番外編一 新米文官の最初の一日
新しい制度を作ると、次に必要になるのは、それを回す人だった。
春まだ浅い朝、税関庁舎には三人の新米文官が並んでいた。
会計補助、契約確認補助、公開台帳補助。それぞれ採用したばかりの顔だ。皆、緊張で背筋が棒のようになっている。
「ようこそ、グラナート税関へ」
私はできるだけ穏やかに言った。
「怖い仕事だと思われがちですが、正しく怖がれば大丈夫です」
三人とも目を瞬く。
一番若い少年が、おそるおそる手を挙げた。
「正しく、ですか」
「はい。書類を読まずに押すこと、人に急かされて確認を飛ばすこと、その二つを怖がってください」
「は、はい!」
最初の講義は、読み上げ確認だった。
労働契約、納品契約、寄進受領票。紙の山を前に、新米たちは見るからに尻込みしている。
私は一枚を手に取り、ゆっくり読んでみせた。
句点で区切り、金額で止まり、期限で相手の目を見る。
「相手が急いでいても、ここは急がなくていい」
「怒られたらどうすれば」
「『確認は双方のためです』と言ってください」
「本当にそれで?」
「怒る相手ほど、後で揉めます。ここで止めた方が安いです」
隣で聞いていたマルタさんが真顔で頷いた。
「安いです」
午前中の終わりには、皆少しだけ顔つきが変わっていた。
不安が消えたわけではない。でも、何を怖がればいいのか分かった顔だ。
昼休み、食堂へ向かうと、いつものように席がにぎやかだった。
トマスがさっそく新米へ向かって胸を張る。
「終業札は大事です」
「まだ昼ですけど」
「大事です」
「それは午後から教えます」
私がそう言うと、皆が笑った。
午後、契約確認補助の少女が、初めて持ち込まれた納品書の前で固まった。
「総監、これ、受領欄の字が変です」
「どこが」
「ここだけ、急に丸くなっています」
私は見て、少しだけ嬉しくなる。
ちゃんと見えている。
「良い着眼です。受領者へ照会しましょう」
少女の頬がぱっと明るくなった。
「はい!」
夕方、全員で終業札を裏返したあと、新米たちは少し疲れた顔で、それでもどこか誇らしげだった。
私も初日こんな顔をしていただろうかと思う。
庁舎の扉を閉める時、私はふと気づく。
前は自分だけが知っていればいいと思っていた。
でも今は違う。見えることも、読むことも、守り方も、誰かへ渡していける。
それが制度なのだと、ようやく実感していた。
「総監」
新米の一人が深く頭を下げた。
「明日も、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
私は答える。
「明日も一緒に、正しく怖がりましょう」
港の夕暮れは相変わらず冷たい。
それでも、その冷たさの中に新しい人の気配が増えていくのは、悪くなかった。




