↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
RETURNER ―帰還者たちは戻れない―  作者: れのん
第2章
49/57

第49話「オーガ二体」

『RETURNER ―帰還者たちは戻れない―』


第49話「オーガ二体」


【石段 佐伯恒一】


石段の下は、静かなままだった。


止まった足音は、動かなかった。上を向いたまま、何かを待っている。


恒一は、一番上の段の足跡の横にしゃがんでいた。


裸足。指が五本。かかとの跡が、深く沈んでいる。それに、もうひとつ気づいたことがあった。


「二つとも、上り向きだ」


恒一は低く言った。


「下りてきた跡がねえ。こいつらも、下から上がってきてる。……ほかの魔物と同じだ」


「オーガか」と朔が言った。


「ああ。この足は、オーガだ」


エーベルが本をめくる手を止めた。


「三百年前の記録にも、オーガは一度しか出てこない」


「二体で歩くオーガは、片方が追って、片方が待つ」


恒一はそれだけ言って、立ち上がった。どこで覚えたのかは、言わなかった。


朔は、来た道を振り返った。


回廊の向こう。円の間のさらに向こうの入口で、ブルーノの組が待っている。毒の抜けきらない男と、一日半立ちっぱなしだった二人。その先の二層には、エーベルのロバ。


この二体が上を目指しているなら、最初に出会うのは、あの三人だった。


「下りる」と朔は言った。「上には来させない」


誰も反対しなかった。


恒一は、矢筒の矢を数えた。十九本。山刀の留め金を外して、すぐ抜けるようにしておく。


それから、先頭に立った。すぐ後ろの足音が、自分の足音とぴったり重なる。振り返らなくても分かった。


【柱の広間 神崎伊織】


石段の下は、広間だった。


太い石の柱が、何十本も並んでいる。天井は高く、柱と柱のあいだを、苔の淡い光がぼんやり照らしていた。天井のあちこちに、黒い割れ目が走っている。割れ目から、ぽつり、ぽつりと水が落ちていた。


広間の真ん中に、それは立っていた。


大きかった。


伊織が見上げても、胸のあたりまでしか目が届かない。人の三倍近い背丈。灰色の、岩のような皮膚。腕は伊織の胴より太い。手には、どこかの柱を根もとから引き抜いたような、石の棍棒を握っていた。


頭は小さかった。体のわりに、不釣り合いなほど。その小さな頭の中で、濁った黄色い目が、伊織を見下ろしていた。


オーガが、低く唸った。


「伊織、正面に立つな。剣は抜くな」と朔。


「分かってる」


ひびの入った剣で、あれは受けられない。伊織は、剣の柄から手を離した。代わりに、脚に熱を集める。


石の棍棒が、振り上がった。


伊織は横に跳んだ。


その一瞬あとに、棍棒が落ちてきた。


床が、割れた。


伊織が立っていた石の床が、棍棒の形にへこんで、まわりに放射状のひびが走った。破片が、伊織の頬をかすめていった。


「……っ、重」


振り下ろしたあと、棍棒が床から上がるまでに、一呼吸かかる。重すぎるのだ。伊織は、その一呼吸を数えた。


恒一の矢が、オーガの肩に当たった。


刺さらなかった。灰色の皮膚に浅く食いこんで、ぽろりと落ちた。セリナの矢も同じだった。


玲奈の雷が、オーガの胸を打った。


オーガは、胸を手で払った。虫を払うように。


「皮が厚い。雷が、中まで通らない」と玲奈。


その一呼吸のあいだに、朔が踏みこんでいた。棍棒を持つ右の前腕へ、剣を斜めに走らせる。


刃が、止まった。


皮が裂けて、血がにじむ。でも、指一本の深さもない。朔はすぐに刃を引いて、跳び退いた。棍棒が、そのあとの空気を叩き潰した。


「腕は、斬れない」と朔は言った。「斬れるところを、探す」


オーガが、かがんで床の石の破片をつかんだ。


かがんだ膝の裏で、灰色の皮が伸びて、白っぽく光った。恒一は、そこへ二本目を射た。


刺さった。浅い。でも、抜けずに揺れている。


オーガが、破片を投げた。


まっすぐ、エーベルへ。


莉子が手をついた床から、蔓が噴き上がって、破片を受け止めた。蔓がまとめてちぎれて、破片はエーベルの足もとに落ちた。


エーベルが、本を抱えたまま尻もちをついていた。


朔が、エーベルの前に立った。


そのとき、琴音が叫んだ。


「右! もう一体!」


右の柱の陰から、二体目が飛び出してきた。


一体目より少し小さい。でも速い。棍棒ではなく、拳だった。その拳が、エーベルの前に立った朔へ、横から振り抜かれた。


避ければ、後ろのエーベルに当たる。朔は、避けなかった。


受け止めれば、剣も腕も持っていかれる。朔は剣を斜めに寝かせて、拳の横っ面に、刃の腹を当てた。押し返さない。当てたまま半歩踏みこんで、拳の行き先を、自分の体の外へずらす。


拳が、刃の腹をこすって滑った。剣が、きいんと鳴った。拳は、エーベルの頭の上を抜けていった。


それでも、肩から先の重さまでは、逃がしきれなかった。


熱は、剣を支える右の腕に集めていた。朔の体が、横に飛んだ。左の腕から柱にぶつかって、床に落ちる。


「朔!」


伊織は、自分の声がうわずるのを聞いた。


朔は起き上がった。剣は、右手に握ったままだった。左の腕が、おかしな角度に曲がっていた。


「……折れた。いい。澪、三秒」


澪はもう走っていた。朔の腕に両手を当てる。光。骨が、元の形に戻っていく。


一体目が唸った。二体目がそれに応えるように、短く唸った。


二体が、左右から距離を詰めてくる。


片方が追って、片方が待つ。恒一の言ったとおりだった。一体目が正面から押してきて、こちらが避けた先に、二体目の拳が待っている。


伊織は、二体のあいだで避け続けた。避けるたびに、床が割れ、柱が削れる。一回でも読み違えたら、終わる。


「石段まで下がれ!」


朔の声で、全員が石段へ駆けた。恒一が最後に残って、二体の足もとに矢を二本ずつ射こんだ。刺さらなくてもいい。一歩、遅らせればいい。


【二つの声 黒瀬琴音】


石段は、狭かった。


人が二人並ぶのがやっとの幅。天井も低い。オーガは、そこに頭も肩も入らなかった。


一体目が、石段の入口に腕を突っこんできた。届かない。腕を引いて、入口の壁を拳で殴った。石段全体が、ずしんと揺れた。


「長くはもたない」と玲奈が言った。天井の石の継ぎ目を見上げている。「あれを続けられたら、入口が崩れる」


朔が、全員の顔を見た。


「見たことを、ひとつずつ」


琴音は目を閉じていた。


二体の唸り声を、ずっと聞いていた。


「……合図がある」


琴音は言った。


「大きいほうが、低く長く唸る。そしたら、小さいほうが、短く二回。それで、小さいほうが動く。大きいほうの唸りが、『行け』」


「大きいのが指示役か」と朔。


「うん。小さいほうは、大きいほうの声がないと、自分から出てこない。さっきも、ずっと唸りを待ってた」


次に、澪が言った。


「大きいほうの、棍棒を持ってる右腕」


澪は、自分の右腕の付け根を指で押さえてみせた。


「脇の下に、太い血の道が一本、浮いてる。あの棍棒を振ってるのは、あの一本。……そこを、私が止められれば、右腕は痺れて、上がらなくなる」


「離れたところから、できるか」


「無理。あれだけ大きいと、触らないと届かない」


澪はまっすぐ朔を見た。


「三秒、触らせて」


玲奈が、手帳の上でペンを走らせていた。


「天井。広間の真ん中から右に、大きな割れ目が一本。それを支えてるのは、手前から三本目の柱。斜めにひびが入ってて、天井の割れ目から、そのひびに水が流れこんでる。……あの柱が折れれば、割れ目の下が落ちる。広間を、左右に分けるくらいの量」


「折れるか」と朔。


「人の力じゃ無理。でも、ひびの水を凍らせれば、氷がひびを押し広げる。そこに莉子の根が入れば、もっと」


莉子が、石段の床に手を当てていた。


「根は通せる。柱のひびにも、床の割れ目にも。……でも、あの足だと、縛っても長くはもたない。ひと呼吸くらい」


恒一が言った。


「やつら、膝をかばってる。二体とも。痩せてるし、重さに膝が負けてる。……それと、朔。さっき、かがんだときの膝の裏に、矢が一本だけ刺さった。曲げ伸ばしするところは、皮が薄い。首の横もだ。頭を下げたとき、皺が伸びて薄くなってた」


「膝の裏は、背中に回らないと届かない」と朔。「足を止めて、顔を上げさせたときだ」


セリナは、恒一の後ろで弓の弦を指で弾いていた。


「目なら、刺さる」とだけ言った。


伊織は、最後に言った。


「あたしが、引きつける。避けるのなら、負けない」


全員が、朔を見た。


入口の壁が、また、ずしんと揺れた。


朔は、ひと呼吸だけ目を閉じた。


「分ける」


朔は言った。


「二体いるから強い。一体ずつなら、やれる。……柱は、大きいほうに折らせる」


伊織が、目を丸くした。


「琴音が、偽の合図で、小さいほうを左の奥へ出させる。そのあいだに、伊織が大きいほうを、三本目の柱の前まで引っぱる。玲奈が柱のひびを凍らせて、莉子が根を入れる。……伊織が柱の陰に跳んで、棍棒に柱を叩かせる。天井で二つに分けたら、大きいほうから片づける。莉子が足、澪が腕、恒一は目。膝は、俺と伊織だ」


「雷は」と玲奈。


「とっておけ。小さいほうが、天井を越えてきたときのために」


琴音は、喉に手を当てた。


オーガの唸り声。低くて、長い。人の喉で出せる音ではなかった。


でも、高さを合わせることはできる。オークの太鼓のときに、偽の「どん」を聞かせたのと同じだ。


「できる」と琴音は言った。


【崩れ 朝倉朔】


伊織が、石段を飛び出した。


「こっち!」


大きいほうが、唸った。


低く、長く、ではない。短い、怒った声だった。合図ではない。朔の後ろで、琴音がそれを聞き分けてうなずいた。


石段の入口で、琴音が息を吸った。


低く、長い唸り声が、広間に響いた。


大きいほうの声に、そっくりだった。


左の柱の陰で、小さいほうが短く二回唸って、飛び出した。大きいほうとは反対の、広間の左奥へ。


大きいほうが、振り返った。自分は合図を出していない。小さいほうが、なぜ向こうへ行くのか。


その一瞬で、伊織が三本目の柱の前に立っていた。


「こっちだってば」


伊織が、拳に熱をともして、オーガの顔の前で、わざと大きく振った。届かない距離で。届かないのを、分かっていて。


オーガの目が、伊織に戻った。


朔は、柱の陰を走りながら、玲奈を見た。


玲奈が、三本目の柱に手のひらを当てていた。ひびの奥で、流れこんだ水が白く凍っていく。ぴしっ、と、石の中で音がした。氷が、ひびを内側から押し広げていく。


莉子が、柱の根もとに手をついた。細い根が何本も、広がったひびへ這いこんでいく。


ぴしっ。ぴしっ。


棍棒が、振り上がった。


伊織は、まだ跳ばない。


朔は、心の中で数えていた。振り上げて、頂点で止まる。止まったところから、落ちるまで。さっき、伊織が数えていたのと同じ一呼吸。


「今だ」


伊織が、柱の陰へ跳んだ。


石の棍棒が、伊織の消えた場所を追って、三本目の柱を横から叩いた。


柱が、鳴いた。


氷と根で開いたひびが、一気に上へ走る。柱の真ん中から、折れはじめる。


「割れ目の下から出ろ!」


朔の声で、全員が動いた。玲奈と莉子が後ろへ駆ける。伊織が、柱の陰から転がり出る。朔は、伊織の襟首をつかんで、自分のほうへ引き寄せた。


天井の割れ目が、口を開けた。


石が、落ちてきた。


最初は小石。それから、人の頭ほどの塊。そして、天井の一枚岩が、割れ目に沿って、まるごと。


轟音が広間を満たした。土埃が、苔の光をかき消した。


土埃が晴れると、広間の真ん中に、崩れた石の壁ができていた。天井近くまで積み上がった、瓦礫の山。


その手前に、大きいほう。向こうに、小さいほう。


瓦礫の向こうで、小さいほうが吼えた。大きいほうを呼ぶ声だった。瓦礫を殴る音がする。でも、すぐには越えられない。


大きいほうは、肩に落ちた石を振り払って、こちらに向き直った。


棍棒は、まだ右手にあった。


【三秒 水城澪】


大きいほうが、棍棒を振り上げた。


狙いは、伊織だった。


伊織が柱から柱へ、跳ぶように逃げる。棍棒が柱を削り、床を割る。


澪は、柱の陰を走った。伊織の後ろ。大きいほうの右側。


大きいほうが、伊織を追って大きく踏みこんだ。


その足もとに、莉子の根が絡みついた。


ひと呼吸。


それで十分だった。


伊織が、大きいほうの正面に躍り出た。熱をともした拳を、顔の前で、もう一度わざと大きく振る。


オーガの目が、伊織を追った。棍棒が、伊織めがけて振り上がる。


右の脇の下が、開いた。


澪は、そこへ飛びこんだ。


岩のような皮膚に、両手を当てた。熱かった。脈が、手のひらを叩いてくる。太い、太い血の流れ。


一。


澪は、その流れを、つかんだ。


二。


遅くする。止める。腕の先へ行かせない。


三。


オーガの右腕から、力が抜けた。


振り上げていた棍棒が、指から滑り落ちた。石の棍棒が、オーガの背中の後ろに、どすんと落ちた。


澪は、手を離して後ろへ転がった。


オーガが、自分の右腕を見下ろしていた。上がらない腕を。


それから、左の拳を握りしめた。


腕が一本でも、オーガはオーガだった。左の拳が、伊織のいた床を砕いた。足が、莉子の根を引きちぎる。


「目」と恒一が言った。


恒一とセリナの矢が、オーガの目の上に突き立った。刺さりはしない。でも、オーガは顔をかばって、左腕を上げた。


左腕を上げて顔をかばったぶん、体の重さが左の脚にかかった。膝が伸びきって、膝の裏の皮が、ぴんと張る。恒一の矢が、まだ刺さったまま揺れている場所だった。


朔が、背後から滑りこんだ。


澪には、剣の動きが見えなかった。見えたのは、朔が駆け抜けたあとに、オーガの左の膝の裏から血が噴いたところだけだった。皮の薄いところだけを、深く、一度だけ。


同じ瞬間、伊織が反対側から跳んでいた。熱をまとった踵が、右の膝の外側を打ち抜く。


痩せた膝が、体の重さに負けた。


オーガが、前のめりに崩れ落ちた。床が揺れた。


倒れたオーガの首の横に、朔が立った。


床に顎をついて、首が横にねじれている。皺が伸びて、皮が薄く張っていた。恒一の言った場所だった。


朔は、剣を逆手に持ちかえて、まっすぐ下ろした。


オーガは、もう起き上がらなかった。


澪は、床に座りこんだまま、息を吐いた。手のひらが、まだ熱かった。


【濡れた体 白川玲奈】


瓦礫の向こうの音が、止まった。


玲奈は、顔を上げた。


一拍。二拍。


それから、ひときわ大きな咆哮がして、瓦礫の山の上から、小さいほうが姿を現した。崩れた石を這い上がって、こちらへ飛び下りてくる。


まっすぐ、倒れた大きいほうのそばの、伊織へ。


速かった。合図がなくても、こいつは速い。


朔が伊織の前に出ようとする。間に合わない。


玲奈は、小さいほうの体を見ていた。


天井が落ちたあと、割れ目からは、水が細い滝になって流れ落ちていた。瓦礫を越えてきた小さいほうは、その水を頭から浴びて、全身びしょ濡れだった。


分かっていること。皮が厚くて、雷は中まで通らない。


分かっていること。濡れたものの表面は、雷がよく走る。砦の村で、堀の水に雷を通したときと同じだ。


「――濡れてる」


玲奈は、とっておいた雷を、まるごと放った。


さっきは皮で止まった雷が、濡れた体の表面を一気に駆けた。小さいほうの全身がこわばる。飛び下りた勢いのまま、手足が動かずに、床に叩きつけられた。


莉子の根が、その手足に、何重にも絡みついた。


琴音が、もう一度、大きいほうの唸りを真似た。低く、長く。


縛られた小さいほうが、ぴたりともがくのをやめた。倒れた大きいほうのほうへ、首だけを向けた。合図を待つように。


伊織が、その首の横に立った。剣を抜いた。


ほんの少しだけ、切っ先が止まった。


それから、突いた。受けるのではなく、突く。ひびの入った剣でも、それならできる。


広間に、静けさが戻った。


玲奈の指先は、まだ痺れていた。手帳を開こうとして、うまく開けなかった。


【肩 黒瀬琴音】


戦いのあと、誰もすぐには口をきかなかった。


恒一が、倒れた二体のそばにしゃがんでいた。灰色の皮膚の下に、あばら骨が浮いていた。


「……こいつらも、痩せてた」


恒一は、それだけ言って立ち上がった。それから、石段のほうではなく、広間の奥の暗がりを見た。


「腹を減らして上がってくるやつは、これで終わりじゃねえ」


琴音は、何も言えなかった。小さいほうが最後に待っていたのは、もう鳴らない合図だった。琴音は、それを鳴らしたほうだった。


エーベルが、本を胸に抱えたまま、瓦礫の山と、折れた柱と、七人を順番に見ていた。


「……オーガ二体を。誰も死なずに」


エーベルは、本を開いて、何か書こうとした。手が震えて、うまく書けなかった。


「書けない。……見たことを、どう書けばいいのか、分からない」


「分かったところだけ、書けばいい」と玲奈が言った。


石段の下の、崩れていないほうの壁ぎわで、少し休むことになった。


朔は、剣の刃を布で拭いて、光にかざした。小さいほうの拳を受け流した場所に、細い傷が一本ついていた。朔は、それを指でなぞってから、鞘に収めた。


莉子が、鍋を出さずに、干した果物を配った。伊織は、二つもらって、二つとも一口で食べた。恒一の腕に、破片で切った浅い傷があった。セリナが、何も言わずに、自分の外套の端を裂いて巻いていた。


澪は、朔の隣に座ってすぐに、朔の肩に頭を預けて眠ってしまった。


回廊で、澪は言っていた。次の休みまで、と。


三秒で、オーガの腕一本。どれだけ力を使ったのか、琴音には、澪の寝息で分かった。深くて、遠い寝息だった。


朔は、動かなかった。


琴音は、朔の反対側に座った。


朔が、琴音を見た。


琴音は、澪の寝顔を見て、それから朔を見上げた。


「澪が起きたら」


小さな声で言った。


「次は、私の番」


朔が、少し目を見開いた。


琴音は、自分の言ったことに耳が熱くなった。でも、取り消さなかった。


「肩。……音、聞かせて」


朔は、小さく頷いた。


琴音は、壁にもたれて、目を閉じた。


耳だけは、閉じなかった。


広間の床の、ずっと下。


琴音は、あの静かなものの音を、ずっと探していた。オーガの足音が大きすぎて、さっきまで聞こえなかった音。


今は、聞こえた。


ゆっくりと、息を吸って、吐く音。


ゆうべと同じ、大きくて、静かな音。


でも、ひとつだけ違った。


琴音は、目を開けた。


「……朔」


ささやいた。


「下の、静かなの。……さっきまで、息の音、ゆっくりだった」


琴音は、床に手を当てた。


「今、止めてる。息を」


朔の肩が、こわばったのが分かった。


琴音は、床から手を離さずに言った。


「こっちの音を、聞いてる」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。