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第五十一話 公爵様は今日も迎えに来る

「総監殿、またです」


トマスが半ば呆れたように窓の外を指した。

日没少し前の庁舎前。そこには、濃紺の外套をまとったレオンハルト公爵が当然のように立っている。


「またですね」

私はペンを置いた。

「今日こそお一人で帰れると思ってました」

マルタさんがにこにこしている。

「まだ書類がありますので」

「終業札」

二人の声が揃った。


ぐうの音も出ない。

最近、庁舎の誰もが第五条を盾に私を追い返そうとする。婚約契約に終業規定を入れたのは、少し失敗だったかもしれない。


「でもこの表、今日中にまとめたいんです」

「明日でも港は沈みません」

マルタさんがきっぱり言う。

「沈む前にまとめたいんです」

「総監」

「はい」

「公爵閣下の方が怖いです」

トマスが真顔で言った。

それはたぶん正しい。


私は観念して書類を整え、外套を羽織った。

庁舎の扉を開けると、冷たい夕風が吹き込む。公爵は私を見るなり、ごく自然に鞄を受け取った。


「まだ重い」

「紙ですので」

「減らせ」

「必要です」

「全部が?」

「だいたいは」

「だいたい、か」


並んで歩き出す。

庁舎から文官棟までは本当に近い。迎えが必要かと言われれば、不要だ。

でも、必要かどうかだけで測れないものもある。


「今日は診療所だったな」

彼が言う。

「はい。四束分の請求騒ぎでした」

「解決したか」

「しました。古い慣れは抜けにくいですね」

「人も同じだ」

「第五条を武器にされるのも?」

「それは良い慣れだ」

「どこがですか」

「君がちゃんと帰る」

「ずるい答えですね」

「有効だ」


防波堤沿いの道を歩くと、ちょうど帰宅する人夫や小商会の人たちとすれ違う。

皆、以前よりよく挨拶をしてくれるようになった。

中には「公爵様、今日もお迎えですか」とからかう者までいる。


「定着してますね」

私が言うと、公爵は眉一つ動かさず答える。

「何がだ」

「お迎え」

「迎えだ」

「否定になっていません」

「必要だから来ている」

「便利な言葉ですね」

「使いやすい」


文官棟の前へ着くと、彼は鞄を返さず、そのまま一緒に玄関まで入ってきた。

「閣下?」

「少しだけ」

「何が」

「夕食」

「ああ」


最近はこうして、時間が合う日は一緒に軽い夕食を取るようになっていた。

特別なことではないようで、やはり特別だ。


台所で湯を沸かしながら、私はふと尋ねる。

「本当に、毎日迎えに来る必要がありますか」

「ある」

「即答ですね」

「日没後の通常残務は避ける。第五条だ」

「それは私への規定です」

「協議条項でもある」

「抜け目がない」

「契約しただろう」

そう言われると弱い。


食卓につき、簡単なスープとパンを分け合う。

忙しい日ほど、こういう時間が妙に落ち着く。豪華な晩餐よりずっと。


「アイリス」

「はい」

「今日は少し笑っていた」

「診療所でですか」

「ああ」

「セシリアが慣れてきたので」

「良かったな」

「はい。港が少しずつ整っていくのが分かります」

「君が整えた」

「皆で、です」

「そういう返しをすると思った」


彼がスープを置き、ふっと目を細める。

その表情を見るたび、最初に会った時には想像もしなかったなと思う。

氷竜公。冷たい手の公爵。

今では、終業札を盾に迎えに来る人だ。


食後、帰り際に彼は私の机の山を見て一言。

「三つ減った」

「よく見ていますね」

「迎えに来るたび確認している」

「監査ですか」

「私人としてだ」

「それは」

「文句があるか」

少しだけ考えてから、私は首を振った。

「いいえ。かなり満足です」


その答えに、彼はとても短く笑った。

短いけれど、私には十分な笑みだった。

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