第二十八話 家族会議はもう終わりました
王都へ着いたその日の夕方、私はレーヴェンベルク家からの使いを受けた。
『急ぎ帰邸されたし』
父の印がある。
文面は簡潔だが、命令の匂いが濃い。
断ることもできた。
だが、逃げた形にしたくはなかったので、私は一人で実家へ向かった。護衛は門の外で待たせる。
通された応接間は、以前と何も変わっていなかった。
重いカーテン、磨かれた棚、季節外れの花。けれどそこに座る父と兄の顔だけが、以前よりいくつか老けて見える。
「戻ったか」
父が低く言う。
「はい。召喚に応じて」
「まず家へ顔を出すのが礼儀だろう」
「王宮の方が先でしたので」
兄が苛立ったように舌打ちする。
「相変わらず可愛げがない」
「可愛げで帳簿は合いません」
「そういうところだ!」
私は椅子へ座らず、立ったままでいた。
長居する気はない。
父は机上の書類束を叩く。
「お前が提出した証拠、取り下げられないのか」
「無理です」
「無理では困る! ダールトン家と対立すれば、うちまで巻き込まれる」
「もう巻き込まれています」
「アイリス!」
怒鳴り声が部屋へ響く。
けれどもう、肩は震えなかった。
「父上」
私は静かに言う。
「今回の件で私に求めているのは、家を守るために黙れ、ということですね」
「当然だ。家名を背負う者として」
「では、確認します。婚約破棄された時、父上は私を守ってくださいましたか」
「それとこれとは」
「同じです」
父は口をつぐんだ。
兄が代わりに吐き捨てる。
「お前がもう少し柔らかければ、そもそもこんなことには」
「柔らかくしていた時期もありました」
「は?」
「かなり長く。ですが、それで皆さんは私を守りましたか?」
兄も黙る。
静かになった部屋で、私は一つひとつ言葉を置いた。
「私はもう、家のために違法を見逃すつもりはありません」
「違法と決まったわけでは」
「決まります。決めるために戻ってきました」
「お前は、自分のしていることが」
「分かっています」
そこで私は初めて、持ってきた封筒を机へ置いた。
中には、家の名義でこれまで私が行ってきた無償業務の一覧と、その終了通知。さらに、必要なら家族籍からの分離手続き願いの下書きまで入っている。
父の顔色が変わる。
「お前、まさか」
「必要になれば、家を出ます」
「そこまでして」
「そこまでされたので」
その時、扉の陰で小さな音がした。
振り向くと、母が立っていた。いつから聞いていたのか分からない。
彼女は少し迷うようにしてから、部屋へ入ってくる。
「あなた」
母が父へ向き直る。
「もう、やめましょう」
「何をだ」
「この子にだけ、全部を我慢させるのを」
応接間が凍りつく。
母がこんなふうに口を出すのを、私は初めて見た。
「アイリスは、ずっと働いてきました」
母は震える声で続けた。
「あなたが頼む前に帳簿を整え、クラウスが困る前に書類を直し、家のために夜を明かして。それでも誰も、この子に礼を言わなかった」
父が何か言い返しかけたが、母は珍しく引かなかった。
「もう、これ以上はだめです」
私は息をするのも忘れていた。
嬉しいのか、悲しいのか、分からない。ただ胸の奥が痛くて、温かい。
「お母様」
ようやくそう呼ぶと、母は私を見て小さく微笑んだ。
「北辺は寒いのでしょう。ちゃんと食べていますか」
「はい」
「それなら、よかった」
それだけだった。
でも十分だった。
私は父と兄へ向き直る。
「家族会議はもう終わりました」
「終わってなど」
「私の中では、です」
封筒を机へ残し、私は一礼した。
引き留める声はなかった。
玄関を出ると、夜気が肺へ刺さるように冷たかった。
けれど息はしやすい。
門の外には、公爵家の護衛だけでなく、レオンハルト公爵本人が立っていた。
「早かったな」
「はい。終わりました」
「そうか」
それ以上は聞かない。
ただ、それがありがたかった。
私は一歩だけ近づき、小さく言う。
「閣下」
「何だ」
「迎えに来てくださって、ありがとうございます」
彼はわずかに目を細めた。
「契約に護衛は含まれている」
「便利な契約ですね」
「ああ。とても」
その短い返答に、私は少しだけ笑った。
やっと、本当に実家を出たのだと思えた。




