を任された模擬戦では負けなしだったとか——ぜひ、そのお話をお聞かせいただけませんか」
「子供たちの前で学生時代の話というのは、ちと恥ずかしいな……そうだ。負けなしという意味では、父上の話の方がすごいぞ」
そう言って、お父様はお祖父様へと水を向ける。
「父上は学院在籍中に実戦に出て、連戦連勝してるんだ」
その言葉に、セシルは感嘆したように、お祖父様をきらきらとした目で見つめた。アーサーも同じように瞳を輝かせ、すっかり食事の手を止めて話を聞く体勢に入っている。
突然話を振られたお祖父様は、「うっ」と小さく呻いた後、ワインをぐいっと飲み干し、恨めしそうにお父様へ視線を向けた。
しかし「さあ、子供たちが待っていますよ」と急かされ、苦笑しつつも口を開く。
「そうだな……あれは——」
そうして語られたのは、今でこそ友好関係にある隣国との、かつての緊張状態にまつわる話だった。
お祖父様が学生だった頃までは小競り合いが絶えず、繰り返される侵攻を、その都度食い止めてきたという。
ある時は魔の森を迂回し、隣領との境ぎりぎりを突いての急襲。
またある時は、魔獣の移動に合わせたゲリラ戦。
そのたびに、当時の辺境伯であった曽祖父様と共に騎士団を率いて迎撃した——そんな戦いの数々だった。
最も攻撃が頻発していた時期、お祖父様はまだ学生という立場にあった。
しかし侵攻のたびに転移陣で急ぎ帰領し、部隊を率いて出撃。各局面で敵を打破し、悉く撤退へと追い込んだのだという。
度重なる侵攻の失敗で国力を落とした隣国が和平を求めたことで、現在のような関係になったのだそうだ。
セシルは時折、「なぜその判断をしたのか」「その時の最適解は何だったのか」と、興奮気味に質問を挟みながら話を深掘りしていく。
「戦争となると、部隊を動かす判断力が重要になる。地形の読み方、兵の配置、撤退の見極め——一つ誤れば、大勢の命を失うことに直結するからな」
「そうなんです! 現在の騎士団でも、そういった点が重視されるようになっています。学院の授業も、剣術や体術中心から、戦略や部隊指揮を含めた内容へと変わってきていると聞いています」
そこから話題は騎士団の現在の演習体制へと移り、装備の変化、さらには「近接戦より遠距離支援が重視されつつある」という王国内の潮流にまで及んだ。
私には理解が追いつかない部分もあったが、楽しそうに語り合う三人を眺めているだけで、こちらまで楽しくなってくる。
ふと隣を見ると、アーサーもまた、セシルと同じように目を輝かせ、食い入るように話に聞き入っていた。
「みんな、お食事の手が止まっていますよ」
お母様がふふふと笑いながら指摘すると、ほとんど手つかずのままの皿を互いに見やり、揃って「あ」と呟いて慌てて食事を再開した。
「ローゼンベルク様、お食事はお口に合いますか? お好きなものや苦手なものがあれば、遠慮なくおっしゃってくださいね」
私がそう声をかけると、セシルは少し慌てた様子で、口に運んでいたレッドベアのステーキをしっかり咀嚼してから飲み込んだ。
「とても美味しいです。こんなに美味しいものは初めて食べました。これは……魔獣の肉ですか?」
「気に入っていただけて嬉しいです。レッドベアなのですが、魔獣肉は苦手ではありませんか?」
「実は……少し苦手で。臭みと、それに筋が多くて硬い印象があったのですが」
そう言いながら、セシルはもう一口、肉を口に運ぶ。
「これはまったく違いますね。柔らかくて、臭みもない。驚くほど美味しいです」
「お口に合ったなら良かったです。丁寧に筋切りをして、すりおろした玉ねぎとガーリックに漬け込んでから、醤油と蜂蜜のソースで味付けしているんです。臭みも抜けて、食べやすくなっていると思います」
「なるほど……ぜひ、おかわりをお願いします!」
その一言をきっかけに、話題は魔の森で採れる魔獣の肉や調理法、オンタリオ産の米や醤油といった特産品へと広がっていった。
すっかりオンタリオ料理の虜になったセシルは、結局ステーキを二度、ご飯を三杯、食後の豆乳プリンを三度もおかわりし、一同を驚かせたのだった。
ラオウ様の学生時代のエピソードを、少しだけ盛り込みました。
過去話で触れた通り、隣国との関係も落ち着き、卒業後はグランフェルト前公爵らと共に冒険者として活動できるようになります。
辺境伯を継ぐまでの短い期間ではありましたが、幼い頃から辺境伯家の一員として責務を全うしてきたラオウにとっては、きっと大切な時間だったのではないでしょうか。
冒険者時代は、友人たちと過ごす少しだけ自由なひととき――そんな、ご褒美のような時間だったのかもしれません。
GW連続投稿は本日が最後です。次回から月・水更新にもどりますm(_ _)m




