第39話「冒険者ギルド」
『RETURNER ―帰還者たちは戻れない―』
第39話「冒険者ギルド」
【門 白川玲奈】
リーヴェルの町は、大きくなっていた。
玲奈は門の前で足を止めて、城壁を見上げた。
覚えているより、石の城壁が一段高い。昼の日差しを受けて、壁は灰色というより、蜂蜜を薄く溶かしたような淡い金色に見えた。門の両脇には、見覚えのない見張り塔が二本。塔のてっぺんで、青い旗がばたばたと風に鳴っている。門をくぐる荷車と人の列は、坂の下まで続いていた。
「……人、増えてる。前の一・五倍くらい」
「どうして分かるの」と澪が訊く。
「列の長さと、門番の数。あと、煙突の煙の本数」
玲奈は外套のポケットの中で、紐に指を触れていた。日本を出る前に三枝から受け取った紐だ。考えごとをするとき触れる癖が、いつの間にかついていた。
門をくぐった瞬間、音と色がいっぺんに押し寄せてきた。
石畳を叩く蹄と車輪。呼び込みの声。どこかの工房の槌の音。広場のほうからは、弦楽器と笛の軽やかな旋律が流れてくる。
通りの両側には、木組みに白い漆喰を塗った家が、肩を寄せ合って並んでいた。二階が通りの上へ張り出していて、どの窓辺にも鉢植えの赤い花がこぼれるように咲いている。屋根は青みがかったスレートで、日に照らされて魚の鱗みたいに光っていた。軒先ごとに、鉄の吊り看板が下がっている。パンの形、鍋の形、鋏の形。字の読めない客にも、何の店か分かるように。
人波の中には、獣族の姿も珍しくなかった。狐のような三角の耳をした商人が、色とりどりの香辛料の袋を並べている。熊のように大柄な獣族の荷運びが、酒樽をひょいと肩に担いで、鼻歌まじりに通りを渡っていった。
焼き窯から出たばかりのパンの匂いと、串焼きの脂の匂いが、混じり合って流れてきた。
莉子が、鼻をひくひくさせた。
「窯で焼いてる。ライ麦かな。それと、ローズマリーに似た匂い」
足が、もうパン屋の看板のほうへ向きかけている。
琴音だけが、門をくぐったところでぴたりと止まっていた。顔が少し青い。
「琴音?」
「……音、多い」
琴音は耳を押さえなかった。押さえても無駄なのを知っているのだ。
「全部いっぺんに入ってくる。チューニングが、まだ合ってない」
朔が隣に立つと、琴音の手が、すっと朔の手の中に入ってきた。
細くて、冷たい指だった。
朔が見ると、琴音は前を向いたままだった。
「……人、多いから。迷子防止」
「琴音、迷子になったことないだろ」
「今日、なるかもしれない」
琴音は指に、きゅっと力を込めた。
「だから。……町を出るまで」
朔は何も言わずに握り返した。
後ろで、伊織が小さく咳払いをした。澪は笑いをこらえながら、その背中をぽんと叩いた。
【七つ星 神崎伊織】
通りを歩くうちに、伊織は妙なものに気づいた。
星だ。
七つの星を、円く並べた飾り。露店の天幕の縁にぶら下がり、刺繍されて窓辺の旗になり、銅の小さなメダルに打ち出されて、革紐つきで売られている。広場のほうへ駆けていく子どもたちまで、七つ星を描いた小旗を振っていた。
「お守りはいかが、お嬢さん!」
露店の主人が、伊織の鼻先にメダルを差し出した。
「七つ星の護符だよ! これを下げてりゃ、魔物も寄ってこない。あの七人の加護つきだ!」
伊織はメダルをまじまじと見た。七つの星。真ん中に、剣と杖が交差した図柄。
「……あの七人って、誰」
主人は、信じられないという顔をした。
「お嬢さん、どこの山奥から出てきたんだい。三年前まで、この国を守ってた七人の英雄さ。竜を落としたとか、山を割ったとか」
伊織は黙った。
「それがある日、七人そろって光の中に消えちまった。それ以来、この七つ星が町の守りの印ってわけ。広場の噴水にも彫ってあるよ」
伊織はゆっくり振り返った。
誰も、伊織と目を合わせなかった。
玲奈は空を仰いでいる。琴音は朔の手を握ったまま足もとを見ている。恒一は口もとを手で覆っていた。セリナの肩が、小さく揺れている。
朔だけが、真顔で主人に訊いた。
「その英雄たちは、どんな見た目でしたか」
「そりゃあもう」
主人は胸を張った。
「全員、扉に頭がつかえるほどの大男さ。拳ひとつで岩を砕いて、髭がこう、胸まで」
伊織は、自分の胸を見下ろした。
「……髭」
澪が横を向いて、口もとを押さえた。肩が震えている。
伊織はメダルを主人に返した。
「いらない」
すたすたと歩き出してから、数歩先で小声になる。
「ねえ。あたしたち、竜、落としたっけ」
「さあな」と恒一。「落としたかもしれねえし、落としてねえかもしれねえ」
「どっちよ」
「五年は、長かったんだよ」
【ギルド 朝倉朔】
冒険者ギルドは、噴水のある広場に面していた。
噴水の水盤のふちには、本当に七つの星が彫られていた。水しぶきが日差しを受けて、小さな虹をつくっている。
ギルドは石造りの三階建てだった。扉の上に、交差した剣と羽根ペンの鉄看板。前は木造の平屋だった気がする。
樫の扉を押し開けると、麦酒と革と、焼いた肉の匂いがした。
天井の高い広間に、長テーブルが十ほど並んでいる。高い窓から斜めに差しこむ光の中で、埃がきらきら舞っていた。人間も獣族も入りまじった冒険者たちが、剣や斧を壁に立てかけて、昼間から錫のジョッキを傾けている。奥の壁は一面が板の掲示板で、依頼を書いた羊皮紙が、釘でびっしり打ちつけてあった。
七人とセリナが入っていくと、話し声が少しだけ低くなった。
値踏みする目が、いくつもこっちを向く。
「新顔だな」
「装備が薄いぞ」
「荷運びの組じゃないか?」
朔は気にせず、受付の台へ向かった。
台の向こうで、栗色の髪をひとつに束ねた娘が、羽根ペンで帳面に何か書きつけていた。
「いらっしゃいませ。依頼を出す方ですか? 受ける方ですか?」
「受ける方で」
「では、組の名前と、全員のお名前を。登録の前に台帳と照らし合わせる決まりなんです。字が書けなければ、私が書きますね」
朔は少し考えた。組の名前。
「……『通りすがり』で」
娘のペンが止まった。
「通りすがり」
「通りすがり」
娘は朔の顔を見て、それから肩をすくめて、本当にそう書いた。
「お名前は」
朔は六人を振り返った。偽る理由はなかったし、偽る気もなかった。
「朔。澪。伊織。玲奈。莉子。琴音。恒一」
セリナは壁にもたれたまま、首を横に振った。登録はもうあるらしい。
娘は七つの名前を帳面に書きつけると、背後の棚から分厚い台帳を一冊引き出した。すり切れた革の表紙。ページを後ろからめくって、名前の列を指でなぞっていく。
その指が、止まった。
娘は台帳と、帳面と、七人の顔を順に見た。もう一度、台帳を見た。
顔から、さっと血の気が引いていた。
「……三年前の、記録に」
声が小さくなる。
「同じお名前が七つ。同じ組に。……ランクは」
娘は、唾を飲みこんだ。
「S、です」
広間が、一瞬しんとした。
それから、どっと笑い声が上がった。
「Sだってよ!」
「七つ星と同じ名前を名乗りやがった!」
「髭はどうした、髭は!」
娘だけは笑っていなかった。笑い声の中で、台帳の同じページを指で押さえたままでいる。
ページの端に、赤い蝋の封印が押してあった。
「この記録は、三年前から凍結されています。……全員が、行方知れずになった日から」
娘は台の端の跳ね上げ板を持ち上げた。
「奥へ来ていただけますか。全員で」
【照合】
奥の部屋は狭かった。
窓のない石の壁に、台帳のぎっしり詰まった棚。真ん中の台に、拳ほどの大きさの透きとおった石がひとつ、銀の台座に据えてある。
「照合の水晶です」
娘は扉を閉めて、声を落とした。
「冒険者は、登録のときにここへ手を置きます。人の魔力には一人ずつ違う紋があって、水晶がそれを覚えるんです。名前は偽れても、紋は偽れません」
娘は、封印のあるページを開いた台帳を、水晶の横に置いた。
「凍結された記録は、本当はギルド長の立ち会いで戻すものです。でも、照合だけなら私にもできます」
それから、朔をまっすぐ見た。
「……もし合わなかったら、名前を騙った罪で、衛兵を呼ばないといけません」
声が、少し震えていた。
朔は黙って、水晶の上に右手を置いた。
ひやりと冷たい。
手のひらの下で、水晶の芯に小さな光がともった。
白ではなかった。
金色だった。
光は水晶の中でゆっくり形をつくっていく。細い線が何本も絡み合った、指紋のような紋。
台帳のページの上で、封印の赤い蝋が、同じ金色に一度だけ光った。
娘が息を呑んだ。
「……合った」
澪が手を置いた。金色。伊織。金色。玲奈、莉子、琴音、恒一。
七つ。全部、金色だった。
最後の光が消えても、娘はしばらく何も言えなかった。それから両手で口を押さえて、その場にしゃがみこんだ。
「……嘘。ほんとに。ほんとに、帰ってきたんだ」
娘の肩が震えていた。
莉子が隣にしゃがんで、背中にそっと手を置いた。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないです。……私、三年前はここの見習いだったんです。皆さんの記録を凍結した日、ギルド長が泣いてたの、覚えてて」
顔を上げた娘の目は、赤かった。
「でも、皆さん、全然大男じゃないし。髭も」
「ないね」と伊織が言った。
娘は泣きながら、少し笑った。
それから立ち上がって、棚の一番上から小さな木の箱を下ろし、蓋を開けた。
黒い金属の札が七枚、並んでいた。表には銀の象嵌でSと刻まれている。三年分の埃を、丁寧に拭った跡があった。
「三年前に、ギルドが預かった札です。ギルド長が毎月、自分で拭いてました。いつ帰ってきてもいいように、って」
恒一が一枚を手に取った。裏に、自分の名前が刻んである。
覚えていなかった。でも、手が重さを覚えていた。
伊織が、恒一の手もとをのぞきこむ。
「ねえ。あたしたち、ほんとにSだったの」
「らしいな」
「覚えてないんだけど」
「五年は、長かったんだよ」
玲奈は、台帳の封印のページをじっと見ていた。ポケットの中で、紐を握る指に力がこもる。
「記録が、残ってた」
静かな声だった。
「私たちがここにいたっていう記録が。三年経っても、ちゃんと」
【札】
「記録は、照合が合えば戻せます」
娘は言って、それから扉のほうに目をやった。
「でも……広間でこれを出したら」
扉の向こうから、まだ笑い声が漏れ聞こえていた。
「町じゅう大騒ぎになります。七つ星が帰ってきた、って。たぶん今夜のうちに、領主様の耳にも」
朔は六人を見た。
玲奈が小さく首を振る。分からないことが多すぎる。三年で何が変わったのか。誰が七つ星の名前で何をしているのか。
澪は、肩をすくめた。
伊織は、手の中の黒い札と、首から下げた鉄の札を見比べていた。
「あたしはどっちでもいい。でも、あいつら笑ってたよね。さっき」
口の端が、にっと上がる。
「黙らせるなら、札より、こっちのほうが気持ちいいと思うんだ」
伊織は拳を軽く握ってみせた。
朔は娘に言った。
「しばらく、Fのままにしておいてもらえますか。黒い札は、ポケットに入れておきます」
娘は目を丸くして、それから、ゆっくり頷いた。
「……分かりました。照合済みの印だけ、台帳に残しておきます。表向きは『通りすがり』、ランクF」
台の下から、鉄の小さな札が七枚出てきた。表にFと刻まれている。
「新規の方と同じ札です。F、E、D、C、B、A、その上がS。首から下げておいてください。それが表向きの身分証になります」
伊織が鉄の札をつまみ上げて、裏返した。
「……F」
娘は、少しだけいたずらっぽく笑った。
「私、口は堅いですから」
七人は黒い札を外套の内側にしまい、首には鉄のFの札を下げた。
広間に戻ると、また笑い声が上がった。
【特別討伐依頼】
「おっ、伝説と同じ名前のFランク様のお戻りだ!」
長テーブルのひとつから、大柄な男が立ち上がった。
肩幅が扉ほどもある。背中に両手持ちの大剣。顔に斜めの古傷。後ろのテーブルでは、仲間らしい男女が四人、にやにやしながらこっちを見ていた。
男はのしのしと歩いてきて、朔を見下ろした。
「七つ星と同じ名前で、ランクはF。いいねえ、夢がある」
男の胸もとで、金色の札が揺れていた。Aと刻んである。
朔は男を見上げた。首の後ろは、ちりともしない。
この男は強い。この町でなら、たぶん一番か二番に。でも、それだけだった。
「あんたも、受ける側の人か」
「俺の組はな、このギルドで三年、Aランクの依頼しか受けてねえ。この町でAなのは、うちだけだ」
男は、親指で奥の壁を指した。
掲示板の一番上に、羊皮紙が一枚だけ、ほかから離して打ちつけてあった。角に、赤い蝋の封印。
「あれ以外はな」
朔は壁の前まで歩いていった。紙には、こう書いてあった。
──特別討伐依頼。東の沼地のヒュドラ。報酬、金貨二百。
その下に、赤い字で書き足されている。
──先に受けた組、戻らず。
娘が、台の向こうから声をかけてきた。さっきまでの明るさが消えていた。
「それ、三か月誰も受けてないんです。最後に受けた組が五人で行って、一人も戻ってこなくて」
少しためらってから、続ける。
「その組、『七つ星の再来』って名乗ってました。七人の英雄の名前を借りれば、ヒュドラにも勝てるって」
広間が、静かになった。
大柄な男が、鼻を鳴らした。
「名前で勝てりゃ苦労はねえよ。あれは領主の特別討伐依頼だ。本来はA以上向けだが、三か月誰も受けねえもんだから、ランク不問で開けてある。Fが手を出す紙じゃない。悪いことは言わねえ、やめとけ」
朔は紙から目を離さずに、六人を振り返った。
伊織は、もう指を鳴らしていた。恒一は肩をすくめている。玲奈は手帳に何か書いていた。たぶん、ヒュドラの首の数の見当だ。莉子は「沼なら泥。泥なら乾かせばいいよね」と小さく言っている。澪は腕を組んで、にっこりしていた。琴音は、まだ朔の手を握っていた。
セリナは壁にもたれて、あくびをした。
朔は紙に手を伸ばした。
赤い封印の羊皮紙を、釘ごと掲示板から引き抜く。
広間じゅうが、息を呑んだ。
「……おい」
大柄な男の声が低くなった。
「冗談だろ」
朔は受付の台に紙を置いた。
「これ、受けます。組の名前は」
「……『通りすがり』。ランクF」
娘が、かすれた声で言った。
「特別依頼はランク不問です。だから、受けられます。……受けられちゃいます」
「期限は?」と朔は訊いた。
「き、期限?」
「いつまでに倒せばいいですか」
娘は口をぱくぱくさせた。
「期限は、ないです。でも、あの、本当に」
「じゃあ、明日の日没までに」
朔が振り返ると、大柄な男が見下ろしていた。もう笑っていなかった。
「死ぬぞ」
「死にませんよ」
朔は言った。
「全員で生きて帰るのが、うちの得意なことなんで」
【針と胡椒 小鳥遊莉子】
ギルドを出ると、日はもう西に傾きかけていた。
「まず、お金」と朔が言った。「宿代と、明日の分」
莉子は、自分の荷を下ろして、底のほうから布の包みを二つ出した。
ひとつは、細長い木の箱。蓋を開けると、縫い針が、細い順にきっちりと並んでいる。日本で選んで、持ってきたものだ。
もうひとつは、油紙で三重に包んだ小袋が三つ。中身は、挽いていない黒い粒。胡椒だった。
小さくて、軽くて、向こうにもあるけど、こっちのほうが出来のいい物。日本で、そう決めて持ってきた。
最初に、門の近くの香辛料の店へ行った。狐のような耳をした店主が、袋をひとつ開けて、粒を指でつまんだ。割って、匂いを嗅ぐ。耳が、ぴくりと動いた。
「……いい胡椒だ。粒がそろってる。湿気てもいない」
店主は、天秤に袋をのせた。
「一袋、銀貨四枚」
莉子は、恒一の顔を見た。恒一は、首を横に振らなかった。縦にも振らなかった。
「前は、六枚した」と恒一が言った。
「前はな」と店主。「今は、南の港から胡椒が入るようになった。高く売りたいなら、ほかを当たりな」
恒一は、店の奥の棚を見た。同じ黒い粒の入った壺が、三つ並んでいる。店主の言うとおりだった。
「売れた物が、今も売れるとは限らない」
玲奈が、手帳を見ながら小さく言った。日本で、玲奈自身が言った言葉だった。
「四枚半」と恒一。「三袋、全部置いてく」
店主は、耳をかいて考えた。
「……四枚半。三袋で、十三枚と半分」
針のほうは、仕立て屋に持っていった。店の奥から出てきた白髪の女が、一本つまんで、窓の光にかざした。針の穴に糸を通して、布に刺す。すっと、抵抗なく抜けた。
女は、しばらく黙っていた。
「どこの針だい、これ」
「遠いところ」と莉子は言った。
「一本、銅貨三枚。うちの針の倍は出すよ」
莉子は、箱から二十本を抜いて、自分の荷に戻した。繕い物は、どこでも要る。残りの八十本を、台に並べた。
手もとに残ったのは、銀貨で二十枚と少し。
朔が、それを数えた。それから、自分の外套の内側に、ちらりと手をやった。小さな革袋の重さを確かめるように。
金と、銀。日本で、最後の手段だと言って持ってきたものだ。
朔は、袋には触れなかった。
「宿に五晩。七人とセリナで、一部屋」と玲奈が言った。「それで、銀貨八枚。残りで、道具」
「高いものは、要らない」と朔。「使えるものを、使える分だけ」
それから、市場の通りを、一人ずつ回った。
恒一は、狩人向けの店で、一番安い短弓を手に取った。弦を外して、弓を光にかざす。木目を指でなぞって、節のない一本を選んだ。それから、店にあった別の弦を、自分で張り直した。
「その弓、弦は付いてるだろ」と店の男が言った。
「この弦じゃ、雨の日に伸びる」
山刀を一本と、縄を一巻き。値切って、銀貨三枚に収めた。
隣で、セリナが店の男をじろりとにらんだ。男は、なぜか最後に、矢を十本おまけにつけた。
玲奈は、短剣を選んだ。刃より先に、柄を確かめた。金具の柄を三本続けて棚に戻して、木の柄の一本を取った。
「雷を扱う手に、金具は嫌」
それだけ言って、腰に差した。
澪は、武器の店の前を素通りした。
足を止めたのは、杖を並べた店だった。樫の、腰ほどの長さの杖を、何本も持ち比べる。重さを見ているのではなかった。片手で持って、くるりと回して、真ん中を握り直す。
「殴るんじゃなくて、押しのけるの」と澪は言った。「怪我をした人のところまで、行けるように」
薬と清潔な布は、日本から持ってきてある。澪の荷の半分は、それだった。
莉子は、手斧を一本と、小さな鉄の鍋をひとつ買った。鍋の底を、指の節で叩いて確かめる。こん、と、厚い音がした。
「蔓を切るのにも、薪にも、使えるから」と莉子は手斧を持ち上げた。「……ほかにも、使えるし」
琴音は、短剣の並んだ台の前に、長いこと立っていた。
一本ずつ、刃を指で弾く。きいん、と、細い音が鳴る。弾いては、耳を寄せる。五本目で、手が止まった。
「これ。芯まで、まっすぐ鳴ってる」
店の男は、意味が分からないという顔をしていた。
伊織は、市場の剣を三本、握ってみた。三本とも、すぐに台に戻した。
「軽すぎる。それに、作りが雑」
朔も、剣は買わなかった。
「剣は、ちゃんとした所で選ぶ」
残った銀貨を、朔が袋に戻した。ずいぶん軽くなっていた。
それでも、七人の腰と背中には、それぞれの道具がそろっていた。莉子は、鍋をぶら下げた荷を背負い直して、笑った。
三年ぶりの、買い物だった。
【前夜】
宿屋「樫の木亭」の二階の部屋で、玲奈はギルドで写させてもらった沼地の地図と目撃の記録を、ランプの明かりの下に広げていた。
開け放した窓の外では、日暮れとともに、通りの街灯の石がひとつずつ琥珀色にともりはじめていた。触れる者もいないのに、暗くなると自分で光る石だ。下の酒場から、誰かの笑い声とリュートの音が上ってくる。
「目撃は四件。どれも霧の朝。首の数の証言が、三本から九本まで、ばらばら」
「ばらばらってことは」と恒一。
「霧で、全部は見えてない。少なくとも九本、と思っておく」
玲奈は記録をめくった。
「ギルドの記録にあるのは、首の数と、出た場所だけ。首を斬ったらどうなるかは、どこにも書いてない」
「……書いてねえか」と恒一が言った。それだけだった。
伊織はベッドの上で、拳を握ったり開いたりしていた。
「ねえ。あたし、明日、剣が欲しい」
「剣?」
「ヒュドラだよ? 拳じゃ首は落とせないし。斬って、焼かなきゃ」
「今から鍛冶屋、開いてるか?」
「さっき通った。工房の煙突、まだ煙出てたよ」
窓辺から、琴音が言った。
通りの向こうに顔を向けたままだった。
「それと」
琴音が振り返る。
「ギルドの、あの大きい人。宿の下に来てる。仲間と」
全員が琴音を見た。
「何か相談してる。……私たちの後を、つけるって」
伊織がベッドから跳ね起きた。
「横取り狙い?」
「違う」
琴音は首を横に振った。
「心配してる声だった。『あいつら、死なせるなよ』って」
部屋が静かになった。
それから恒一が、ぼそっと言った。
「……いいやつじゃねえか」
朔は、地図の上の沼の印を見た。
明日の日没。見積もりは、まだ出していない。
出す必要がない気がした。窓から入ってくる夜風が、少しだけ甘かった。




