第54話:化粧品プロジェクト
「ハルカは、しばらく化粧品の商品化に集中しなさい」
——そう言われたので、日課となっていた座学と訓練はひとまず休止し、商品化の準備を始めることにした。目下の問題は、そのための体制をどう整えるかだ。
できれば、この機に酒粕や蜂蜜といった領内資源をより有効に活用するための研究所も設立したい。専門的な研究が進めば、新たな特産品の開発にもつながるはずだ。手始めに、ミズホ村で酒粕研究に熱意を燃やしているという若者を紹介してもらい、資金を提供して、肥料や家畜の餌として活用するための研究体制を整えてみてはどうだろう。
そう考えた私は、さっそくお父様に願い出た。許可と資金を得ると、ミズホ村のトーマスに連絡を取り、件の若者——実はグンター村長の息子さんだった——を紹介してもらうことにした。
ここまでは順調に進んだが、ほかに必要となる人材や、協力を仰げる先が思い浮かばない。ルナが手伝ってくれるとはいえ、今の私では知識も経験も人脈も足りない。いつもならそのあたりを補ってくれるヒロが補佐についてくれるのだが、彼はアーサーの侍従としての務めに加え、第二回探索隊の準備も並行して進めている。さすがに今回の件まで任せるのは無理だ。これ以上負担をかければ、大事なヒロが過労で倒れてしまう。
そんな事情もあって、お父様に文官を一人つけてもらうべきか悩んでいたのだが——ちょうどそのとき、ベルンハルトから専任担当者をつけたいとの申し出があった。何でも、本人が相当やる気らしく、「ぜひに」と強く志願してきたのだという。領主教育という点ではヒロや文官の方が適任ではあったが、ルナもいることだし、今回は商品化が主軸となる。そう判断して、その申し出を受けることにした。
そして今日、新しい顔ぶれで初の会合を開くことになった。
場所は執務室の隣にある小会議室。長テーブルを囲んで座るのは、私とルナ、ベルンハルト、そして今日が初顔合わせとなる二人だ。
ベルンハルトから紹介されたのは、息子のフリッツだった。
「フリッツと申します。父の商会で修行中の身ですが、この度の化粧品ラインについては、ぜひ自分に担当させてほしいと立候補してきました。どうぞよろしくお願いいたします」
栗色の髪に茶色の瞳。父親のベルンハルトとよく似た顔立ちだが、雰囲気は少し違う。ベルンハルトが実直で生真面目な印象なら、フリッツはもっとやわらかい。人懐っこい笑顔で自然に場を和ませる才能がありそうだ。
「立候補とのことですが、どんな理由で?」
なんだか面接っぽい質問になってしまったが、疑問に思っていたので素直に聞くと、フリッツは少しだけ笑みを深めた。
「母と妻から、是が非にも商品化をと背中を押されたのが最初のきっかけです。ただ、自分でも調べてみたところ、この商品の将来性には本気で惹かれました。オンタリオにしかない材料で、女性の心を確実に掴む効果がある。これを商品化できるなら——間違いなく売れます。断言します。私が大ヒット商品にしてみせます!」
熱量のある人だ、と思った。お世辞や建前ではなく、ちゃんと自分の言葉で話してくれる様子に好感が持てた。
「わかりました。よろしくお願いしますね、フリッツ」
「こちらこそ!」
フリッツの隣でベルンハルトが「しっかりやれよ」とでも言いたそうな顔でうなずいていた。
「では、私からも一人ご紹介させてください」
私は隣へ視線を向け、自己紹介を促した。
「あ、マークです。ミズホ村で、米と酒の生産・流通を管理しています」
そう名乗ったのは、フリッツより少し若い、二十代前半ほどの青年だった。その場でぺこりと頭を下げる。
農家の若者にしては細身で、どこか朴訥とした雰囲気がある。ベルンハルト親子の柔らかさとはまた違う、職人気質の真面目さが、その表情ににじんでいた。
「ミズホ村のグンター村長のご次男です。村の米や酒の収穫量を毎年丁寧に記録されていて、酒粕の肥料活用にも以前から関心を持っていたそうです。今回、酒粕の研究と管理を一緒にやってもらえないかとお願いしたところ、快く引き受けてくれました」
「マークさん、どうぞよろしく」
「あ、はい。よろしくお願いします……」
マークは今まであまりミズホ村から出ることはなかったそうで、領都アルデンブルクの喧騒や領主館の雰囲気に最初は緊張しているようだったけれど、視線を合わせ、きちんとこちらに向いて挨拶を述べる姿には誠実さが滲み出ていた。今までもお酒の流通の件で、何度かベルンハルトとは顔を合わせたことがあったことも幸いしたようで、商人二人を前にしても臆した様子は見られなかった。
顔合わせが済んだところで、早速本題に入る。
まず私から、商品化に向けて現状整理した課題を共有した。品質の安定化、保存期間の延長、容器と包装の選定——前回ベルンハルトに話したことをもう一度まとめて伝える。
フリッツは手元のノートに素早く書き留めながら聞いていた。時折「その点は私の方で情報を集めておきます」と短く口を挟む。ルナはいつも通り静かに座って全体を見ていた。
「保存期間については、薬師ギルドに相談する方向で考えています。成分分析も一緒にお願いしたいですし」
「実は、その件で一つ情報があります」
フリッツが手を挙げた。
「薬師ギルドでは、薬の品質を保つために保存用の魔道具を使っているそうです。中に入れると時間の経過を緩やかにする——品質の劣化を遅らせる道具です。市販の薬がある程度の期間もつのは、流通の過程でそういった管理が行われているからだと聞きました」
「そんな便利なものがあるんですね!初めて聞きました!」
私は思わず身を乗り出した。
「ただ」とフリッツが続ける。「その魔道具はあくまで保管中の管理に使うものです。お客様の手元に渡った後の話ではありません。つまり開封後の保存期間は、別途製品自体で確保しなければならない。加えて大変高価なものとなるため、どこに設置するかは慎重に検討しなくてはなりません」
「なるほど。ちなみに開封後は、どのくらいもてばいいと思いますか?」
「洗髪剤を参考に考えるなら、一ヶ月もてば十分ではないでしょうか。一ヶ月以内に使い切るのが自然ですし、それ以上もたせようとすると、成分に手を加えすぎることになりかねません」
「なるほど。では一ヶ月、その方向で製品の改良研究を進めましょう」
一同は静かに頷いた。
さて、ここからはマークの出番だ。
「マーク。酒粕の研究については、今後こちらで資金と人手を用意します。化粧品の研究は私が主導で行いますが、マークには、手始めに肥料や家畜の餌への活用について研究してもらいたいんです。これがうまくいけば、収穫量の増加も見込めますし、鶏や豚の肉質向上にもつながると思います」
「はい。実は肥料については少しずつ試していたのですが、なかなか安定しなくて……資金と人手をいただけるなら、もっと体系的に進められると思います」
「毎年きちんと記録を取り続けてきたあなたなら、きっと大丈夫ですよ。近い将来、これも特産品になるかもしれません。期待していますね」
マークは少し驚いたように目を見開き、それからはにかむように目を細めた。
「……頑張ります」
その素直さが、なんだかとても好ましく感じられた。
「品質の安定化と量産については、成分分析後、薬師の方のご意見も伺えたらと思うのですが…」
「承知しています。薬師ギルドには話を通してありますので、本日お預かりするサンプルを届ける際、その件も合わせて詰めておきますね」
「仕事が早くて助かります、フリッツ。よろしくお願いしますね」
◇◇◇
会合が終わり、全員が部屋を出た後、私はルナと二人で会議室に残った。
「どうだった?」
ルナがいつも通りの静かな声で答えた。
「フリッツ様は優秀ですね。こちらを子供だと侮ることもない。愛想が良すぎるくらい良いですが、数字を見る目は確かですし、先を見通す力もある。人脈や情報力にも期待できそうです。ただ、野心家でもある。お嬢様がきちんと方針を示し続けることが大事です。それさえあれば、彼はきちんと応えられる人だと思いますよ」
「マークは?」
「誠実な方ですね。記録を取り続ける忍耐力と、データに基づいて考える力、試行錯誤をいとわない粘り強さがあるように思います。じっくり研究できる環境を整えてあげれば、近いうちに良い結果が出せるのではないでしょうか」
私はにっこりとうなずいた。
「相変わらずよく見てるね、ルナは」
「それが私の仕事ですから」
ルナが小さく微笑む。その笑顔が頼もしい、と思った。
新しい顔ぶれ、新しい動き。
この化粧品プロジェクト——うまくいくと断言するにはまだ早い。それでも、今日の顔合わせを終えた今、確かな手応えを感じていた。




