第十二話 ざまぁは請求書とともに
ゼグナー商会に最初の請求書を叩きつけた日のことを、私はたぶん忘れない。
朝から税関前広場には人が集まっていた。
偽造印章船、難民船、第三倉庫の不足。ここ数日の出来事で、港の噂は沸騰している。そこへさらに、公爵命令で「不正徴収および横流しに関する公開確認」が行われると告知されたのだから当然だ。
簡易壇上の正面には、ボイド税関長、倉庫係長、ゼグナー商会の番頭が並ばされていた。会頭ガルド・ゼグナー本人は姿を見せていない。まずは部下を切るつもりだろう。
レオンハルト公爵が短く開会を告げる。
その声が響くと、ざわめきが静まった。
「アイリス、説明しろ」
「承知いたしました」
私は壇上へ進み、持参した書類束を開いた。
紙の重みは、そのまま誰かが隠したかった事実の重みだ。
「まず、第三医療倉庫の在庫差異について。過去三か月の出納記録では、薬草《白角葉》が合計二十六箱入庫、二十六箱在庫となっています。ところが現物は十六箱しかありません」
人々の視線が一斉にボイド税関長たちへ向く。
「差異十箱。この不足分が、どこへ消えたか」
私は次の紙を掲げる。
「こちらはゼグナー商会関連の卸売記録。市場に『白角葉』が通常価格の二倍で流れた日付と数量です。第三倉庫の不足日と一致します」
「偶然だ!」と番頭が叫ぶ。
「では次です」
私はさらに、偽造印章船から押収した小型台帳を開いた。
「船内記録の『白紙印二』は、第三倉庫から正式手続きなく薬草を抜き、後日帳簿を合わせる手口を示していました。加えてこちら、倉庫係長の私信です」
私信、と言った瞬間、倉庫係長が青ざめる。
封を切った手紙には、こう記されていた。『今月は白角葉三、蒼苔粉二。税関長側の印は前回同様でよい。補佐はもう黙らせた』
広場がどよめいた。
私は淡々と読み上げる。感情を乗せない方が、文書はよく刺さる。
「続いて、人夫賃金の未払い差額。過去半年で少なくとも銀貨百四十七枚。これは臨時契約の追加条項を無断で差し込むことで発生していました」
「署名はあるだろう!」
ガイをはじめ、人夫たちの列から怒声が上がる。
私はそれを手で制した。
「署名があっても、追加条項が読み上げられていない場合、契約は完全には成立しません。特に読み書き能力に著しい差がある場合、領地慣例法第八条が優先されます」
これもまた、王都では誰も使いたがらない条文だった。
弱者保護は、儲けを遅くするから。
「そして最後に、税関長ボイド氏」
名を呼ばれた本人が脂汗を垂らす。
「あなたは印章管理簿へ虚偽記載を重ね、補佐職員へ不正押印を容認し、貨物過少申告と倉庫横流しを黙認しました。これにより失われた関税、保管料、医療物資の価値を算出した結果――」
私は最後の一枚を掲げる。
「請求額は金貨二百三十六枚、銀貨四十三枚。連帯責任者ゼグナー商会に対しても同額の仮差押えを行います」
静寂。
次いで、堰を切ったようなどよめき。
ボイド税関長が真っ赤になって喚いた。
「ふざけるな! そんな大金払えるわけがない!」
「払えないなら、資産差押えと刑事審理です」
「女ひとりに好き勝手――」
「女ひとりではありません」
低い声が広場を断ち切った。
レオンハルト公爵が一歩前へ出る。
「これは公爵領の正式な監査結果だ。文句があるなら、私へ言え」
誰も言えなかった。
言えるはずもない。
それでもボイドは悪あがきのように叫ぶ。
「閣下は分かっておられない! この港は綺麗事では回らん! 多少の融通があってこそ船は動くんだ!」
「融通ではない」
公爵の声は冷たい。
「窃盗だ」
衛兵が進み出る。
倉庫係長は膝から崩れ落ち、番頭は逃げようとしてすぐ取り押さえられた。ボイド税関長だけがまだ何か喚いていたが、もう誰も耳を貸していなかった。
その時、群衆の後方から、野太い声が上がった。
「請求書、もっと見せてくれ!」
笑いが起きる。
続いて別の誰かが「うちの給料の差額も取ってくれ!」と叫び、今度はもっと大きな笑いになった。
私は思わず目を瞬いた。
王都の断罪は、もっと陰湿で、もっと絹に包まれていた。こんなふうに、広場で、請求額が読み上げられて拍手が起こるなんて、想像したこともない。
ガイが前へ出て、私へ向かって深く頭を下げた。
「ありがとうよ、文官殿」
その一言に続くように、人夫たち、小商会の店主、役所の若い記録係たちまで次々帽子を上げる。
胸が熱くなって、少しだけ困った。
こういう時、何と言えば正解なのだろう。
結局、私はたった一つの事実だけを返した。
「まだ終わりではありません。これは最初の請求書です」
広場が沸いた。
なぜか拍手まで起きた。
壇上を降りると、レオンハルト公爵が隣へ並ぶ。
「見事だった」
「請求額を読み上げるたび、少し楽しくなってしまいました」
「それは良い傾向なのか?」
「たぶん、あまり良くはありません」
「なら、矯正は後回しでいい」
その言葉に、私はとうとう小さく笑ってしまった。
北辺の冷たい風が吹き抜ける広場で。
王都ではずっと、笑う理由がうまく見つからなかったのに。
その日の夕方、ゼグナー商会から正式な抗議文ではなく、弁済猶予願いが届いた。
文面は丁重で、署名の手が震えていた。
効いている。
本当に。
私は請求書の控えを閉じ、静かに息を吐いた。
ざまぁとは、叫ぶことではない。
正しい額で、逃げ道なく請求することだ。
第一章ここまでです。
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