第三十四話 港を飢えさせる契約
北辺からの急報は一通では終わらなかった。
翌朝までに届いた追加報告によれば、ゼグナー商会とその関連商会は、北辺向けの穀物・乾燥肉・蒼晶塩の出荷を相次いで延期し始めていた。表向きの理由は「監査による物流混乱」「安全確認」「価格見直し」。
要するに報復である。
「典型的ですね」
私は監察局の会議室で報告書を並べながら言った。
「正面から来られないので、民の胃袋を締める」
同席していた主席監察官が苦い顔をする。
「王都でここまで露骨にやるとは」
「露骨にやっても、契約の文言が整っていれば法的には即時違法としにくいんです」
「……よくご存じだ」
「使われる側でしたので」
実際、各商会は『不可抗力条項』『安全見直し条項』『価格再査定条項』を巧妙に使っていた。
条項単体ではもっともらしい。だが時期と対象が揃いすぎている。北辺だけを狙い撃ちにした、合法ぎりぎりの兵糧攻めだ。
レオンハルト公爵は報告を一通り読み終えると、地図の上へ手を置いた。
「グラナート港の備蓄は」
「通常配給なら二十日、切り詰めて三十日」
私は答える。
「ただし蒼晶塩は別です。海魔除けの結界維持に必要なので、切らせば港湾そのものが危険になります」
「市場価格の推移は」
「昨日比で一・八倍。放置すれば三日で二倍を超えます」
沈黙が落ちる。
室内にいる全員が、これがただの商戦ではなく、北辺全体への威嚇だと理解していた。
「王都側の差押えは続行する」
主席監察官が言う。
「だが北辺の供給まではすぐ動かせない」
「なら、こちらで別線を作ります」
私は口を開いた。
皆の視線が集まる。
私は地図の上へ新しい紙を置いた。
王都、大河中流、東方沿岸、小規模港、北辺への航路を書き込んだものだ。
「大手商会が握る幹線を避けます」
「避ける?」
「はい。旧協定と推薦枠に依存していない中小商会、独立船団、地方領主の備蓄市場をつなぐ。量は落ちますが、必要最低限の穀物と蒼晶塩は拾えるはずです」
「そんなに簡単に組めるか」
法務官が問う。
「簡単ではありません。でも、契約を細かく刻めば組めます」
私は指で順に示した。
「一括大量契約ではなく、小口輸送契約。違約時の自動差押え条項。積載確認を受領港側証人付きで行い、王都推薦を挟まない直結書式にする。さらに支払保証は王宮監察局とフェルンベルク公爵領の連名で」
「監察局を使うのか」
主席監察官が目を細める。
「不正摘発の最中に報復輸送妨害が起きた以上、公共性があります。名義を出していただけるなら、商人は動きやすい」
室内の空気が変わった。
反撃の形が、初めて具体になったからだ。
レオンハルト公爵が私を見る。
「できるか」
「やります」
「いつまでに」
「今日中に雛型を切ります。明日には各方面へ打診文を」
「睡眠は」
「削ります」
「だめだ」
即答だった。
私は思わず口を閉じる。
公爵は腕を組んだまま言う。
「二刻寝てから書け」
「そんな余裕」
「余裕がない時ほど寝る」
「北辺軍理論」
「有効だ」
主席監察官が、少しだけ口元を緩めた。
「公爵閣下に賛成だな。倒れられては困る」
味方が増えてしまってはどうしようもない。
私は渋々頷くしかなかった。
その夜、短く眠ったあと、私は王都監察局の執務室へ籠もった。
小口輸送契約。備蓄供出誓約。蒼晶塩優先搬送命令書。荷受保証書。価格上限付き緊急売買契約。
一つずつ、北辺を飢えさせないための紙を切っていく。
深夜を回る頃、扉が静かに開いた。
レオンハルト公爵が入ってくる。言葉はない。ただ机の端へ、温かいパンとスープを置いた。
「備品ですか」
私はペンを止めずに言う。
「必要物資だ」
「契約書きには最適ですね」
「ああ」
彼はそのまま私の背後に立ち、書きかけの条項へ目を通す。
「細かいな」
「細かくないと、また抜かれます」
「どれが一番大事だ」
「連帯保証ではなく、分散保証にした点です」
私は紙を示した。
「一者が潰されても全部は止まらない。大手商会の独占と逆の理屈です」
「君は本当に、書類で戦争を止める気だな」
「港から始まる戦は、まず契約で起こりますから」
答えると、彼はしばらく黙ったあと、小さく言った。
「その通りだ」
夜明け前、最後の雛型を書き終えた時には指先が痺れていた。
でも、机の上に並んだ書類は、たしかに反撃の形をしていた。
港を飢えさせる契約があるなら。
飢えさせない契約も、きっと作れる。




