第96話:近くて遠い
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夏休みも終わり、学院へ戻ると、私は学業に事業にと、慌ただしい毎日を送っていた。
特に事業では、エマを通じてグライフェンベルク産の紅花の仕入れルートを確保できたことで、オンタリオ産のはちみつを使った色付き保湿リップクリームの開発も動き始めた。
そして、ヒナタが修行のため中央教会へ移る時期も決まった。
お父様とお母様のたっての希望で、あと一年はオンタリオで一緒に暮らすことになり、来年の夏休みが終わる頃、中央へ移ることになったらしい。
秋は学院行事に加え、魔物討伐の依頼も重なり、気づけば季節はあっという間に冬へと移っていく。
そして、一年生最後の試験を終え、ようやく一息ついた頃、王都では社交シーズンの準備が本格的に始まった。
——デビュタントから、一年。
今日は、二度目の新年の宴だ。
一年ぶりに足を踏み入れた王宮の大広間は、巨大なシャンデリアがキラキラと輝き、今年も華やかな空気に包まれていた。正装した紳士淑女が優雅に談笑する光景も、一年前と変わらない。
ただ、今年の私は、深みのあるフォレストグリーンのノースリーブドレスに身を包み、光沢のあるロングスリーブの手袋を合わせている。髪はハーフアップにまとめ、ドレスと共に誂えたリボンを飾り、首元には控えめなゴールドのネックレスを添えている。
——去年より、少しだけ大人びた装いだ。
「ハルカ様。列が動きますよ」
去年と違うところは、もう一つ。
私の隣には、エスコート役として立つヒロがいた。
お父様たちの間で相談した結果、一日目はヒロ、二日目と三日目はレオにエスコートしてもらうことになったらしい。
本当は、お祖父様が「ワシがやる」と言い出したのだけれど、領地の守りが手薄になるため断念。その代わりとして、お祖父様が指名したのがヒロとレオだった。
現在、クラウゼン家はオンタリオ家の寄子となっている。その立場を考えても、二人が最も適任だろうという結論に落ち着いた。
「ハルカ、ボーッとしてないで。もうすぐ挨拶の順番が来るわよ」
お母様の檄が飛ぶ。
私たちが今並んでいるのは、王族への挨拶のための列。
辺境伯家筆頭でもある我が家の順番は、公爵家、侯爵家の次。まあまあ早いのだ。
「新年のお祝いを申し上げます。オンタリオ家より、王家の皆様へご挨拶に参りました」
お父様が代表して、右手を胸元に当て、上体を深く折り曲げる礼をとる。
お母様と私はそれに続いてカーテシーを行い、ヒロも私の隣で、お父様と同じように上体を傾けた。
「うむ。みな、よく来てくれた。ハルカ嬢は見違えるほど美しく成長したな」
陛下からのお声がけ。一瞬、ドキリとしたものの、私はできるだけ優雅に見えるよう、ニコリと微笑んで言葉を返す。
「お褒めいただき、ありがとうございます。陛下におかれましては、変わらずご健勝のご様子、大変嬉しく存じます」
「ハルカ……嬢の今宵のパートナーは、クラウゼン子爵が務めているのですか?」
突然聞こえてきたアーサーの声に、思わず戸惑う。
——ん? それ、今聞くこと?
私が返事に迷っていると、代わりにお父様が口を開いた。
「私から依頼しました。昨年は、娘に近づこうとする方々の間で混乱が生じましたので、エスコート役は必要だと判断したのです」
「……そうですか」
小さく呟いたアーサーの表情が、どこか寂しそうに曇る。
どうしたんだろう──そう思う間もなく、レイノルド様が口を開き、会話は次の話題へと移っていった。
「確かに、あらかじめエスコート役を決めておけば、無用な混乱は避けられるな。令嬢と子爵は、婚約の話も進んでいるのかな?」
「いえ、そこまでは。娘が学院を卒業する頃までには決めたいと考えております」
「そうか」
話が一段落したところで、今度はソフィア様が優雅に微笑んだ。
「ハルカ様は、このパーティーには三日間とも参加されるご予定ですか?」
「はい。明日以降は、クラウゼン子爵の弟君と共に参加させていただく予定です」
「まあ! でしたら、ぜひ私のお友達にもご紹介させてくださいませ。皆さま、ハルカ様とお話ししたいとおっしゃっていましたの」
「承知しました。楽しみにしております」
そこまで話したところで、お父様が「では、私たちはこの辺りで」と辞去の挨拶を述べた。
陛下から「楽しんでいってくれ」と温かい言葉をいただき、私たちは王家の御前を辞した。
飲み物を受け取り、ようやく一息つく。
家族でしばらく談笑していると、お父様より少し年上の、品のいい紳士が奥様を伴って近づいてきた。
「タイロン殿、ミランダ殿!」
「これは、グランフェルト公爵、公爵夫人!ご無沙汰しております」
私もヒロと共に礼をとり、お二人に挨拶をした。
「ハルカ嬢はこの一年ほどでさらに美しくなったな」
「ええ、本当に。それに、事業の方も好調のようね。あなたが昨年勧めてくれた化粧品、お友達にも勧めてみたのだけれど、とても評判が良くてよ」
「ありがとうございます!」
私は満面の笑顔でお礼を述べる。
そこからは、お父様たちは貿易事業に関する情報交換や交易品について話し、私はお母様や夫人と共に化粧品事業の話題に花を咲かせた。
やがて、楽団の演奏が始まり、昨年同様、まずレイノルド殿下とソフィア様が中央でダンスを披露した。続くデビュタント組のファーストダンスが終わると、私もヒロと共に踊りの輪に加わった。
「お嬢様とのダンスも一年ぶりですね」
「ふふふ、この一年で大分背も伸びたから、踊りやすくなったでしょ?」
私はくるりとターンを決める。
すると、優しく目を細めて私を見るダークブラウンの瞳と視線がぶつかった。
「ええ、本当に。この一年で、すっかり大人っぽくなられましたね」
ヒロらしい真面目なその返しに、私の心臓がドキリと跳ねた。
「あ、ありがとう」
なんとなく恥ずかしくなって、視線を下げる。
「お嬢様、よそ見していると転びますよ」
「え?」
慌てて顔を上げると、イタズラっぽく笑うヒロの顔がすぐそこにあった。
「もう!」
私たちはくすくすと笑い合いながらステップを踏む。肩の力も抜け、ファーストダンスを心から楽しむことができた。
曲が終わり、向かい合って礼を交わす。
ふと視線を上げると、遠くでソフィア様とダンス後の挨拶を交わしていたアーサーと目が合った。
アーサーがこちらへ歩き出す。
——その瞬間だった。
ご令嬢を伴った高位貴族の男性が彼に声をかける。
アーサーは足を止め、礼儀正しくその貴族へ向き直った。
私もまた、ヒロに促されるままダンスの輪を離れる。
すると、タイミングよくセシルが現れた。
「ハルカ嬢、一曲踊っていただけませんか?」
そう言って、手を差し出すセシル。
私は笑顔で了承を伝えると、その手をとって再び踊りの輪に加わった。
「ハルカ、久しぶり!元気にしてたか?」
「もちろん!セシル様は忙しそうだね。最後に会ったのはソフィア様のお茶会だっけ?」
「そうだな。最近は騎士団の仕事も忙しくて」
「フェリックス様から聞いてるよ。兄上が大変そうって」
「何だよ。俺よりフェリックスの方が最近は仲がいいみたいじゃないか」
談笑しながら、ステップを刻む。
ヒロの時も思ったけれど、この一年で身長が伸びた分、去年よりもずっと踊りやすくなっていた。
「ハルカ、ダンス上手くなったな」
「ありがと。アーサー以外と踊るのに慣れてきたせいかな」
「どういうこと?」
「領地で練習してた時、パートナーはいつもアーサーだったから」
「そういうことか。なあ、ハルカ。今日はヒロ殿のエスコートを受けてるみたいだけど、ハルカの婚約話って今どうなってるんだ?」
「え?まだ何にも決まってないよ」
「そうか……。なあ、話したいことがあるんだけど——」
と、セシルが言いかけたところで、ちょうど曲が終わった。私たちは慌ててダンスの輪から外れる。
ちょうどそこへ今度はフェリックスが現れた。
「ハルカ嬢、今度は俺と一曲お相手いただけますか?」
にこやかに手を差し伸べるフェリックス。私は「喜んで!」とその手をとろうとして、セシルを振り返る。
「そういえば、セシル様。何か言いかけたよね。何だった?」
「いや、今はいい。また今度、ゆっくり話そう」
そう言って、ダンスへと送り出された。
——なんだったんだろう。
気にはなったけれど、今は深く考えないことにした。
フェリックスとのダンスが終わり、ヒロの元へ送り届けられた私は、流石に喉が渇いてきたので飲み物を取りに移動した。ふとダンスホールを振り返ると、アーサーがフェリシア嬢と踊っている姿が目に入る。
「アーサー様はアイゼンベルク侯爵令嬢とダンスをされているようですね」
「ヒロ、彼女のこと知ってるの?」
「もちろんです。"王都社交界の花"と呼ばれているご令嬢ですね。お父上は外務部の重鎮でいらっしゃいます」
「……そうなんだ」
結局私はその後アーサーと言葉を交わす機会もなく、お父様と一曲だけ踊って一日目を終えた。
二日目と三日目。
エスコート役はレオに替わり、交流する相手も学院の友人や、ソフィア様から紹介していただいた貴族令嬢や夫人方が中心となった。
今年は学院の友達やソフィア様を介した知り合いも増えたことで、私自身の社交がとても捗った。新たな人脈を得て、お茶会の約束や商談の話もまとまり、とても有意義な三日間を過ごすことができた。
エスコート作戦も功を奏したようで、デビュタントのような挨拶渋滞も起こることなく、私はほっと胸を撫で下ろした。
ただ、結局この三日間、アーサーとは踊ることはおろか、ゆっくり話すこともできなかった。
ファーストダンスをレオと踊った後、何度かアーサーと視線が合った。
そのたびに、彼はこちらへ来ようとしてくれる。
けれど、曲が終わるたびに誰かに呼び止められ、私もまた夫人方や学院の友人たちに囲まれていた。
ほんの少し視線が合っても、言葉を交わす暇はない。
——去年までは、こんなことなかったのに。
王族と辺境伯令嬢。
互いの立場が変わったわけではない。
けれど、それぞれが背負うものが増えた今、当たり前のように隣に立つことは、もうできなくなっていた。
同じ会場にいるはずなのに、ずっと遠くにいるみたい。
——そんなうまく言葉にできない寂しさを覚えた、新年の宴だった。
*フェリシア・フォン・アイゼンベルク*
覚えていますか?『 第85話:嫉妬と友情(2)』に登場。食堂でハルカに「アウトですわ!」と声をかけてきた王立学院家政科に所属する御令嬢です。




