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第十六話 密輸船は二度来る

海霧祭の翌朝、港に漂っていた余韻は、見張り台の怒号であっさり吹き飛んだ。


「東防波堤側に不審船!」


私は朝礼の途中で外へ飛び出した。

濃い霧の中を、小型の平底船が二隻、ほとんど音もなく湾内へ入り込もうとしている。祭り明けで警戒が緩むのを狙ったのだろう。しかも正規の入港路ではなく、倉庫街の裏手へ回るつもりらしい。


「普通の漁船ではありません」

私は見張り鏡を覗き込みながら言う。

「船首の吃水が浅すぎるのに、積載位置が低い。中に重いものを隠しています」

「武器か、魔石か」

レオンハルト公爵が短く問う。

「どちらもありえます」


衛兵が配置につく。

私はすぐに記録係へ指示を飛ばし、昨夜から今朝にかけての係留申請と出港届を照合させた。

すると、祭り前日に出されたはずの沿岸漁許可証が二枚、署名だけ整っていて裏の申請理由が空欄になっているのが見つかった。


「これです」

私は公爵へ見せる。

「申請者名は別人ですが、筆跡の運びが同じ。しかも保証人欄だけゼグナー商会の簡易印」

「雑だな」

「急いだのでしょう。祭りで目を逸らす予定だったなら」


小型船は霧へ紛れたまま、倉庫街の裏水路へ向かっている。

公爵は即座に命じた。


「東側桟橋を封鎖。水路出口へ兵を回せ。アイリス、倉庫側の受け手を当てろ」

「承知しました」


私はトマスとマルタさんを連れ、裏水路に面した倉庫列へ走った。

雪混じりの石畳は滑りやすく、息が白く弾む。倉庫前で働くふりをしていた男たちは、私たちを見るなり目を逸らした。

その一人の荷受け帳をひったくるように確認すると、今日付けの仮受領票がすでに切られている。貨物名は『塩魚』。数量欄はやけに大きい。


「塩魚にしては重量が合いません」

「なんのことだ」

「この樽一本で成人男性一人分あります。魚なら塩分で減るので、こんな数値にはならない」

「細けえことを――」

「細かくて結構です」


私はその場で仮受領票の差止め札を貼りつけた。

男が私の腕を掴もうとした瞬間、背後から衛兵が割って入る。


そこへ、霧の奥から怒鳴り声と金属音が響いた。

水路側だ。


「閣下の方ですね」

トマスが蒼白になる。

「私は行きます」

「アイリスさん!」

「トマスはここで受領票を押さえて。マルタさん、裏帳簿があれば全部確保を」


霧の中へ踏み込むと、東水路の岸壁で衛兵と密輸屋がもみ合っていた。

小型船の一隻はすでに岸へ乗り上げている。荷台から転がり出た木箱の蓋が割れ、中に入っていたのは黒布に包まれた短剣と、加工前の高純度魔石だった。


武器と魔石。

これが市中へ流れれば、港の治安が一気に崩れる。


「アイリス、下がれ!」

公爵の声が飛ぶ。

彼は霧の中で剣を抜き、密輸屋の一人を打ち倒したところだった。氷属性の魔力が刃へ薄くまとわり、踏み込むたび白い軌跡が走る。


私は下がらない代わりに、岸へ転がった荷札を拾い上げた。

受領番号、仮記号、倉庫列三番。やはり内通者がいる。しかも荷札の角に、昨日押収した小型台帳と同じ略号『F』が走り書きされていた。


フェリクス。

そんなはずが、と一瞬思う。

だが文字の癖は見間違えようがない。王都で何度も見た、あの人の簡略記号だ。


「閣下!」

私は思わず声を張り上げた。

「荷札に、王都側の記号が!」


その刹那、霧の陰から放たれた短矢が公爵の肩を掠めた。

血が散る。

心臓が冷たく縮んだ。


「閣下!」

衛兵が一斉に動き、放った男を取り押さえる。公爵本人は一歩も引かず、そのまま刃の柄で相手を昏倒させたが、外套の肩には赤が滲んでいた。


「大丈夫だ」

言いながらも、血は確かに流れている。

私は彼の前に出て、半ば命令するように言った。


「大丈夫かどうかは医師が決めます。応急手当を」

「この程度――」

「今すぐです」


私の声が思った以上に強かったのか、公爵は一瞬だけ目を瞬かせた。

それから、諦めたように剣を納める。


「……分かった」

「最初からそうしてください」


霧はなお濃かった。

だがもう、小型船は逃げられない。

港の出口は封鎖され、受け手の倉庫も押さえた。残るのは、誰がこの荷をここまで通したか、その線を掘ることだけだ。


私は血のついた荷札を握りしめる。

冷たい紙だった。

けれどそこに滲む記号は、王都で捨ててきたはずの闇が、まだこちらへ手を伸ばしていると告げていた。

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