第53話:ベルンハルトの相談
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ベルンハルトが「少し毛色の違う話」とわざわざ前置きして切り出したため、私はてっきり、塩とは別の問題が起こったのではないかと身構え、注意深く彼の言葉を待った。
やがて語られたその相談事——それがまさか、以前気まぐれに作った化粧水の話だとは、思いもよらなかったのだが——。
◇◇◇
少し時を遡る。
酒造りが軌道に乗り始めた頃のことだ。
澄み酒の製造工程で、どうしても大量に出てしまうものがあった。酒粕である。搾り取った後に残る白っぽい塊は、当初は廃棄するしかなく、厄介者として扱われていた。
ミズホ村のトーマスも、なんとか活用できないかと村の女衆に頼み、料理に使ってみたそうだが、消費できる量は微々たるものだった。今のところの成果といえば、美味しい漬物ができたくらいらしい。
酒粕は本来、適切に処理すれば肥料や家畜の餌としても活用できるはずなのだが、そのあたりの知識は残念ながら私にはない。幸い、この分野の研究に興味を持ってくれた若者が村にいるそうなので、今後いろいろと支援していきたいと思っている。
とはいえ、このままでは大量の廃棄に人手もコストもかかる、ただの厄介者に過ぎない。それではあまりにももったいない——そう思ったのは、お母様の肌荒れがきっかけだった。
出産後に肌質が変わったこともあり、その冬は特に、乾燥と寒さでお母様の肌がひどく荒れてしまっていた。王都で流行りの美容液やいくつかの軟膏を試してもあまり改善せず、鏡を見ては、どこか沈んだ表情を浮かべるようになっていた。
なんとか笑顔を取り戻してほしい——そう願って前世の記憶を辿ったとき、友人が酒粕を使った化粧品シリーズを愛用していたことを思い出した。そう、酒粕には肌に良い成分が豊富に含まれている。ビタミンやアミノ酸、そして発酵によって生まれるさまざまな有効成分。それらを活かして化粧水や石鹸が作れないだろうか——そう考え、研究を始めたのが二年と少し前のことだった。
化粧水は、酒粕を水に溶かしてよく混ぜ、少量の蜂蜜を加えて漉したものをガラス瓶に入れるだけのシンプルな作り。石鹸は無添加の基材に酒粕を練り込み、型に流して固める。どちらも材料はオンタリオ領で手に入るものばかりだ。試作と改良を重ね、ルナと二人でおおむね納得のいく仕上がりになったところで、お母様に贈った。
冬も終わりに近づいた頃にはなってしまったが、しばらく試してもらった結果は、驚くほど良好だった。
肌荒れが落ち着いただけでなく、くすみや乾燥も目に見えて改善され、さらにはほのかな艶まで出てきた。私自身も使い続けるうちに、肌がいっそうもちもちになるという嬉しい誤算もあった。あまりの感触に、お母様もルナも触りたがり、あの頃はやたらと頬を撫でられたり、つままれたりしていたのを思い出す。ついでにお父様やお祖父様、さらにはアーサーまで便乗しようとしていたのには驚いたが、ルナの見事なガードにより事なきを得た。
そんな騒ぎも手伝って、興味津々になったメイドたちに囲まれたときは、正直なところかなり怖かった。あまりの熱意に押され、希望者に分けてあげたところ——口コミで評判が広まり、ついには本日のベルンハルトの相談へと繋がったというわけだった。
◇◇◇
「……あの騒ぎから、そんなことになっていたとは」
私は思わず、ベルンハルトを見た。
「はい」
ベルンハルトが真剣な顔で続ける。
「奥様方の間で評判が立ちまして。妻も義娘もぜひ使ってみたいと申しておりましたし、城下のご夫人方からも問い合わせが後を絶たない状況でして……正直、困っているのです」
「なぜ商業ギルドに問い合わせがいったのでしょう?」
「一般に流通していないものですので、最初は『どこで買えるのか』という問い合わせから始まり、やがて『商品化してほしい』という要望へ変わっていったようでして。そうなりますと、意見や要望を集約してご領主様にお伝えしやすい当ギルドが、自然と窓口となるわけでして」
なるほど。それは確かにそうなるか。
「あれ、そんなに評判になってたんだ……。私としては、廃棄処分されていた酒粕の有効利用くらいの気持ちだったんだけど」
「ハルカ」
お母様が、ふふっと控えめな笑い声を立てた。
「あの化粧水と石鹸、本当に素晴らしいのよ。お陰で肌のくすみと乾燥が劇的によくなって、お肌がぷるぷるになったでしょう?とても気に入ってしまって、お茶会の席なんかでつい自慢してしまっていたのよね」
お母様が得意げな、というよりも純粋に嬉しそうな表情で微笑む。
そうか、オンタリオ社交界のトップでもあるお母様が広告塔となって広めていたのなら、この展開も当然と言えば当然か。
ベルンハルトもお母様に同意するように大きく頷いた。
「そうなのです。お屋敷のメイドたちからも同様の評判を聞いておりますし、お茶会の席でミランダ様のお肌を目の当たりにされたご婦人方、またその噂を聞きつけた有力商人の奥様方からも……それはもう、問い合わせが殺到しておりまして」
「まあ、当然そうなるでしょうね」
お母様がにっこりと言う。
「これだけの効果があれば、美に聡い方々にとっては是が非にも手に入れたい品ですもの」
お父様が腕を組んで唸り声を上げた。
「ミランダ、そこまで見通していたのなら、もっと早くに教えてくれてもよかったのだぞ」
「ふふふ、ごめんなさい。せっかくハルカが私のために作ってくれたものだったから、しばらくは独り占めして堪能したかったのよ」
お母様はいたずらっぽい笑顔でそう言ってから、今度は私を見た。
「ねえ、ハルカ。商品開発に本腰を入れてみたら?廃棄予定のものが商品になれば税収も上がるし、働き口も増える。しかも皆に喜ばれるなら、最高じゃなくて?」
私はしばらく考えた。
酒粕は、酒の製造が増えれば増えるほど出てくる。今のところ、使い道はミズホ村の一部の家で細々と作られる漬物くらいしかない。全体量からすればほんの一部しか消費できない。もし化粧品として安定して売り出せるなら、廃棄コストが売上に転換される。材料はほぼタダ同然で、製造には人手がいるから雇用も生まれる。
それに、今のところお米とそれを原料とするお酒はオンタリオでしか作られていない。ということは当然ながら、そこから生まれる酒粕もオンタリオにしか存在しないわけで——。
計算が、頭の中で自然に動き始めた。
「わかりました」
私は顔を上げた。
「うちの領でしか手に入らない材料に付加価値をつけて経済を活性化させる——これも、領主教育の一環ということですね。では、量産と商品化の方向で考えてみます」
ベルンハルトの顔がぱあっと明るくなった。
「ありがとうございます、お嬢様!商業ギルド一同、全力でサポートさせていただきます!!」
よっぽど奥様方からの圧力が凄かったのだろう——ベルンハルトの輝く笑顔とその勢いに、部屋の全員から苦笑が溢れた。
「ただ」と私は続ける。「いくつか確認させてください。まず品質の安定化。今は手作りなので毎回少し出来が違います。量産するなら配合と工程を固定しなければなりません。次に保存期間。現在は冷暗所で一週間程度を目安にしていますが、流通させるならもう少し保つ方法を考える必要があります。それから容器と包装——今は煮沸消毒したガラス瓶に入れているだけなので、商品として出すなら見た目も大事ですよね。デザインにも工夫したいです」
「おっしゃる通りです」
ベルンハルトが頷きながらメモを取り始める。
「容器については、いくつか仕入れルートを当たってみます。保存については、薬師ギルドに相談するという手もございます」
「薬師ギルドの方々に成分分析をお願いできると、品質保証の面でも安心です。まずはそこから始めましょうか」
「はい!早速動きます」
「それから——」
私はお父様を見た。
「商品名や価格については、商業ギルドとも相談しながら決めたいと思います。廃棄されていた材料が原料とはいえ、効果がある以上、あまりに安くするのも考えものですし。ゆくゆくは王都での販売も視野に入れて、流通コストや販売方法についても検討しておいた方がいいですよね?」
「おっしゃるとおりです! 品質に見合った価格設定が肝要です。安すぎると、かえって信頼を損なうこともございます。それに、この商品であれば王都でも必ず話題になります。そうした点も見据えて、戦略を練らなければなりません!」
「なるほど。考えることが多そうですね」
「まさに。ですが、そこが商売の面白いところでもあるのです!」
鼻息荒く言い切るベルンハルトを、私は頼もしく思いながら眺めた。
その私の横顔を、お父様が静かに見ている。何も言葉はなかったが、その表情はどこか誇らしげだった。
◇◇◇
その夜、私はノートを広げ、商品ラインの構成を考え始めた。
まずは化粧水と石鹸。これはすでにある。次に何を加えるか——酒粕パックも作れるはずだ。洗い流すタイプなら保存の問題も少ない。蜂蜜を加えたバリエーションも面白いかもしれない。
蜂蜜といえば、のど飴も以前から好評だ。保湿成分としても優秀だから、化粧水に少量加えた「蜂蜜入り」シリーズを展開するのも良さそうだ。
考えるのが楽しい。アイデアが次々と湧いてくる。
ペンを走らせる手とともに、自然と口元も綻んでいく。
廃棄物が特産品になる。捨てるはずだったものが、誰かの役に立つ。自分のアイデアが新たな雇用を生み、オンタリオをほんの少し豊かにできるかもしれない。米酒開発のときにも感じたあの高揚感が、再び胸を満たしていく。マイナスをプラスに変えられる——そう思うと、今回のやりがいは前回以上だ。
明日になったら商業ギルドに行ってみよう。薬師ギルドも紹介してもらって成分検査を依頼して……そうだ、容器の仕入れ先も聞いておかなくては。ガラス瓶は運搬時に割れるリスクも高いし、どんな容器がいいだろう。スプレー式容器も作れないかな?——いや、その前に、配合と工程をきちんと固めるための研究が先か。それに、酒粕の確保もしなくっちゃ……。
次から次へとやるべきことが頭に浮かび、忘れないよう一つひとつノートに書きつけていく。気がつけば、銀色の月は真上へと昇り、夜の静寂の中、ペン先が紙を走る音だけが、かすかに、しかし途切れることなく響いていた。
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