↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
RETURNER ―帰還者たちは戻れない―  作者: れのん
第2章
39/57

第39話「冒険者ギルド」

『RETURNER ―帰還者たちは戻れない―』


第39話「冒険者ギルド」


【門 白川玲奈】


リーヴェルの町は、大きくなっていた。


玲奈は門の前で足を止めて、城壁を見上げた。


覚えているより、石の城壁が一段高い。昼の日差しを受けて、壁は灰色というより、蜂蜜を薄く溶かしたような淡い金色に見えた。門の両脇には、見覚えのない見張り塔が二本。塔のてっぺんで、青い旗がばたばたと風に鳴っている。門をくぐる荷車と人の列は、坂の下まで続いていた。


「……人、増えてる。前の一・五倍くらい」


「どうして分かるの」と澪が訊く。


「列の長さと、門番の数。あと、煙突の煙の本数」


玲奈は外套のポケットの中で、紐に指を触れていた。日本を出る前に三枝から受け取った紐だ。考えごとをするとき触れる癖が、いつの間にかついていた。


門をくぐった瞬間、音と色がいっぺんに押し寄せてきた。


石畳を叩く蹄と車輪。呼び込みの声。どこかの工房の槌の音。広場のほうからは、弦楽器と笛の軽やかな旋律が流れてくる。


通りの両側には、木組みに白い漆喰を塗った家が、肩を寄せ合って並んでいた。二階が通りの上へ張り出していて、どの窓辺にも鉢植えの赤い花がこぼれるように咲いている。屋根は青みがかったスレートで、日に照らされて魚の鱗みたいに光っていた。軒先ごとに、鉄の吊り看板が下がっている。パンの形、鍋の形、鋏の形。字の読めない客にも、何の店か分かるように。


人波の中には、獣族の姿も珍しくなかった。狐のような三角の耳をした商人が、色とりどりの香辛料の袋を並べている。熊のように大柄な獣族の荷運びが、酒樽をひょいと肩に担いで、鼻歌まじりに通りを渡っていった。


焼き窯から出たばかりのパンの匂いと、串焼きの脂の匂いが、混じり合って流れてきた。


莉子が、鼻をひくひくさせた。


「窯で焼いてる。ライ麦かな。それと、ローズマリーに似た匂い」


足が、もうパン屋の看板のほうへ向きかけている。


琴音だけが、門をくぐったところでぴたりと止まっていた。顔が少し青い。


「琴音?」


「……音、多い」


琴音は耳を押さえなかった。押さえても無駄なのを知っているのだ。


「全部いっぺんに入ってくる。チューニングが、まだ合ってない」


朔が隣に立つと、琴音の手が、すっと朔の手の中に入ってきた。


細くて、冷たい指だった。


朔が見ると、琴音は前を向いたままだった。


「……人、多いから。迷子防止」


「琴音、迷子になったことないだろ」


「今日、なるかもしれない」


琴音は指に、きゅっと力を込めた。


「だから。……町を出るまで」


朔は何も言わずに握り返した。


後ろで、伊織が小さく咳払いをした。澪は笑いをこらえながら、その背中をぽんと叩いた。


【七つ星 神崎伊織】


通りを歩くうちに、伊織は妙なものに気づいた。


星だ。


七つの星を、円く並べた飾り。露店の天幕の縁にぶら下がり、刺繍されて窓辺の旗になり、銅の小さなメダルに打ち出されて、革紐つきで売られている。広場のほうへ駆けていく子どもたちまで、七つ星を描いた小旗を振っていた。


「お守りはいかが、お嬢さん!」


露店の主人が、伊織の鼻先にメダルを差し出した。


「七つ星の護符だよ! これを下げてりゃ、魔物も寄ってこない。あの七人の加護つきだ!」


伊織はメダルをまじまじと見た。七つの星。真ん中に、剣と杖が交差した図柄。


「……あの七人って、誰」


主人は、信じられないという顔をした。


「お嬢さん、どこの山奥から出てきたんだい。三年前まで、この国を守ってた七人の英雄さ。竜を落としたとか、山を割ったとか」


伊織は黙った。


「それがある日、七人そろって光の中に消えちまった。それ以来、この七つ星が町の守りの印ってわけ。広場の噴水にも彫ってあるよ」


伊織はゆっくり振り返った。


誰も、伊織と目を合わせなかった。


玲奈は空を仰いでいる。琴音は朔の手を握ったまま足もとを見ている。恒一は口もとを手で覆っていた。セリナの肩が、小さく揺れている。


朔だけが、真顔で主人に訊いた。


「その英雄たちは、どんな見た目でしたか」


「そりゃあもう」


主人は胸を張った。


「全員、扉に頭がつかえるほどの大男さ。拳ひとつで岩を砕いて、髭がこう、胸まで」


伊織は、自分の胸を見下ろした。


「……髭」


澪が横を向いて、口もとを押さえた。肩が震えている。


伊織はメダルを主人に返した。


「いらない」


すたすたと歩き出してから、数歩先で小声になる。


「ねえ。あたしたち、竜、落としたっけ」


「さあな」と恒一。「落としたかもしれねえし、落としてねえかもしれねえ」


「どっちよ」


「五年は、長かったんだよ」


【ギルド 朝倉朔】


冒険者ギルドは、噴水のある広場に面していた。


噴水の水盤のふちには、本当に七つの星が彫られていた。水しぶきが日差しを受けて、小さな虹をつくっている。


ギルドは石造りの三階建てだった。扉の上に、交差した剣と羽根ペンの鉄看板。前は木造の平屋だった気がする。


樫の扉を押し開けると、麦酒と革と、焼いた肉の匂いがした。


天井の高い広間に、長テーブルが十ほど並んでいる。高い窓から斜めに差しこむ光の中で、埃がきらきら舞っていた。人間も獣族も入りまじった冒険者たちが、剣や斧を壁に立てかけて、昼間から錫のジョッキを傾けている。奥の壁は一面が板の掲示板で、依頼を書いた羊皮紙が、釘でびっしり打ちつけてあった。


七人とセリナが入っていくと、話し声が少しだけ低くなった。


値踏みする目が、いくつもこっちを向く。


「新顔だな」


「装備が薄いぞ」


「荷運びの組じゃないか?」


朔は気にせず、受付の台へ向かった。


台の向こうで、栗色の髪をひとつに束ねた娘が、羽根ペンで帳面に何か書きつけていた。


「いらっしゃいませ。依頼を出す方ですか? 受ける方ですか?」


「受ける方で」


「では、組の名前と、全員のお名前を。登録の前に台帳と照らし合わせる決まりなんです。字が書けなければ、私が書きますね」


朔は少し考えた。組の名前。


「……『通りすがり』で」


娘のペンが止まった。


「通りすがり」


「通りすがり」


娘は朔の顔を見て、それから肩をすくめて、本当にそう書いた。


「お名前は」


朔は六人を振り返った。偽る理由はなかったし、偽る気もなかった。


「朔。澪。伊織。玲奈。莉子。琴音。恒一」


セリナは壁にもたれたまま、首を横に振った。登録はもうあるらしい。


娘は七つの名前を帳面に書きつけると、背後の棚から分厚い台帳を一冊引き出した。すり切れた革の表紙。ページを後ろからめくって、名前の列を指でなぞっていく。


その指が、止まった。


娘は台帳と、帳面と、七人の顔を順に見た。もう一度、台帳を見た。


顔から、さっと血の気が引いていた。


「……三年前の、記録に」


声が小さくなる。


「同じお名前が七つ。同じ組に。……ランクは」


娘は、唾を飲みこんだ。


「S、です」


広間が、一瞬しんとした。


それから、どっと笑い声が上がった。


「Sだってよ!」


「七つ星と同じ名前を名乗りやがった!」


「髭はどうした、髭は!」


娘だけは笑っていなかった。笑い声の中で、台帳の同じページを指で押さえたままでいる。


ページの端に、赤い蝋の封印が押してあった。


「この記録は、三年前から凍結されています。……全員が、行方知れずになった日から」


娘は台の端の跳ね上げ板を持ち上げた。


「奥へ来ていただけますか。全員で」


【照合】


奥の部屋は狭かった。


窓のない石の壁に、台帳のぎっしり詰まった棚。真ん中の台に、拳ほどの大きさの透きとおった石がひとつ、銀の台座に据えてある。


「照合の水晶です」


娘は扉を閉めて、声を落とした。


「冒険者は、登録のときにここへ手を置きます。人の魔力には一人ずつ違う紋があって、水晶がそれを覚えるんです。名前は偽れても、紋は偽れません」


娘は、封印のあるページを開いた台帳を、水晶の横に置いた。


「凍結された記録は、本当はギルド長の立ち会いで戻すものです。でも、照合だけなら私にもできます」


それから、朔をまっすぐ見た。


「……もし合わなかったら、名前を騙った罪で、衛兵を呼ばないといけません」


声が、少し震えていた。


朔は黙って、水晶の上に右手を置いた。


ひやりと冷たい。


手のひらの下で、水晶の芯に小さな光がともった。


白ではなかった。


金色だった。


光は水晶の中でゆっくり形をつくっていく。細い線が何本も絡み合った、指紋のような紋。


台帳のページの上で、封印の赤い蝋が、同じ金色に一度だけ光った。


娘が息を呑んだ。


「……合った」


澪が手を置いた。金色。伊織。金色。玲奈、莉子、琴音、恒一。


七つ。全部、金色だった。


最後の光が消えても、娘はしばらく何も言えなかった。それから両手で口を押さえて、その場にしゃがみこんだ。


「……嘘。ほんとに。ほんとに、帰ってきたんだ」


娘の肩が震えていた。


莉子が隣にしゃがんで、背中にそっと手を置いた。


「大丈夫?」


「大丈夫じゃないです。……私、三年前はここの見習いだったんです。皆さんの記録を凍結した日、ギルド長が泣いてたの、覚えてて」


顔を上げた娘の目は、赤かった。


「でも、皆さん、全然大男じゃないし。髭も」


「ないね」と伊織が言った。


娘は泣きながら、少し笑った。


それから立ち上がって、棚の一番上から小さな木の箱を下ろし、蓋を開けた。


黒い金属の札が七枚、並んでいた。表には銀の象嵌でSと刻まれている。三年分の埃を、丁寧に拭った跡があった。


「三年前に、ギルドが預かった札です。ギルド長が毎月、自分で拭いてました。いつ帰ってきてもいいように、って」


恒一が一枚を手に取った。裏に、自分の名前が刻んである。


覚えていなかった。でも、手が重さを覚えていた。


伊織が、恒一の手もとをのぞきこむ。


「ねえ。あたしたち、ほんとにSだったの」


「らしいな」


「覚えてないんだけど」


「五年は、長かったんだよ」


玲奈は、台帳の封印のページをじっと見ていた。ポケットの中で、紐を握る指に力がこもる。


「記録が、残ってた」


静かな声だった。


「私たちがここにいたっていう記録が。三年経っても、ちゃんと」


【札】


「記録は、照合が合えば戻せます」


娘は言って、それから扉のほうに目をやった。


「でも……広間でこれを出したら」


扉の向こうから、まだ笑い声が漏れ聞こえていた。


「町じゅう大騒ぎになります。七つ星が帰ってきた、って。たぶん今夜のうちに、領主様の耳にも」


朔は六人を見た。


玲奈が小さく首を振る。分からないことが多すぎる。三年で何が変わったのか。誰が七つ星の名前で何をしているのか。


澪は、肩をすくめた。


伊織は、手の中の黒い札と、首から下げた鉄の札を見比べていた。


「あたしはどっちでもいい。でも、あいつら笑ってたよね。さっき」


口の端が、にっと上がる。


「黙らせるなら、札より、こっちのほうが気持ちいいと思うんだ」


伊織は拳を軽く握ってみせた。


朔は娘に言った。


「しばらく、Fのままにしておいてもらえますか。黒い札は、ポケットに入れておきます」


娘は目を丸くして、それから、ゆっくり頷いた。


「……分かりました。照合済みの印だけ、台帳に残しておきます。表向きは『通りすがり』、ランクF」


台の下から、鉄の小さな札が七枚出てきた。表にFと刻まれている。


「新規の方と同じ札です。F、E、D、C、B、A、その上がS。首から下げておいてください。それが表向きの身分証になります」


伊織が鉄の札をつまみ上げて、裏返した。


「……F」


娘は、少しだけいたずらっぽく笑った。


「私、口は堅いですから」


七人は黒い札を外套の内側にしまい、首には鉄のFの札を下げた。


広間に戻ると、また笑い声が上がった。


【特別討伐依頼】


「おっ、伝説と同じ名前のFランク様のお戻りだ!」


長テーブルのひとつから、大柄な男が立ち上がった。


肩幅が扉ほどもある。背中に両手持ちの大剣。顔に斜めの古傷。後ろのテーブルでは、仲間らしい男女が四人、にやにやしながらこっちを見ていた。


男はのしのしと歩いてきて、朔を見下ろした。


「七つ星と同じ名前で、ランクはF。いいねえ、夢がある」


男の胸もとで、金色の札が揺れていた。Aと刻んである。


朔は男を見上げた。首の後ろは、ちりともしない。


この男は強い。この町でなら、たぶん一番か二番に。でも、それだけだった。


「あんたも、受ける側の人か」


「俺の組はな、このギルドで三年、Aランクの依頼しか受けてねえ。この町でAなのは、うちだけだ」


男は、親指で奥の壁を指した。


掲示板の一番上に、羊皮紙が一枚だけ、ほかから離して打ちつけてあった。角に、赤い蝋の封印。


「あれ以外はな」


朔は壁の前まで歩いていった。紙には、こう書いてあった。


──特別討伐依頼。東の沼地のヒュドラ。報酬、金貨二百。


その下に、赤い字で書き足されている。


──先に受けた組、戻らず。


娘が、台の向こうから声をかけてきた。さっきまでの明るさが消えていた。


「それ、三か月誰も受けてないんです。最後に受けた組が五人で行って、一人も戻ってこなくて」


少しためらってから、続ける。


「その組、『七つ星の再来』って名乗ってました。七人の英雄の名前を借りれば、ヒュドラにも勝てるって」


広間が、静かになった。


大柄な男が、鼻を鳴らした。


「名前で勝てりゃ苦労はねえよ。あれは領主の特別討伐依頼だ。本来はA以上向けだが、三か月誰も受けねえもんだから、ランク不問で開けてある。Fが手を出す紙じゃない。悪いことは言わねえ、やめとけ」


朔は紙から目を離さずに、六人を振り返った。


伊織は、もう指を鳴らしていた。恒一は肩をすくめている。玲奈は手帳に何か書いていた。たぶん、ヒュドラの首の数の見当だ。莉子は「沼なら泥。泥なら乾かせばいいよね」と小さく言っている。澪は腕を組んで、にっこりしていた。琴音は、まだ朔の手を握っていた。


セリナは壁にもたれて、あくびをした。


朔は紙に手を伸ばした。


赤い封印の羊皮紙を、釘ごと掲示板から引き抜く。


広間じゅうが、息を呑んだ。


「……おい」


大柄な男の声が低くなった。


「冗談だろ」


朔は受付の台に紙を置いた。


「これ、受けます。組の名前は」


「……『通りすがり』。ランクF」


娘が、かすれた声で言った。


「特別依頼はランク不問です。だから、受けられます。……受けられちゃいます」


「期限は?」と朔は訊いた。


「き、期限?」


「いつまでに倒せばいいですか」


娘は口をぱくぱくさせた。


「期限は、ないです。でも、あの、本当に」


「じゃあ、明日の日没までに」


朔が振り返ると、大柄な男が見下ろしていた。もう笑っていなかった。


「死ぬぞ」


「死にませんよ」


朔は言った。


「全員で生きて帰るのが、うちの得意なことなんで」


【針と胡椒 小鳥遊莉子】


ギルドを出ると、日はもう西に傾きかけていた。


「まず、お金」と朔が言った。「宿代と、明日の分」


莉子は、自分の荷を下ろして、底のほうから布の包みを二つ出した。


ひとつは、細長い木の箱。蓋を開けると、縫い針が、細い順にきっちりと並んでいる。日本で選んで、持ってきたものだ。


もうひとつは、油紙で三重に包んだ小袋が三つ。中身は、挽いていない黒い粒。胡椒だった。


小さくて、軽くて、向こうにもあるけど、こっちのほうが出来のいい物。日本で、そう決めて持ってきた。


最初に、門の近くの香辛料の店へ行った。狐のような耳をした店主が、袋をひとつ開けて、粒を指でつまんだ。割って、匂いを嗅ぐ。耳が、ぴくりと動いた。


「……いい胡椒だ。粒がそろってる。湿気てもいない」


店主は、天秤に袋をのせた。


「一袋、銀貨四枚」


莉子は、恒一の顔を見た。恒一は、首を横に振らなかった。縦にも振らなかった。


「前は、六枚した」と恒一が言った。


「前はな」と店主。「今は、南の港から胡椒が入るようになった。高く売りたいなら、ほかを当たりな」


恒一は、店の奥の棚を見た。同じ黒い粒の入った壺が、三つ並んでいる。店主の言うとおりだった。


「売れた物が、今も売れるとは限らない」


玲奈が、手帳を見ながら小さく言った。日本で、玲奈自身が言った言葉だった。


「四枚半」と恒一。「三袋、全部置いてく」


店主は、耳をかいて考えた。


「……四枚半。三袋で、十三枚と半分」


針のほうは、仕立て屋に持っていった。店の奥から出てきた白髪の女が、一本つまんで、窓の光にかざした。針の穴に糸を通して、布に刺す。すっと、抵抗なく抜けた。


女は、しばらく黙っていた。


「どこの針だい、これ」


「遠いところ」と莉子は言った。


「一本、銅貨三枚。うちの針の倍は出すよ」


莉子は、箱から二十本を抜いて、自分の荷に戻した。繕い物は、どこでも要る。残りの八十本を、台に並べた。


手もとに残ったのは、銀貨で二十枚と少し。


朔が、それを数えた。それから、自分の外套の内側に、ちらりと手をやった。小さな革袋の重さを確かめるように。


金と、銀。日本で、最後の手段だと言って持ってきたものだ。


朔は、袋には触れなかった。


「宿に五晩。七人とセリナで、一部屋」と玲奈が言った。「それで、銀貨八枚。残りで、道具」


「高いものは、要らない」と朔。「使えるものを、使える分だけ」


それから、市場の通りを、一人ずつ回った。


恒一は、狩人向けの店で、一番安い短弓を手に取った。弦を外して、弓を光にかざす。木目を指でなぞって、節のない一本を選んだ。それから、店にあった別の弦を、自分で張り直した。


「その弓、弦は付いてるだろ」と店の男が言った。


「この弦じゃ、雨の日に伸びる」


山刀を一本と、縄を一巻き。値切って、銀貨三枚に収めた。


隣で、セリナが店の男をじろりとにらんだ。男は、なぜか最後に、矢を十本おまけにつけた。


玲奈は、短剣を選んだ。刃より先に、柄を確かめた。金具の柄を三本続けて棚に戻して、木の柄の一本を取った。


「雷を扱う手に、金具は嫌」


それだけ言って、腰に差した。


澪は、武器の店の前を素通りした。


足を止めたのは、杖を並べた店だった。樫の、腰ほどの長さの杖を、何本も持ち比べる。重さを見ているのではなかった。片手で持って、くるりと回して、真ん中を握り直す。


「殴るんじゃなくて、押しのけるの」と澪は言った。「怪我をした人のところまで、行けるように」


薬と清潔な布は、日本から持ってきてある。澪の荷の半分は、それだった。


莉子は、手斧を一本と、小さな鉄の鍋をひとつ買った。鍋の底を、指の節で叩いて確かめる。こん、と、厚い音がした。


「蔓を切るのにも、薪にも、使えるから」と莉子は手斧を持ち上げた。「……ほかにも、使えるし」


琴音は、短剣の並んだ台の前に、長いこと立っていた。


一本ずつ、刃を指で弾く。きいん、と、細い音が鳴る。弾いては、耳を寄せる。五本目で、手が止まった。


「これ。芯まで、まっすぐ鳴ってる」


店の男は、意味が分からないという顔をしていた。


伊織は、市場の剣を三本、握ってみた。三本とも、すぐに台に戻した。


「軽すぎる。それに、作りが雑」


朔も、剣は買わなかった。


「剣は、ちゃんとした所で選ぶ」


残った銀貨を、朔が袋に戻した。ずいぶん軽くなっていた。


それでも、七人の腰と背中には、それぞれの道具がそろっていた。莉子は、鍋をぶら下げた荷を背負い直して、笑った。


三年ぶりの、買い物だった。


【前夜】


宿屋「樫の木亭」の二階の部屋で、玲奈はギルドで写させてもらった沼地の地図と目撃の記録を、ランプの明かりの下に広げていた。


開け放した窓の外では、日暮れとともに、通りの街灯の石がひとつずつ琥珀色にともりはじめていた。触れる者もいないのに、暗くなると自分で光る石だ。下の酒場から、誰かの笑い声とリュートの音が上ってくる。


「目撃は四件。どれも霧の朝。首の数の証言が、三本から九本まで、ばらばら」


「ばらばらってことは」と恒一。


「霧で、全部は見えてない。少なくとも九本、と思っておく」


玲奈は記録をめくった。


「ギルドの記録にあるのは、首の数と、出た場所だけ。首を斬ったらどうなるかは、どこにも書いてない」


「……書いてねえか」と恒一が言った。それだけだった。


伊織はベッドの上で、拳を握ったり開いたりしていた。


「ねえ。あたし、明日、剣が欲しい」


「剣?」


「ヒュドラだよ? 拳じゃ首は落とせないし。斬って、焼かなきゃ」


「今から鍛冶屋、開いてるか?」


「さっき通った。工房の煙突、まだ煙出てたよ」


窓辺から、琴音が言った。


通りの向こうに顔を向けたままだった。


「それと」


琴音が振り返る。


「ギルドの、あの大きい人。宿の下に来てる。仲間と」


全員が琴音を見た。


「何か相談してる。……私たちの後を、つけるって」


伊織がベッドから跳ね起きた。


「横取り狙い?」


「違う」


琴音は首を横に振った。


「心配してる声だった。『あいつら、死なせるなよ』って」


部屋が静かになった。


それから恒一が、ぼそっと言った。


「……いいやつじゃねえか」


朔は、地図の上の沼の印を見た。


明日の日没。見積もりは、まだ出していない。


出す必要がない気がした。窓から入ってくる夜風が、少しだけ甘かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。