第56話:王宮にて(2)
全話の続きです。
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ふと、ソファに腰掛けた少女と目が合った。
俺に気づいたその瞬間、青く澄んだ瞳が、先ほどまで兄上に向けていた親愛の色から、好奇心を宿した輝きへと変わった。
きらきらとしたその笑顔に寄り添うように、プラチナブロンドの髪がやわらかな光を帯びている。陶器のように白い肌に、小柄で華奢な体つき。その佇まいは、まるでミランダ様の部屋に大切に飾られている人形のようだった。
兄上が振り返り、俺を手招きする。
「紹介しよう。アーサー、こちらは俺の婚約者のソフィア嬢だ」
少女はカップをテーブルに置くと、すっと立ち上がり、一歩前へ進み出る。そして、淀みのない所作で、鮮やかなカーテシーを披露した。ドレスの裾がふわりと優雅に揺れ、その一連の流れるような動きに、思わず見入ってしまう。
「アルトリウス公爵家長女、ソフィアと申します。お会いできて光栄ですわ、アーサー殿下」
まるで手本をそのまま写し取ったかのような、寸分の隙もない美しさだった。
ふと、自分が今受けている王族教育の内容が頭をよぎる。男女で作法に違いがあるとはいえ——これが、王族として求められる水準なのだと、目の前で示されたような気がした。
思わず、小さく息を呑む。
「……アーサー・エヴァーランドです」
はっと我に返り、慌てて頭を下げる。我ながらどこかぎこちない動きに、わずかな気恥ずかしさが込み上げた。こうした場での振る舞いは、まだ練習が足りていないらしい。
「ソフィアはエドウィンの妹なんだ」
兄上が自然な調子で補足する。
「今日は兄に届け物があるとかで、妃教育のついでに寄ってくれたそうだ」
「あら、逆ですわ。妃教育の前に殿下のお顔を拝見するのが本来の目的で、兄はついでですのよ」
ソフィアはさらりと言って、いたずらっぽく微笑んだ。思っていたよりも、ずっと親しみやすい人のようだ。
「おいおい、つれないなソフィア。昔は“お兄様が一番好き”と言ってくれていただろう?」
書類仕事を切り上げ、彼女とよく似た色合いの髪をした青年が近づいてくる。
「初めてお目にかかります、アーサー殿下。ソフィアの兄で、レイノルド殿下の補佐役を務めております、エドウィン・アルトリウスと申します」
俺の前に立つと、落ち着いた物腰の青年——エドウィンが、丁寧に頭を下げた。
その横に、見覚えのある赤みがかった茶色の髪の、がっしりとした体格の青年が並ぶ。
「セシル・ローゼンベルクです。以前、訓練場でお見かけしましたが、きちんとご挨拶できておりませんでしたので、改めてご挨拶と、少しお話を——」
弾けるような笑顔でそう言いかけたセシルを、エドウィンが視線だけで制する。セシルは「失礼しました、改めて」と言って、慌てて居住まいを正して一歩下がった。
「リオネル・ヴァンダイクです。よろしくお願いいたします」
セシルに代わってすっと前に出た青年——リオネルは、簡潔ながらも礼節のある口調で名乗り、丁寧に頭を下げる。口数の少ない大人しそうな人だった。
三人の挨拶がひと通り終わると、ソフィアが静かに口を開いた。
「では、妃教育の時間となりましたので、私はこれで失礼いたします」
兄上に向かって優雅に一礼し、俺にも軽く頭を下げると、そのまま淀みのない足取りで扉へと向かった。
ドアが閉まる音を聞きながら、俺はぼんやりとその後ろ姿を見送った。
「……お人形のような方ですね」
思わず、口から出ていた。
「素敵な女性だろう?」
兄上は特に取り合う様子もなく、さらりと受け流した。
兄上は俺にソファを勧め、侍従へとさりげなく目配せを送った。すぐに侍従が動き、ソフィアの使っていたカップを下げると、ほどなくして新しい茶器が俺の前に用意される。
それを待つ間も、兄上は手を止めることなく、側近たちへ次々と指示を飛ばしていた。
「この書類はリオネル、法務に確認を頼む。あちらの案件についてはエドウィン、財務の見解をまとめてくれ。急ぎではないが、明日の午後までには欲しい」
淀みのない指示に、二人が即座に応じて動き出す。
ひと段落したところで、兄上は向かいのソファに腰を下ろした。
「今二人に指示した案件は、複数の部署が関わっていてな。手順を踏んで議会にかける必要があるんだ。——こちらの書類については、資料が揃わないと動けないから、先に担当部署へ指示を出しているところだ」
色々な書類を見せながら、兄上が説明をしてくれる。兄上はすでに皇太子としていくつかの政務を任されており、こうして側近たちと共にそれを処理しているらしい。
どのような仕事があり、それをどう捌いていくのか——俺は時折頷きながら、興味深く話を聞いた。
側近たちはそれぞれに専門分野を持ち、それに応じた意見や情報を兄上に提供している。時には実家の伝手を使い、裏から支えることもあるようだ。
目の前で繰り広げられるやり取りを頭の中で整理していくうちに、「政務」というものの輪郭が、ほんの少しずつ形を結び始めていた。
側近に的確な指示を出し、滞りなく政務を進めていく兄上の姿は、どこか大人びていて、かっこいい。
ラオウ様やハルカに感じた「かっこいい」とは、また少し違う——その落ち着いた在り方に、俺は改めて尊敬の念を抱いた。
ひと通り説明が区切れたところで、兄上がセシルを呼んだ。
「セシル、オンタリオ行きの件、了承が得られたぞ」
その瞬間、セシルの目がぱっと輝き、全身から喜びがあふれ出す。
「本当か!? いつからだ? どれくらい滞在できる? 訓練には参加させてもらえるのか? ラオウ様は指導してくださるのか?」
一息にまくし立てるセシル。その勢いと熱量に、アーサーは虚を突かれたように、ぱちぱちと目を瞬かせ、二人の顔を交互に見やった。
「詳細は、今ごろ父上が辺境伯殿と詰めているところだ。正式決定はもう少し先になるが——アーサーの護衛を兼ねて、夏季休暇にオンタリオへ向かってもらうことになる」
「アーサー殿下の護衛任務か! 殿下、よろしくお願いします。一緒に訓練できるのも楽しみにしています!」
そう言って、勢いよく手を差し出してくる。アーサーは戸惑いながらも、おずおずとその手を握り返した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
セシルは握手を交わしたまま、独り言のように思考と願望を口にし続ける。
「ヒロ殿と再戦できるかな……いや、その前に今の俺では話にならん。今日から訓練時間を倍にするか。いや、倍でも足りないか——」
エドウィンが額に手を当てる。リオネルは何も言わず、静かに目を閉じた。
その様子に、兄上が苦笑しながらこちらを見る。
「大変だろうが、よろしく頼む」
「……あ、はい」
戸惑いを隠しきれないまま、どうにかそう返すと、兄上が小さく笑い声を漏らした。つられるように、俺も笑みをこぼす。
(……この夏は、賑やかになりそうだ)
余談ですが、ミランダの部屋には、双子が生まれた際に訪れる機会がありました。文中に登場した陶器の人形は、その部屋に大切に飾られていたものです。
実はあの人形、ミランダと幼馴染だったアーサーの亡き母・ローズ妃とお揃いの品でもあります。ローズ妃の死後、その人形がどうなったのかは、今も分かっていません。




