第55話:王宮にて(1)
アーサー視点のお話です。
久しぶりに踏みしめた王宮の石床は、記憶の中と変わらぬ色をしていた。
(ここに来るのは、一年ぶりか)
タイロン様とヒロと三人、転移陣で王都へ移動し、街の賑わいを横目に馬車で王宮へ向かう。門をくぐり、正面玄関で馬車を降りると、待ち構えていた侍従の案内に従って中へと足を踏み入れた。
ひんやりとした空気が、鼻先をかすめる。磨き上げられた石床、規則正しく並ぶ柱、揺れる燭台の灯り。どれも見慣れているはずなのに、その整いすぎた光景は、やはりどこかよそよそしく感じられた。
けれど、執務室へと続く廊下を進む途中ですれ違う文官や騎士たちの視線は、以前とは異なり蔑みの色はなく、むしろ好奇と畏怖に似たものを感じる。そのほとんどは、目の前を歩くタイロン様に向けてのものではあるが。
——何か、変わった?
でも、以前ほど息が詰まる感じはしない。
廊下を進む足取りも、思っていたより軽く感じられる。
ここはもう、忌むべき場所ではなくなったのかもしれない。
◇◇◇
父上の執務室に入ると、兄上が先に立って迎えてくれた。
「よく来たな、アーサー。タイロン殿も、遠いところをご足労いただき感謝する」
「ご無沙汰しております、レイノルド殿下」
タイロン様が丁寧に頭を下げる。俺も続けて礼をとった。
父上は執務机のそばの椅子に腰を落ち着けていた。俺を見ると口元をほぐして「大きくなったな」と短く言った。毎回そう言われる気がするが、その度に少し嬉しくなってしまうのだから仕方ない。
「はい。おかげさまで。父上もご健勝そうで」
挨拶を交わし、促されて全員が席につく。兄上の向かいにタイロン様、その隣に俺、ヒロはその後ろにそっと控えた。
◇◇◇
「まずは礼を言わせてください」
俺は背筋を伸ばして口を開いた。
「先日送っていただいた書物と調査書、大変役立ちました。あの資料のおかげで、探索範囲を絞り込むことができました。商業ギルド長が集めてくれた別ルートからの情報とも一致して——本当に助かりました。ありがとうございます」
「そうか、役に立てたなら良かった」
兄上が少し嬉しそうに口元を綻ばせる。
「専門家の派遣については、こちらでも動いてみたのだが」と続けながら、兄上は手元の書類に目を落とす。「国内に岩塩窟の探索実績がある地質の専門家というのは、残念ながら見当たらなかった。隣国にはいるんだが、招聘には時間がかかると思う……」
「そうでしたか」
「なので、今回は探索の得意な風属性か、掘削を得意とする土属性の魔導士を同行させるのはどうだろうか。地脈を読む専門家ではないが、現地での動きに幅が出るはずだ」
タイロン様が少し考える顔をした。
「ご提案はありがたいのですが、風や土属性の魔導士であればオンタリオ領内にも複数名おります。今回の探索には、その者たちにも加わってもらう予定ですので、殿下のご配慮に甘えるまでもないかと」
「それならば仕方がないな」
兄上が頷く。
「専門家の同行は今回は見送りということで、次の探索で改めて考えましょう」
俺もタイロン様に倣って頷いた。
それで専門家の件は決着がついた。案外あっさりとしていた。
◇◇◇
話題が変わり、最近の生活や体調について、あれこれと尋ねられた。
魔力の状態はどうか。体調に問題はないか。王族としての教育は順調か、オンタリオでどのようなことを学んでいるのか——次々と質問が重ねられていく。
その一つひとつに、兄上の自分への関心と気遣いがにじんでいて、胸の奥がくすぐったくなる。そこから伝わってくる誠実な想いに、じんわりと心がほどけていくようだった。
言葉を交わすたびに、かつて抱いていた蟠りも、少しずつ溶けていくのを感じていた。
「岩塩の件、かなり本腰を入れて調べているんだな」
一通り話し終えると、兄上がそう言った。
「動物の行動から植生まで——あの調査書にも記載していなかった情報まで、よく調べ上げたものだ。その着眼点には感服する」
「俺一人で行ったことではありませんので。ハルカやギルド長をはじめ皆で意見を出し合い、集めた情報です」
思ったままに答えると、兄上が少し目を細めた。
「それに」と、話を続ける。
「点と点が繋がる感じが。こっちの文献に書いてあることと、あっちの情報が一致する瞬間——あ、ここだって思えるのが楽しくて」
「……そういう楽しみ方ができるのは、良いことだな」
父上も穏やかな声でそう褒めてくれる。疑いようもないほど真っ直ぐに褒められ、顔に熱が集まっくるのを感じた。
「そういえば」
ふと父上が口を開いた。
「そこにいるアーサーの侍従、確かヒロと言ったか?彼も、探索に同行するのであったな」
「はい」タイロン様が答える。「我が領の重要な戦力ですので。ヒロは風魔法の使い手でもありますし、父の補佐と探索隊の取りまとめも任せております」
「ふむ、優秀なのだな」
父上がヒロへと短く視線を向ける。
「だが、その間はアーサーの護衛が手薄になるのではないか」
「もちろん、ヒロ不在の間は殿下の身の回りの世話をする者と、護衛を務める者を別に任命しておりますが……」
突然の指摘に、タイロン様はやや困惑した様子で答えた。
そのやり取りをぼんやりと聞いていると、不意に兄上に名を呼ばれる。
「アーサー」
兄上がこちらに向き直った。
「もしよければ、その間、護衛を兼ねて俺の側近を一人、側に置かないか?」
「兄上の側近の方ですか?」
「ああ。前回会っているだろう? セシル・ローゼンベルク。騎士団長の嫡男だ」
「あ……確か、ヒロと模擬戦を行った……」
「そう。あのとき、あっという間に敗れたセシルだ」
兄上はそう言って、ほんの一瞬、俺の背後に控えるヒロへと視線を向けた。
「それはいい案だな」
父上も面白そうに賛同の声を上げる。
「あの敗北から一年、セシルは学院に通いながら騎士団でも腕を磨いてきた。護衛任務にも慣れている。それに、従兄弟であるアーサーのことを以前から気にかけていたようだ。貴族社会に慣れるための助力もしたいらしい。どうだ、アーサー。タイロン」
「アーサー殿下がお望みでしたら」
タイロン様は判断を俺に委ね、静かに視線を向けてくる。その瞳が「好きにしていいぞ」と語っていた。
俺は、少しの間考えた。
思いがけないところから向けられる好意や善意——そんなものを受け取るのは、まだ慣れていない。どう受け止め、どう答えるべきか、戸惑いが胸の内に広がる。
「まあ、本人には別の狙いもあるようだがな」
兄上が苦笑混じりに言う。
話を聞けば、セシルは先日の模擬戦以降、オンタリオの武——特にラオウ様に強く心酔してしまったらしい。オンタリオの訓練をぜひ受けてみたいのだという。今年で学院を卒業し、来年からは正式に騎士団へ所属する。その前に一度でいいからオンタリオを訪れたいと切望しているそうだ。
「セシルがアーサーの側に行けば、王宮や王族の務め、王立学院の話なんかも気軽に聞けるし、オンタリオの訓練にも参加できる。ちょうどいいと思ったんだがな」
兄上の説明に、なるほどと納得する。
「わかりました。その申し出、お受けします」
そう答えると、兄上は嬉しそうに頷いた。
「では早速、このあと俺の執務室に来ないか? セシルと、それから俺の婚約者のソフィアも来ているはずだ。紹介しよう」
そう言って立ち上がり、部屋を出ていこうとする。慌てて父上に視線で確認を取ると、「俺たちはまだ話がある。後で迎えを遣るから行ってこい」と背中を押された。
俺は急いでヒロを伴い、兄上の後を追った。
執務室に着くと、ヒロには部屋の前で待機してもらい、俺は兄上に続いて中へ入った。
初めて足を踏み入れたその部屋は、父上の執務室よりやや手狭だが、落ち着いた色調の調度品で整えられている。机の周囲には資料や書類が積み上げられ、兄上の側近たちが忙しなく働いていた。
その中に、ひときわ目を引く存在
—— 優雅にソファに腰掛け、紅茶のカップを傾ける、一人の美しい少女がいた。
長くなりそうなので2話に分けました。
次は5/2(土)のお昼頃更新します(*´∇`*)♡




