第三十五話 書類で戦争を止める方法
翌日の午後、私は王宮法務局、監察局、そして北辺側代理人を集めた臨時会議で、新しい輸送網の骨子を説明していた。
「大手商会を経由しない小口連結輸送です」
私は地図を広げる。
「王都から直接北辺へではなく、東方沿岸の中小港を継ぎ、複数の独立商会へ分散して積み替える。各区間は短く、小さく、切れても全体が止まらない構造にします」
法務局の役人が眉をひそめる。
「効率が悪い」
「ええ。平時なら」
「今は非常時だと」
「はい。効率より、止まらないことを優先します」
王都の役人たちは、最初は明らかに懐疑的だった。
彼らは大規模一括契約に慣れている。数字も見栄えがいいし、管理も楽だ。
だが、一括だからこそ、握る側が生まれる。
「蒼晶塩は」
レオンハルト公爵が問う。
「最優先で先行便を組みます。穀物より先に」
「民の食い扶持より?」
法務官が驚く。
「結界が落ちれば港が閉じます。港が閉じれば、穀物はその先もっと入らない」
沈黙。
私は続けた。
「北辺は、まず港を生かさなければならないのです」
その一言で、ようやく全員の視線が地図へ揃った。
紙の上でしか見ていない人にとって、港は点かもしれない。でも現地では、生死を分ける門だ。
「問題は、誰が最初に契約へ署名するかだな」
主席監察官が言う。
「大手に睨まれる」
「そこで」
私は新しい書式を卓上へ置いた。
『監察局保全指定・緊急公共輸送契約』
「これに署名した商会は、王命調査協力者として保護対象にします。不当な契約破棄や威迫があった場合、差押えと監察を即時適用」
「そんなことが可能か」
法務局の役人が唸る。
「法的根拠は?」
「こちらです」
私は条文集を開き、監察協力者保護規定と地方公共輸送命令の接続を示した。
滅多に使われない古い条項だが、存在はする。使ってこなかっただけだ。
「また古い条文か」
主席監察官が半ば呆れたように言う。
「便利ですよ。悪用もできるので」
「君が言うと迫力が違うな」
少しだけ笑いが起き、会議の空気がやわらぐ。
その隙に、私は最後の論点を出した。
「それと、供給だけでは足りません。北辺市場の価格急騰を抑えるため、一時的に価格上限契約を結びます。暴利を取った商会には後日監査を」
「商売人は嫌がるぞ」
「ですが、今は飢えに投機している場合ではありません」
議論は長引いた。
だが、最終的には骨子が通った。
監察局保護付き小口連結輸送、蒼晶塩先行便、価格上限付き緊急売買。
完璧ではない。でも、報復で北辺を締め上げる計画へ横槍を入れるには十分な形だ。
会議の終わり際、法務局の年配役人が私へ言った。
「書類で戦争を止めるなど、大げさだと思っていた」
「今もそう思われますか」
「いや。戦争の半分は、始まる前の契約で決まるのだな」
私は深く頭を下げた。
それはたぶん、今日一番うれしい理解だった。
会議室を出ると、セシリアが廊下で待っていた。
「どうでしたか」
「動きます」
「よかった……」
彼女は心底ほっとしたように息を吐く。
「あなたの証言も効きました」
私が言うと、セシリアは首を振った。
「私は見たことを話しただけです」
「それが難しいんです」
「あ、それ、前にも言われました」
「大事なことなので」
「契約書みたいですね」
「そうかもしれません」
二人で少し笑ったあと、窓の外を見る。
王都の空は薄曇りだ。北辺ほど冷たくないのに、どうしてこんなに遠く感じるのだろう。
「アイリス様」
セシリアが静かに言う。
「終わったら、私も北辺へ行っていいですか」
「なぜ北辺へ」
「自分の目で見た人たちのところで、今度はちゃんと働きたいから」
私は少し考え、答えた。
「歓迎されると思います。特に医師たちに」
「本当ですか」
「ええ。ただし、寄進帳簿の読み方は覚えていただきます」
「そこは逃げられないのですね」
「絶対に」
彼女の笑顔は、もう舞踏会の夜のそれではなかった。
誰かの隣へ立たされる光ではなく、自分で立つ人の顔だ。
私はふと気づく。
書類で止めたいのは、飢えだけでも、不正だけでもない。
誰かが自分の人生を他人の都合へ書き換えられる、その流れそのものなのだと。




