第7話「手を抜く」
『RETURNER ―帰還者たちは戻れない―』
第7話「手を抜く」
【帰還から一ヶ月半 神崎伊織】
『決勝、神崎伊織選手! 今の反応、見ましたか!』
実況の声が、会場に跳ねた。配信者の有志が開いた、小さなゲーム大会の決勝戦。画面の中で、伊織のキャラクターは、弾が見えるより先に動いていた。
コメント欄が加速する。
『速すぎない?』『チートだろ』『いや、これは人間じゃない』
伊織は、ヘッドセットの奥で奥歯を噛んだ。見えている。全部、見えている。もっと速く動ける。体は勝手に、そう言っていた。
最終ラウンドの残り十秒。伊織は、ほんの一瞬だけ、操作を遅らせた。
画面に敗北の文字が出る。会場が、どよめきと拍手に包まれた。
控室に戻ると、蓮が壁にもたれて立っていた。
「手、抜いたろ」
「は? 抜いてないし」
「昔のお前なら、死んでも抜かなかった」
伊織は答えなかった。蓮はそれ以上、追及しなかった。
「……何か、あったのか」
「別に。ちょっと疲れてるだけ」
「そうか」
蓮は頷いて、それ以上何も訊かなかった。伊織は、その優しさが少しだけ痛かった。
あの頃のことを話せる相手を思い浮かべたとき、最初に浮かんだ顔は、蓮ではなかった。
本気を出したら、バレる。バレたら、全部が終わる。だから、負けるしかなかった。
【同じ頃 白川玲奈】
「また原因不明の誤差ですね」
雅人が、モニターの数値を指さした。玲奈は画面を一瞥して、短く答える。
「分からない」
雅人の手が止まった。
「……今、なんて」
「分からない、って言ったの」
「玲奈さん、前はそれ、絶対言わなかったですよね」
「言うようになったの」
玲奈は立ち上がり、装置の周りをゆっくり歩いた。足を止めて、配管の一箇所を指さす。
「ここ。少し、濃い」
「濃い……?」
「空気が。点検してみて」
半信半疑の雅人が確認すると、配管の継ぎ目に、ごく小さな漏れがあった。
「なんで分かったんですか」
「分からない」玲奈は肩をすくめた。「分からないけど、そこ」
雅人はしばらく、玲奈の横顔を見つめていた。
【二日後 夜のファミレス】
「大会、見た。上手に負けたね」
ドリンクバーのグラスを置いて、玲奈が言った。伊織はテーブルに突っ伏す。
「……ばれてた?」
「わざとらしくはなかった。でも、最初の十秒で分かった」
「あー、きつい。手を抜くのって。昔は、全力しか知らなかったのに」
玲奈はストローを回しながら、ゆっくりと言う。
「私は逆。分からないを、分からないままにしておくの、最近やっと慣れてきた」
「あんた、変わったよ」
「あなたも」
少し、沈黙が落ちた。伊織は顔を上げずに続ける。
「ねえ。たまにさ、思いっきり動きたくなる。誰もいないところで」
「……分かる」
「分かんないって言わないんだ」
「分かるときは、分かるって言う」
玲奈が小さく笑った。伊織もつられて、やっと顔を上げた。
【同じ週 高城誠司】
三枝透の研究室には、極地の氷の写真が飾られていた。認知科学と極限環境が専門の研究者で、穏やかな口調の男だった。
「名前は伏せた検査データです」と高城は言った。「ある集団の、二週間の失踪の前後を比べたものです」
三枝は資料に目を通し、眉を寄せた。
「筋肉量の増加、皮膚の角質化、反射の短縮。……長期隔離や、過酷な環境で数年を過ごした人の体に近いですね」
「二週間では」
「ありえません」三枝は静かに言った。「少なくとも、時間は嘘をついている」
「時間が?」
「全員が同じ経験をしたのでなければ、ここまで揃いません。誰かが何かを隠しているか。あるいは、全員が」
高城は黙って頷いた。三枝は、資料の端にある日付をなぞる。
「この集団に、同業者はいませんか。研究者とか」
「白川玲奈。科学系の配信者で、研究員です」
「話をしてみたい」
「彼女は、何も覚えていないと」
「覚えていないのと、話さないのは別です」
三枝は穏やかに微笑んだ。その目は、少しも笑っていなかった。




