調律される日常9
次の日、グレンは宿屋のベッドの上でゆっくりと目を開けた。
いつもより頭がぼんやりする。
横になって眠ることすら避けていた過去が嘘のように、今は朝の日差しの心地よさを感じた。
身体を包む暖かさに意識が引っ張られ、もう一度目を閉じそうになる。
このまま、少しだけ――
ガバッ!!!
次の瞬間、グレンは勢いよく身体を起こした。
窓から差し込む陽の高さを見て、一気に血の気が引く。
普段なら、とっくに朝の鍛錬を終えている時間だった。
グレンは基本的に夜明け前には目を覚ます。
軽いウォーミングアップを終え、朝食の準備まで済ませているのがいつもの流れだ。 ここまで寝過ごしたのは、幼いころ村を出てから初めてかもしれない。
しかも、今日は農作業の依頼初日だ。
何一つ準備ができていない。
グレンは急いで身支度を整えると、宿の共同キッチンへ向かった。
するとそこには、すでに朝食の準備を終えたリュアの姿があった。
「あ、グレン、おはよう」
テーブルにはすでに、ほんのり温められたロールパンとベーコンエッグ、そして湯気の立ったブラックコーヒーが並べられている。
グレンは並べられた朝食を見つめたあと、力なくリュアに声をかけた。
「すまない……寝坊した……」
片手で額を押さえるグレンを見て、リュアはくすっと笑った。
「気にしなくていいよ。そもそも仕事の時間まではまだまだ余裕あるんだから」
それでも、朝食の支度を全て任せてしまったことへの申し訳なさは残った。
だが、リュアはそんなことを一切気にせずに、椅子に腰を掛け、グレンも座るように促した。
「昨日はいろいろあったから、よっぽど疲れたんだろうね」
リュアはそう言うと、「いただきます」と手を合わせ、朝食を食べ始めた。
「そうかもしれないが……ここまで寝過ごしたのは初めてだ…… 」
グレンはブラックコーヒーを口に含み、ようやく少しだけ思考が落ち着いた。
二人ともご飯を食べ終えるころ、リュアが口を開いた。
「今日から農作業のお手伝いだね……それに……」
好奇心を隠せない子どものように、ニヤっとした表情を浮かべながら人差し指を立てる。
「新しい魔法の訓練が始まるね」
「……楽しそうだな」
リュアは少し目を見開いた後、再び嬉しそうに笑う。
「体験したこと無いことをやってみるって、わくわくしない?」
グレンはその言葉に、わずかに考え込む。
新しいことへ挑み、それを自分のものにしていく感覚に、どこか高揚を覚えていたのは事実だった。
「そうかもしれないな」
リュアはふっと息を吐いて笑みをこぼした後、わずかに眉を下げる。
「ただ、理論が難しすぎて、ちょっとだけ自信ないかも」
少し視線を落としてそう呟いたあと、
「まぁ、なんとかなるとは思うけどね!」
心配を振り払うように、リュアは明るく胸を張った。
そんなリュアの気持ちを知ってか知らないか、グレンは冷静に言葉を返す。
「不安があるなら、その都度確認すればいい」
さも当たり前のように言うその素直な言葉に、リュアは胸の中に渦巻いていた不安が、少しだけ軽くなるのを感じた。
「頼りにしてるよ、グレン」
リュアはにっと笑う。
グレンはそれに頷いて答えた。
***
朝食を終えた二人は、本日の仕事である農作業をするために、村の畑へやってきた。
すでに村の住民たちは作業の準備を始めており、リュアとグレンに気づいた人たちは「おはよう!」「ゆっくり休めたかい?」と声をかけて来た。
リュアは一人一人に挨拶を返し、グレンはその後ろを、まだぎこちなさは残るものの、昨日より落ち着いた様子でついていった。
「リュアねぇ!グレンにぃ!おはよう!」
「リュアねぇ!グレンにぃ!おはようございます!」
二人に気づいたレミスとセリスが、駆け寄りながら挨拶をし、 今日もリュアに飛びついた。
「おはよう!レミス、セリス。今日は二人ともお手伝いなの?」
「うん!私たちもお手伝い!」
「がんばります!」
レミスとセリスは胸の前で両手をグーにして、やる気満々な様子である。
そんな中、グレンは誰かを探すように周囲へ視線を巡らせていた。
「グレン、何か探しているの?」
リュアは不思議そうにグレンに尋ねた。
「いや……リズは、レミスとセリスと一緒じゃないのかと」
誰かのことを自分から気にかけるなんて珍しいなと、リュアは少しだけ目を丸くしたあと、ふっと嬉しそうに笑った。
「あ、それならね!」
と、レミスが元気よく声を上げた。
「リズは鉱石を採りに行っているよ!」
「……そういえば、採掘師だと話していたな」
続いて、セリスが静かに言葉を続けた。
「この村でしか採れない特別な鉱石があって、リズはそれを採ることができる採掘師なんです 」
特別な鉱石と聞いたグレンの目に興味の色が宿った。
それに気づいたリュアが説明を続ける。
「サーキュリアって言ってね、魔道具に使われる、魔力を無理なく流すための鉱石が採れるんだ」
そしてリュアはしゃがみ込み、地面に掌を付けて少量の魔力を流す。
通常の土地では、流し込まれた魔力は土の中へ広がるだけで、やがて薄まり消えていく。
だが――
地面に流れた魔力が、抵抗なく土の中へ溶けていく。
その直後、足元の地面に淡い光の筋が浮かび上がり、脈打つようにゆっくりと広がった。
グレンはわずかに目を細めた。
「普通の土地だと、流した魔力はそのまま薄まって消えていくんだけど、この辺りは違うんだって。魔力が循環するように巡り続ける、“循環型地脈”になってるらしくて。その影響で、サーキュリアっていう特殊な鉱石が生まれるみたい」
「だから、掘るのも、とっても難しいんだって!」
レミスはぴょんっとその場で跳ねるようにしながら、自慢げに言った。
「ちょっと失敗すると、ただの石になっちゃうんですよ。リズは水属性の魔法の操作が上手で、そのお仕事をしてます」
その横で、セリスも静かに説明を続けた。
グレンが視線を向け、リュアは静かに頷いた。
「サーキュリアを採るには、高度な水魔法の操作が必要で、この村の人たちが代々受け継いできた仕事でね。やり方は外に出さない、大切なものなんだ」
グレンはその話を聞いて、図書館で話した際、リズの魔法の知識が豊富だったことに納得がいった。
採掘師として確かな水魔法の能力を持っていたからこそ、なかなか一般には持つことができない着眼点があったのだと。
ひとしきり、サーキュリアの話が終わったところでレミスとレミスが楽しそうに片手をぐっと上げる。
「じゃあ私たちもお仕事がんばろー!!」
「がんばりましょう!」
リュアはそんな二人にくすっと笑ってから、グレンに今日の作業の説明をする。
「私は畑一面に水魔法を使って水やりを、グレンは収穫できる作物を風属性魔法で刈り取って集める作業だよ」
そう言ってリュアは畑に向かって両手を向ける。
すると、リュアの両手に集まった水が、ふわりと畑一面へ広がっていく。
それはまるで、透明な布を空中に敷いたような、薄い水の膜だった。
リュアはその水膜を、土を包み込むようにゆっくりと降ろしていった。 ちょうど良い量の水が、均一に畑を湿らせていく。
「……雨や霧ではなく水の膜か、考えたな」
グレンは手を顎に当て、感心するように呟いた。
「雨や霧でも良かったんだけど、畑に水をやる効率と、魔力操作の訓練を両立するなら、これが一番いいかなって 」
リュアは「どうだ!」とでも言いたげに、楽しげにグレンへ話しかけた。
その場にいた村人たちは、しばらく黙っていた。
畑に水をやる。それ自体は何もおかしくない。
だが、数秒遅れて全員の認識が追いつく。
いや、待って?
そう言わんばかりに視線が一斉にリュアへ集まった。
その沈黙を破ったのは、近くにいた若者だった。
「リュアちゃん、光属性と風属性じゃなかった?」
リュアはくるっとその若者の方に身体を向けてブイサインを作る。
「最近習得したんだよ」
そう言うリュアの表情は、やっぱり楽しそうだった。
その返答に、村人たちからは一斉にため息と苦笑が漏れる。
リュアなら何をやっても不思議ではない。
そんな納得と、それをまるで些細なことのように話すことへの困惑が入り混じっていた。
「それに……」
リュアはニヤっとしながら話を続ける。
「グレンもね、三属性だよ?」
その瞬間村中の視線がグレンに集まり、グレンは一瞬びくっと身体を震わせた。
そして呆れたように深いため息を吐いた。
リュアはそんな事を気にもしない様子だ。
「今度はグレンの番。収穫できる作物を風属性で刈り取ってまとめてね」
リュアは楽しそうに肩を揺らしながら、説明を続ける。
「作物の見極めは大丈夫かな?」
「……問題ない」
収穫時期の作物は今まで読んできた文献の知識で十分だった。
グレンは畑の方に手を向ける。
畑に鋭く繊細な風が吹き始め、収穫時期である作物を確実に刈り取っていく。
「流石」
そう呟くリュアの隣で先ほどの若者が、またしても苦笑いを隠しもせず話しかける。
「リュアちゃんの仲間だから只者じゃないとは思ってたけど……」
「うん、私より強いからね」
「……え?」
当たり前のように言うリュアの言葉に、若者は言葉を失った。
リュアは腕を組みながら、はぁ……と深いため息をする。
「今のところ模擬戦は2戦2敗。全くつけ入る隙が無かったよ」
「……ってことは、今の世界最強は、グレンさん……?」
若者はあからさまに顔が引きつっていた。
「だねぇ……ま、すぐに追いつくけど」
リュアはちょっとだけムっとした負けず嫌いの表情を出しながら、グレンの方に視線を向けた。
隣で若者は、ははは……と乾いた笑みを浮かべている。
そして、グレンの風魔法によって刈り取られた作物は、傷一つ付くことなく、整然と種類ごとにまとめられていった。




