第三十六話 小さな同盟
新しい輸送網を動かすには、王都の印だけでは足りなかった。
実際に船を出し、荷を積み、受け取る人間が必要だ。
私はその日一日で、何通もの打診文を書いた。
東方沿岸の中小港、独立系の塩商、かつてゼグナー商会に押されて撤退した船主、教会の外で診療所を営む薬商組合、そして北辺の小商会。
一括ではなく、少しずつ、つなぐための文だ。
夜になって、最初の返事が届いた。
東方の小港ベルサの船主組合。
『量は少ないが、蒼晶塩なら一便出せる』
続いて、薬商組合。
『監察局保護があるなら、王都教会経由でない搬送にも応じる』
さらに、北辺の小商会からも。
『ゼグナーに睨まれて干されていたが、今ならやる』
「来ましたね」
マルタさんが目を輝かせる。
「はい。小さいですけど、確かな返事です」
トマスは山のような返信を抱え、半泣きだった。
「整理が追いつきません!」
「そこは追いついてください」
「はいぃ……!」
私は机を三つに分けた。
一つ目、蒼晶塩先行便。
二つ目、食糧便。
三つ目、医療便。
それぞれに必要な契約を重ね、期限と数量を赤で囲む。マルタさんは金額換算、トマスは時系列表、私は署名順と保証関係を組む。
まるで戦術盤だ。
「小さな同盟ですね」
ぽつりとセシリアが言った。
彼女は今日は記録補助として来ていた。監察局預かりの立場でまだ自由ではないが、手伝いたいと自ら申し出たのだ。
「同盟?」
「だって、大きな力で押さえつけられた人たちが、少しずつつながっているみたいで」
私は少し考え、頷いた。
「そうかもしれません」
夜半、最後の難所だった価格保証条項の調整が残った。
小商会は志だけでは動けない。彼らにも生活がある。
だからといって暴利を認めれば、北辺の市場は守れない。
私は数字を睨み続け、ふとひらめいた。
「逆です」
「逆?」
レオンハルト公爵が問う。
いつの間にか背後に来ていたらしい。
「価格上限だけだと、売り手が不安です。だから最低買上げ保証も入れます」
私は新しい一文を書き込む。
「市場が落ち着いた後でも、緊急協力分は一定価格で公爵領が引き取る。これなら、中小商会は損切りを恐れずに動ける」
「二段の価格帯か」
「はい。上にも下にも振れすぎないように」
公爵は書き上がった条文を読み、頷いた。
「これならいける」
「ぎりぎりですが」
「君は本当に、ぎりぎりを紙で渡るな」
「落ちないように幅は取っています」
「それを一般には、ぎりぎりと言う」
でも、その一文で潮目が変わった。
深夜のうちに、いくつかの保留返答が一斉に承諾へ変わったのだ。商人は危険を恐れる。けれど、危険を分け合う契約があるなら動ける。
「同盟成立、です」
トマスが時系列表へ最後の印をつけた。
私は椅子へ背を預ける。
頭が重い。目も痛い。けれど机の上に並んだ契約書たちは、これまでのどんな豪華な王都の招待状より、ずっと美しく見えた。
セシリアがそっと言う。
「私、今まで『大きな後ろ盾があれば安心』だと思っていました」
「違いましたか」
「大きいと、そこが腐った時に全部持っていかれるんですね」
「ええ」
「小さくても、信頼できる方が強い」
「その通りです」
その時、レオンハルト公爵が静かに告げた。
「第一便は明朝に出る」
「はい」
「北辺へ戻るぞ」
私は顔を上げた。
「王都の手続きは」
「監察局が残る。こちらは港を守る」
その判断に迷いはなかった。
私は机上の契約群を見渡す。
この小さな同盟が、どこまで持つかはまだ分からない。
でも、今ここには確かに、誰かに握られないための形がある。
それだけで、もう十分戦える気がした。
第五章ここまでです。
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