第五十話 冬の診療所と請求書
セシリアがグラナート診療所へ正式に入ってから、最初の騒ぎは三日で起きた。
「薬草代が合いません!」
朝一番、診療所から半泣きの使いが駆け込んできたのである。
私は予想外に驚かなかった。
新制度が定着し始める時期というのは、今まで曖昧に流れていたものが急に表へ出る。良いことだが、騒ぎにもなる。
診療所へ行くと、セシリアが帳簿を抱えて頭を抱えていた。
「見てください」
「はい」
「納入された解熱薬草十束に対して、請求は十四束分なんです」
「納品書は」
「あります。でも受領欄の字が違う」
「なら話は早いです」
私は納品書と受領台帳を並べた。
たしかに受領欄だけ筆圧が違う。インクも濃い。しかも受領時刻が診療所の昼休み時間と一致していて、セシリア本人はその時病人の処置中だったらしい。
「誰が持ってきました」
「東市場の薬材商、オーデルさんです。前は教会に卸していた方」
「なるほど」
以前の寄進搬送枠に慣れた業者ほど、曖昧な請求の癖が抜けない。
悪質か、惰性かはまだ分からない。だが、どちらにせよ正さなければならない。
「呼びましょう」
私は診療所の机を借り、その場で呼出通知を書いた。
『受領記録齟齬につき、本日午後二刻、診療所にて照合』
短い。十分だ。
午後、やってきた薬材商オーデルは、最初から不機嫌そうだった。
「たかが四束だろう」
彼は言う。
「前はこれくらい融通が――」
「前、ですね」
私は笑顔で遮る。
「今は前ではありません」
「聖女候補様までそんな細かい」
「私は候補ではなく診療所補助責任者です」
セシリアがきっぱり言う。
その言い方に、私は少しだけ嬉しくなった。
私は納品書を示す。
「受領欄の筆跡が違います」
「忙しくて代筆したんだ」
「誰が」
「ええと」
「受領確認者の名は」
「……」
「四束分の薬草はどこへ納めました」
「そ、それは」
「ないなら、請求の取り下げと、過去三か月分の納品照合をお願いします」
そこまで言うと、男は露骨に顔色を変えた。
トマスが横で「三か月分」と繰り返して記録しているのも効いている。
「そこまでしなくても!」
「できますよ」
私は穏やかに言う。
「診療所は公開台帳対象です。納品も請求も全部残っていますから」
「ぐ……」
「あと、もし教会時代の慣例が残っているなら、今のうちに洗った方がご本人のためです」
最終的に、オーデルは四束分の請求を取り下げ、さらに過去分の再照合にも同意した。
悪質というより、古い慣れが抜けていなかったらしい。
でも、そういう曖昧さこそ一番広く腐る。
「疲れました……」
男が去ったあと、セシリアが椅子へ沈み込む。
「帳簿って、本当に逃げられないんですね」
「はい」
「でも、嫌いではなくなってきました」
「良い傾向です」
診療所の窓から、冬の日差しが薄く差し込んでいた。
待合には子どもと老人が並び、薬草茶の匂いがする。
前よりも落ち着いた空気だ。
「こういうのが積み重なるんですね」
セシリアが呟く。
「大きな不正がなくなるというより、毎日の小さな誤魔化しが減っていく」
「ええ」
私は頷く。
「制度って、たぶんそういうものです」
帰り際、セシリアがにこりと笑った。
「請求書令嬢という呼び名、少し分かってきました」
「分かっていただかなくてもいいんですけどね」
「でも格好いいです」
「それはたぶん、誤解です」
「良い誤解は残しておきましょう」
診療所を出ると、港の鐘が夕刻を告げていた。
もう少し仕事はある。だが、今日は終業札を裏返せそうだ。
そう思いながら歩き出した時、広場の向こうに、見慣れた濃紺の外套が見えた。
今日もまた、迎えが来ているらしい。




