第十九話 新税則と商人ギルド
旧協定の写しを見つけた翌日から、私は税関の掲示板を占拠した。
もちろん物理的にではない。
掲示文で、である。
『貨物申告書式の統一』
『賃金契約の読み上げ確認義務』
『高額医療物資の二重在庫照合』
『非常時特例使用時の事後報告期限』
『匿名苦情箱の設置』
一枚貼るたび、職員たちの目が丸くなる。
港の役所が何をしているのか、今まで外からはほとんど見えなかったのだ。見えない場所は腐る。なら見える場所を増やすしかない。
「匿名苦情箱、ほんとうに置くんですか」
トマスが木箱を抱えて訊く。
「ええ。名前を書きたくない人は多いでしょうから」
「でも悪戯も入りますよ」
「悪戯と本物を見分けるのが私たちの仕事です」
「……なるほど」
マルタさんは新書式の配布準備で大忙しだった。
それでも顔つきは明るい。自分の仕事が正式な制度になるのを見るのは、たぶん嬉しいのだろう。
昼すぎ、さっそくゼグナー商会側から抗議が来た。
商人ギルド会館へ呼び出され、私は公爵名代理として出向くことになった。同行したのは護衛二名と、記録係としてトマス。
会館の会議室には、太った商人、痩せた商人、指輪の多い商人がずらりと並んでいた。
その中央に座るのは、ゼグナー商会会頭ガルド・ゼグナー。
五十代半ば、肉厚の顔に笑みを貼りつけた男だ。目だけが冷たい。
「いやいや、アイリス嬢」
彼は両手を広げる。
「若さゆえの熱意は買いますとも。しかし商いとは、そう杓子定規なものではありません」
「そうですか」
「港には港の事情がある。融通が利くから船は寄るのです。細かな規則で縛れば、交易は痩せ、皆が損をする」
私は卓上へ新税則案を置いた。
「でしたら、どの条項が『皆』を損させるのか、具体的にご指摘ください」
「全部だよ、全部。面倒が増える」
「面倒が増えるのは、不正がしづらくなる方だけでは」
会議室の空気がぴんと張る。
ガルド会頭は笑みを崩さなかった。
「お嬢さんは言葉が鋭い」
「契約は鈍いより鋭い方が役に立ちます」
彼の横に座っていた別の商人が口を挟む。
「匿名苦情箱だと? そんなもの、商売敵同士の嫌がらせの温床だ」
「でしたら困ることはありませんね。事実確認が入るだけですから」
「役所がいちいち口を出すな」
「役所が口を出さなかった結果が、今の密輸と横流しです」
私は淡々と返した。
怒る必要はない。怒りは相手の土俵だ。数字と条項だけで十分刺さる。
「今回の改正で不利になるのは、正式申告をしていない方と、読み上げ確認なしに人を使っている方、非常時特例を日常使いしている方です」
「言いがかりだ」
「では、困る理由がありません」
「……!」
トマスが隣で、紙に走らせるペンを小刻みに震わせているのが視界の端に入った。
頑張っている。
やがてガルド会頭が指を組み、にこやかなまま言った。
「公爵閣下も、こんな締めつけを望んでおられるのですかな」
「はい」
部屋の入口から返事がした。
全員が振り返る。
レオンハルト公爵だった。
「閣下」
商人たちが一斉に立つ。
公爵は会議室へ入り、私の前に置かれた税則案を一枚手に取った。
「読みやすいな」
「ありがとうございます」
「人夫にも分かる」
「そう作りました」
彼はそのまま商人たちを見渡す。
「北辺で商うなら、北辺の民を食わせる契約を結べ。搾る契約ではなくな」
ガルド会頭の笑みが初めて揺らいだ。
「閣下、我々は長年この港を支えて」
「支えたなら、なおさら正規に戻れ」
「それでは利が」
「利しか見ていないから、今こうなっている」
言葉数は少ない。
だが、その一言ごとに逃げ道が塞がっていく。
最終的に、新税則案は「試行三か月」の形で施行されることになった。
全面勝利ではない。それでも十分だ。制度は、一度動き出せば前例になる。
会館を出たあと、海風の中でトマスが息を吐いた。
「胃が縮みました……」
「よく記録を取りました」
「手が震えましたけど」
「震えながらでも書けたなら上出来です」
隣で公爵がぽつりと言う。
「君がいると、商人がよく喋る」
「腹が立つと、余計なことまで言いたくなるのでしょうね」
「便利だな」
「便利に使ってください」
口にしてから、自分で少しだけ驚いた。
以前なら嫌だった表現を、今はそこまで嫌だと思わない。たぶん「人として扱われた上で役に立つ」ことと、「道具として便利に使われる」ことは別物だと分かってきたからだ。
公爵が私を見て、短く頷く。
「なら遠慮なく使う」
「はい」
そのやりとりが、妙に心地よかった。




