第二十四話 公爵家の晩餐
その週の終わり、私はレオンハルト公爵から晩餐へ招かれた。
「断ってもよろしいでしょうか」
招待状を受け取って最初に出た言葉がそれだったので、公爵はあきらかに呆れた顔をした。
「なぜだ」
「公爵家の晩餐です。私のような実務文官が入っていい場とは思えません」
「実務文官だから呼ぶ」
「貴族的な会話があまり得意では」
「私も得意ではない」
「説得力がすごいですね」
「なら問題ない」
そこまで言われて断るのも不自然だった。
結局私は、やや緊張しながら城館へ向かうことになった。
フェルンベルク公爵家の城は、外から見ると要塞そのものだが、中は思ったより温かい造りだった。重厚な石壁に深い色の木材、飾りは少ないが手入れが行き届いている。
案内された食堂は広すぎず、家庭的ですらあった。
「ようこそ、アイリスさん」
最初に声をかけてきたのは、車椅子に座る老婦人だった。
銀髪をきっちり結い上げたその人は、レオンハルト公爵の祖母、アデルハイト老夫人だという。目元は鋭いが、口調は驚くほど柔らかい。
「孫がお世話になっております」
「こちらこそ、お世話になっております」
「逆では?」
横から公爵がぼそりと言い、老夫人に杖の先で軽く小突かれていた。
晩餐の席には、老夫人のほか、公爵の従妹であるクララ嬢もいた。十七歳の快活な少女で、会うなり私の手を取って言う。
「あなたが噂の請求書令嬢ね!」
「請求書令嬢」
「書類令嬢だと何だか弱そうでしょう?」
「強そうではありますね……」
「でしょう!」
どうやら公爵家の内輪では、私に妙な二つ名が増えているらしい。
顔が少し引きつったのを見て、クララ嬢はけらけら笑った。
食事は北辺らしい献立だった。
香草を効かせた白身魚、根菜の煮込み、黒麦パン、温かい果実酒。豪奢さを誇るより、きちんと美味しいものを出す家なのだと分かる。
それだけで少し安心した。
「グラナートの税関はどう?」
老夫人に問われ、私は簡潔に現状を説明した。
偽造印章船、医療倉庫、旧協定の問題、王都査察。
話が進むにつれ、食卓が静かになる。
「なるほどねえ」
老夫人がナプキンを置いた。
「つまり、腐った網をほどいている最中なのね」
「はい。そんな感じです」
「大変でしょう」
「大変です。でも、やりがいはあります」
答えながら、私は少し不思議な気分になった。
王都でこういう質問をされる時は、たいてい私の話は前菜にもならなかった。けれどここでは、皆が普通に耳を傾けている。
クララ嬢が身を乗り出す。
「ねえねえ、請求書を読む時って本当に気持ちいい?」
「かなり」
「即答」
「でも額が揃うと、もっと気持ちいいです」
「分かるようで分からない世界だわ……」
その横で、公爵が静かにスープを口へ運んでいる。
ふと、彼の皿の横に薄手の革手袋が置かれているのが目に入った。家の中でも外さないのだと思い、少しだけ胸が詰まる。
食後、温室に近い小さな談話室へ移ると、老夫人が私へ細長い箱を差し出した。
「これは」
「うちの工房で作らせたもの。仕事道具よ」
中には、銀細工のついたペン軸と、指先だけ温める小型の保温具が入っていた。
「北辺の文官は指が命でしょう?」
思わず言葉を失う。
こんなふうに、純粋に仕事のための贈り物を受け取るのは初めてかもしれない。
「ありがたく頂戴いたします」
「ええ。存分に稼働させなさい」
老夫人の目がいたずらっぽく光った。
公爵家の人々は、思っていたよりずっと率直で、優しかった。
帰り際、廊下まで送ってくれたのはレオンハルト公爵だった。
外は雪が降り始めていて、城の窓が淡く曇っている。
「疲れたか」
「少しだけ。でも、楽しかったです」
「祖母が気に入っていた」
「クララ嬢にも」
「……それは賑やかだったろう」
「はい。請求書令嬢になりました」
公爵が額に手を当てる。
「誰だ、そんなことを」
「クララ嬢です」
「あとで言っておく」
「別に嫌ではありません」
「嫌ではないのか」
「書類令嬢よりは」
「違いが分からん」
小さく笑い合ったあと、沈黙が落ちた。
不思議と気まずくはない。
「アイリス」
「はい」
「今日、祖母が贈った保温具は、夜の執務室で使え」
「備品扱いではなく?」
「家からの贈り物だ。備品にするな」
「では、私物として大事にします」
そう答えると、彼は少しだけ目を細めた。
その顔を見ると、胸の奥が静かに温かくなる。
城門へ向かう馬車へ乗り込む直前、私はふと思った。
ああ、こういう場所を、人は『家のようだ』と感じるのかもしれない、と。
第三章ここまでです。
お仕事だけでなく、少しずつ居場所と関係ができていく流れを楽しんでいただけたら嬉しいです。




