第二十話 聖女候補は笑っていない
セシリア・ルーメルが北辺へ来たのは、新税則試行開始から四日後のことだった。
王都教会の紋をつけた馬車が三台、白い旗をなびかせて港へ入ってくる。
先頭車の窓から見えた金色の髪に、私は思わず足を止めた。
舞踏会の夜、フェリクスの隣に立っていたあの少女だ。
「聖女候補様が、なぜここへ」
トマスが緊張気味に言う。
「名目は難民慰問と慈善視察でしょうね」
私は答えつつも、嫌な予感を覚えていた。
王都がこちらを放っておくはずがない。しかも、よりによってフェリクスと結びつきの強い人物を寄越すとは。
出迎えの場には公爵も立った。
馬車の扉が開き、セシリアは丁寧な所作で降りてくる。白銀に近い薄金の髪、柔らかな水色の目。見目はたしかに絵のように整っていた。
けれど近くで見ると、その目の下には薄い影がある。笑っているのに、笑いきれていない顔だ。
「フェルンベルク公爵閣下、お招きありがとうございます」
「招いてはいない」
公爵が即答する。
私は思わず咳払いで笑いを誤魔化した。
セシリアは一瞬だけ目を瞬いたあと、小さく微笑んだ。
「ええ、王都教会の視察ですものね。率直で助かります」
この返しは、少し意外だった。
彼女の後ろには、黒衣の若い司祭が二人、そして香油の匂いが強い中年の修道士が付き従っている。修道士は終始、私を値踏みするように見てきた。
胸元の寄進管理印がやけに濁っている。寄付金を扱う人間に特有の、嫌な色だ。
「アイリス・レーヴェンベルクです」
私が名乗ると、セシリアは素直に頭を下げた。
「お噂は伺っています」
「どういうお噂かは、聞かない方がよさそうですね」
「半分は。もう半分は、とても」
「とても?」
「港の人たちが助かった、と」
彼女の口調に嫌味はない。
むしろ本当にそう聞いた顔をしている。
すると後ろの修道士が口を挟んだ。
「聖女候補様。あまり長居は。まずは慰問、その後に寄進視察、最後に港湾監査への助言が予定されています」
監査への助言。
ずいぶん勝手な予定を組んでくれたものだ。
私は目を細める。
「港湾監査は公爵領の権限下ですが」
「聖女候補様は王都教会の特別顧問でもありますゆえ」
「知りませんでした」
「今お知りになればよろしい」
その言い方が気に入らない。
だが、その時セシリアが静かに言った。
「ガブリエル修道士、予定の順を逆にしましょう。私はまず、難民の皆さんに会いたいです」
「しかし」
「私は、そうしたいのです」
笑顔のまま、でもきっぱりと。
修道士は不満げに口を閉じた。
私は少しだけ彼女の見方を変える。
ただ守られているだけのお飾りではないのかもしれない。
慰問先の天幕で、セシリアは一人ひとりに膝を折って話しかけた。
薬草を煎じる手つきも慣れている。子どもに微笑む顔には、たしかに人を和らげる力があった。
ただ、その背後で修道士がしきりに寄進帳を確認し、使用物資を細かく記録しているのが妙だった。慈善というより、計数管理に近い目つきだ。
「不思議ですね」
戻り道、私はつい呟いた。
「何がだ」
隣を歩く公爵が問う。
「聖女候補様ご本人より、周りの方がよほど計算高い顔をしています」
「君は人の顔をそういう分類で見るのか」
「たまに」
夕方、私は視察団へ形式的な歓迎茶会を開いた。
その場でセシリアは終始穏やかだったが、彼女の茶杯を持つ指先は何度か震えていた。疲れているだけではない。何かを我慢している震えだ。
茶会の終わり際、彼女はふと私へ視線を向ける。
ほんの一瞬だけ。
その目に、助けを求める色が混じったように見えたのは、気のせいではないと思う。
王都から来た聖女候補。
本来なら、私にとって最も警戒すべき相手のはずだ。
なのに私は、その笑顔の奥にある無理の方が、どうしても気になってしまった。




