↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
RETURNER ―帰還者たちは戻れない―  作者: れのん
第1章
36/57

第36話「一人ずつ」

『RETURNER ―帰還者たちは戻れない―』


第36話「一人ずつ」


【21:47 山のキャンプ場】


ざー、という音は、もう、止まらなかった。


焚き火の上の空間が、ゆっくりと、揺れはじめた。何もないはずの夜の空気が、水面のように波打つ。炎の色が、その波に、淡く溶けていく。


あの夜は、勝手に引かれた。


今夜は、違う。


七人は、自分の足で、そこへ向かう。


カメラの向こうで、コメント欄が、ざわめいていた。


『なに、これ』『あの夜と、同じ』『行かないで』


「……順番に、行こう」と朔が言った。「一人ずつ。自分の意思で」


七人は、頷いた。


【恒一】


最初に立ち上がったのは、恒一だった。


焚き火の前に立って、革紐に通した牙の欠片を、強く握る。それから、七人を、順番に見た。


「先に、行ってる」


「ああ」と朔。


「待ってるって、言いたいけど、……あいつの顔、早く見たいんだ」


恒一は、笑った。揺れる空間に、右手を伸ばす。


「セリナ」


その名を、短く呼んだ。そして、一歩、踏み出した。


背中が、光の波に、溶けた。折りたたみ椅子だけが、焚き火の前に、ぽつんと残った。


【伊織】


「次、あたし」


伊織は、立ち上がって、ジャケットのポケットに手を突っ込んだ。それから、小さく、カメラの方を振り向いた。


「怖いけどね」


画面の向こうの、誰かに向けて、はっきり言った。


「でも、行く」


伊織は、前を向いた。波の中に、まっすぐに、足を踏み入れた。後ろ姿が、ふっと、光に消えた。


【琴音】


琴音は、立ち上がって、目を閉じた。口から、小さな旋律が、こぼれた。誰にも聞こえない、静かな歌。


「みんな、先に行ってるよ」


歌いながら、琴音は、歩き出した。声が、空気に溶けていく。歌の終わりの一音が、波の向こうへ、消えた。


【玲奈】


「……分からない」


玲奈は、ポケットの紐を、そっと握った。


「でも、行く」


声は、静かだった。それから、雅人のいる夜空に向かって、ほんの少し、頭を下げた。


玲奈は、波の中へ、歩き出した。


【澪】


「私は、こうしたい」


澪は、立ち上がって、そう言った。声が、震えていなかった。


「ずっと、言えなかったこと。今は、言える」


指先に、淡い熱が灯った。澪は、それを、胸に押し当てて、微笑んだ。


「いってきます」


光の中に、澪の姿が、静かに、ほどけた。


【莉子】


「……ありがとう」


莉子は、籠の中のパンを、一つ、焚き火の前に置いた。


「航くんに、もう、焼いてあげられなくて、ごめんね。……元気で」


小さな声が、夜風にまぎれた。莉子は、涙を拭って、顔を上げた。


「……怖いよ。まだ」


誰に言うでもなく、そう呟いた。足が、少しだけ、震えていた。


「でも、私、決めたから」


莉子は、ぎゅっと、拳を握った。それから、波の中に、一歩、踏み込んだ。足元から、光が、莉子を包んだ。


【朔】


最後に、一人、残った。


焚き火の前に立つ朔の周りには、六つの空っぽの椅子が、並んでいた。


朔は、カメラの前に、歩み寄った。画面の向こうに、数万人の視線があった。その向こうに、母がいて、美咲がいて、航がいて、高城がいて、千鶴がいて。


朔は、小さく息を吸った。


「……ありがとうございました」


それから、少しだけ、笑った。


「いってきます」


コメント欄が、静かに、止まっていた。やがて、一行が、流れた。無地のアイコン。


『いってらっしゃい』


朔は、それを、読んだ気がした。そして、背を向けた。


波の手前で、足が止まった。


ポケットの中の、古い写真を、上から押さえる。ここに、残れる。今なら、まだ。そんな考えが、一瞬だけ、よぎった。


朔は、目を閉じた。母の声。美咲の声。仲間たちの、足音。それから、門の向こうの、あの声。


全部が、胸の中にあった。日本を、捨てるわけじゃない。好きなまま、行く。


焚き火が、ぱちりと、鳴った。


「……帰るよ」


誰にともなく、そう呟いて、朔は、波の中へ、歩み入った。


光が、全身を、包んだ。ざー、という音が、遠ざかっていった。


【21:48】


焚き火の前に、七つの椅子が、並んでいた。誰も、座っていなかった。


カメラは、静かに、その光景を、映し続けた。


コメント欄は、しばらく、動かなかった。それから、少しずつ、言葉が、流れはじめた。


『いってらっしゃい』


『ありがとう』


『ずっと、待ってる』


画面の隅の時計が、動いた。


あの夜と、違っていた。今度は、七人が、自分で、選んで、渡っていった。


配信は、静かに、終わった。

第一章 おわりです

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。