第93話:ヒナタの魔法
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翌朝。
空が白み始める頃には目を覚まし、訓練場へと向かった。
ここに帰ってくると、自然とこの時間には目が覚めるんだよね。
せっかくだし、寮では思い切りできない分、今日はいろいろ試してみよう。
私は両手を大きく広げて体を伸ばした。
朝のひんやりとした空気が心地いい。
久しぶりに澄んだ空気を胸いっぱい吸い込みながら歩いていると、途中でレオと一緒になった。
挨拶を交わすと、自然と二人並んで訓練場へ向かった。
そこでは、すでにアーサーとフェリックスが並んで素振りに励んでいた。
どうやら私たちより先に来ていたらしい。二人とも朝から気合十分だ。
「おはよう。早いね、二人とも」
「ハルカたちもね」
「おはようございます!今日からよろしくお願いします」
二人と軽く挨拶を交わし、レオと準備運動を始めた。
ちょうどお祖父様も現れたので、さっそくフェリックスの剣を見始める。
さて、私も始めるか。
木剣を構え、ゆっくりと素振りを始める。久しぶりの感触。
私は動きを確かめるように、丁寧に素振りを繰り返した。
隣ではレオも静かに体術の型を繰り返している。
やがて陽が昇り、双子も起き出してきてレオの体術を見学し始めた。
私は一通り素振りを終えると、アーサーに声をかけることにした。
「アーサー、久しぶりに『紅蓮』の確認をしとかない?」
「そうだね。俺も少し試してみたいことがあるから、やってみよう」
少し離れた場所へ移動し、魔力を練る。
二人で息を合わせながら、炎と風を絡ませる感覚を確かめた。
風が炎をまとい、渦を描く。
久しぶりとは思えないほど息が合う。
アーサーが風向きを少し変えるだけで、炎は生き物のように形を変え、高く空へ舞い上がった。
「アーサー、風向きに気を付けて!」
炎の勢いが増えすぎないように、でも消してしまわないように、注意深くアーサーが風を操る。
そんな私たちを、いつの間にかやってきたヒナタが、少し離れた場所から眺めていた。
訓練場の柱の影、邪魔にならない位置にちょこんと座り、両手で頬を抱えながら、じっと炎と風が交差する場所を目で追っていた。
一方、アリサは最初の場所から微動だにせず、レオの体術に釘付けだった。
「レオ兄、それ何の型?」
「基礎の十二型のうちの一つだ。今は四番目」
「かっこいい! ねえ、やってみていい?」
「やめとけ。ちゃんと段階を踏んで覚えないと、体を痛める」
レオはそう言ったが、アリサはすでに足を肩幅に開いていた。
「やってみたい! ちょっとだけ!」
レオはため息をつくと、渋々向き直った。
「……じゃあ、型だけな。ゆっくり見てろ」
ゆっくりと型を演じてみせると、アリサは目を輝かせながら同じ動きを真似し始めた。
見様見真似とは思えない動きだった。運動が得意なだけあって、重心の取り方が自然で、動きにキレがある。
「上手いじゃないか」
レオが驚きに舌を巻く。
「でしょ!」
得意げなアリサは、調子に乗ってどんどんと動きを大きくし始めた。
ひとつ、ふたつと踏み込みを重ねるたび、アリサの足は少しずつ私たちの方へ近づいていた。
けれど、紅蓮に集中していた私たちも、アリサ本人も、そのことにまったく気づいていなかった。
——その時、レオが弾かれたように顔を上げた。
「アリサ危ない!」
レオの叫び声が響く。
その声にアリサが振り向いた、その瞬間——炎が風に煽られ、大きく跳ねた。
「アリサ!」
炎の向こうへ飛び込むように現れたアリサに、私は叫ぶことしかできなかった。
——ダメだ!避けきれない!!
アーサーが咄嗟に『紅蓮』を解除する。
だが、間に合わない。
炎が掠め、アリサの小さな呻き声が漏れた。
「っ……!」
訓練場の空気が、一瞬で凍りつく。
「アリサ!」
私は夢中でアリサへ駆け寄った。
腕には赤い跡がみるみる浮かび上がり、皮膚が腫れ始めている。水ぶくれもできていた。
「ごめん、ごめんねアリサ、痛いよね?」
アリサは唇をぎゅっと噛んでいた。痛みをこらえているのが分かる。
「フェリックス、ミランダを至急呼んできてくれ!」
お祖父様の声に、フェリックスが迷わず走り出した。
「とにかく、急いで冷やせ。レオ水を持って来い。アーサーはそこの救急箱を!」
お祖父様の指示に、レオとアーサーが駆け出していく。
誰もが幼いアリサのひどい傷に、顔色を変えて必死にできることを探していた。
その時。
ヒナタが、静かに立ち上がった。
咄嗟の事態に怯えるようにしゃがみ込んだまま動かずにいたヒナタが、泣きそうな顔のまま、それでもゆっくりと。そして、ヨロヨロと痛みを堪えるアリサに近づくと、その傍にしゃがみ込んだ。
「……アリサ、痛いのやだよね。今、痛いの無くしてあげるからね」
そっと、腕に手を当てる。
「ヒナタ……?」予想外のヒナタの行動に、私たちは動きを止めた。
次の瞬間。
ヒナタの小さな手から、朝日に溶けるような淡い光が静かに溢れ出した。
——キラキラ、キラキラ。
ほんの数秒。
光が引くと、そこには——元通りの柔らかな白い肌があった。赤みも、水ぶくれも、跡形もなく消えていた。
「え?」
アリサが目を丸くして自分の腕を見つめた。
「痛くない!痛くないよ、ヒナタ!」
喜び、ヒナタに飛びつくアリサ。
私たちは、呆然とその様子を見つめた。
「スゴイよ、ヒナタ!痛いの治っちゃった!!」
ヒナタは安心したようにホッと小さく息を吐くと、「えへへ」と照れくさそうに笑った。
ハッと我に返った私は、改めてアリサの腕を確認した。けれどそこにあったのは、傷ひとつないやわらかな白い肌だけ。
「アリサ! 良かった。もう他に痛いところはない?」
「大丈夫だよ! みーんな、ヒナタが治してくれたもの」
良かった。怪我は大丈夫そう。
——それにしても、今のは……。
私はホッと肩の力を抜き、今度はヒナタに向き直った。
「ヒナタ、アリサを治してくれてありがとう。今のは治癒魔法?こんなに上手に扱えるなんて、すごいね」
私はぎゅっと二人を抱きしめた。
お祖父様も、後ろで安心したように息を吐いている。
アーサーとレオも戻ってきて、傷ひとつなくなったアリサの腕を驚いたように見つめる。
レオの持っていた桶が、音を立てて地面に置かれた。
「……治ったのか?」
信じられないものを見るように、アリサの腕を凝視した。
アーサーも「そんな……」と呟いて、呆然と立ちすくむ。
やがて、ハッと我に帰ったアーサーが、アリサに向けて深々と頭を下げた。
「ケガさせてごめん、アリサ。俺がもっと気をつけていればこんなことにはならなかったのに……」
それを見たレオも、同じように頭を下げた。
「俺こそごめん。アリサと一緒にいたのは俺だった。もっとちゃんと見ていれば防げたことだ。本当に、すまなかった」
私も二人と並んで頭を下げる。
「私も。ごめんねアリサ。今までと同じ感覚で訓練場を使っていたけど、あなたたちも出入りするんだもの。もっと気をつけるべきだった」
「それを言うなら、ワシもじゃ。すまなんだな、アリサ」
お祖父様も力なく頭を下げた。
「もう! みんなやめて! アリサもう痛くないし、謝らなくていいよ!」
四人でうなだれていると、アリサが元気に立ち上がり、パンパンと服についた砂を払い落とす。
腰に手を当てて私たちにそう宣言していると、フェリックスに案内されてお母様が慌てた様子で姿を見せた。
「アリサは!?大丈夫!?」
アリサに駆け寄るお母様。
全身に視線を這わせ、即座にケガの確認を始めた。
……のだが。
「えっ?」
すっかり治った腕を見て、驚いたように私に視線を向ける。
私が事情を説明すると、お母様は改めてアリサの前に屈み、もう一度腕をくまなく確認した。
「……ハルカ、その火傷、どのくらい酷かったの?」
「結構赤くなってたよ。水ぶくれもあったし」
「そう……」
お母様は、治ったばかりのアリサの腕をそっと撫でた。焼け焦げた袖だけが、さっきまでそこに火傷があったことを物語っていた。
しばらく腕を見つめていたお母様が、困惑したように呟く。
「これは、水属性の治癒魔法だけでは説明がつかないかもしれないわ」
「どういうこと?」
お母様は少し考えてから、ゆっくりと話し始めた。
「水属性の治癒魔法というのはね、傷を消す魔法ではないの。人の持つ治る力を助けて、早く回復するよう促す魔法なのよ」
「治るのを手伝う?」
「そう。だから、重い火傷なら赤みや痕が少し残ることもあるし、治るまでには時間もかかるわ。私も、そこまでならできるの」
お母様はアリサの腕を見つめたまま続けた。
「でも、この腕には何も残っていない。まるで、傷そのものがなかったことになったみたいでしょ」
「それって……?」
「……光魔法の可能性が高いわ」
お母様の声が、わずかに硬くなった。
「光魔法?」
「神官や聖女が使う力よ。水の治癒魔法が身体の回復を助けるものだとすれば、光の回復魔法は傷そのものに直接働きかける。だから、重い外傷であっても、短時間で跡なく治してしまうことがあるの」
「……じゃあ、ヒナタは聖女ってこと?」
「まだ何とも言えないわ……」
お母様はすぐに首を横に振った。
「光属性の適性を持つ人は珍しいけれど、きちんと調べてみないことには——」
さっきまで穏やかだったお母様の顔に、どこか複雑な色が浮かんでいた。
「もし本当にそうなら、この子の将来について、家族みんなで考えなくてはならないかもしれないわね……」
お母様はそう呟くと、何も知らずに笑い合うアリサとヒナタを、静かに見つめた。
その横顔が少しだけ寂しそうで、言い知れぬ不安が胸の奥をよぎるのだった。




