第35話「最後の配信」
『RETURNER ―帰還者たちは戻れない―』
第35話「最後の配信」
【三年目の秋 夕方 山のキャンプ場】
七人が、自分の足で、同じ場所に集まった。
秋の山は、あの夜と同じように、冷たい空気と、落ち葉の匂いがした。恒一が、焚き火を起こす。莉子が、大きな籠を下ろす。
「パン、焼いてきたよ。店長の厨房で。七人分と、航くんの分」
「航の分?」と伊織。
「渡してきた。さっき」
莉子は、少し赤い目で、笑った。
七つの荷が、焚き火のそばに並んだ。
大きさは、ばらばらだった。恒一の荷が一番大きく、伊織の荷が一番小さかった。琴音の荷は、伊織のより、少しだけ大きかった。
恒一が、一つずつ、背負い紐を確かめていった。肩に当たる幅。腰で留める位置。結び目の向き。澪の荷の紐を締め直し、玲奈の荷の底を叩いて、中の重さの偏りを確かめる。
伊織の荷の前で、恒一は手を止めた。紐を一度引いて、離した。
「お前のは、もういい」
「知ってる」
莉子が、籠からパンを取り出した。布で包み直して、自分の荷に移していく。籠には、いくつか、残った。
「籠は、持ってかないの?」と琴音が訊いた。
「うん。……置いてく」
莉子は、それ以上、言わなかった。
最後に、朔が、一人ずつの前に立った。荷。上着。靴。ポケット。手で触れて、確かめる。確かめられた者から、一人ずつ、頷いた。
「……多いな」と朔は言った。「前と比べたら」
「前は、何もなかったから」と玲奈が言った。
「それでも、足りない物は出る」と恒一。
「出たら、向こうで考える」
朔は、そう言って、最後に自分の荷の紐を締めた。
七つの椅子が、焚き火を囲んで並んだ。朔は、山道が見える位置。恒一は、火の前。灯の席順と同じだった。
玲奈が、足元に、小さな計測器を置いた。針は、静かだった。
「準備、できた」
「ああ」と朔が頷いた。
カメラは、三脚に据えられている。画面の向こうで、あの夜と同じ、七つの顔が、ひとつの枠に収まる。
【21:00 配信】
「はいどーもー、ノイズです!」
朔が、いつもの声で、カメラに向かって言った。コメント欄が、一気に流れる。
『始まった!』『最後?』『活動休止って本当?』『行かないで』
事前の告知で、視聴者は、数万人に達していた。普段の何十倍だった。
「長い、旅に出ます」朔は、間を置いて続けた。「しばらく、戻れません。……今日は、その、報告と、お礼と、あと、少しだけ、おしゃべりを」
七人は、いつも通りに、交互に画面に向かって話した。ゲームの話。莉子のパンの話。恒一の山の話。ただ、話の切れ目が、いつもより、長かった。
「最近、ちゃんと寝てる? あたしは寝てるよ。みんなも寝な」と伊織。
「無理しないでね。……大丈夫じゃないときは、大丈夫じゃないって、言っていいから」と澪。
「分からないことは、分からないままでも、いいと思う」と玲奈。「……急に何、って顔しないで」
「ご飯は、ちゃんと食べてね」と莉子。
「新曲は、概要欄。聴いてね」と琴音。
「自分のことは、自分で決めろよ」と恒一。「……って、俺が言うことでもないか」
『今日ほんとに最後なの?』『なんかみんな変じゃない?』『ノイズ、無理してない?』『これ活動休止じゃなくて引退なの?』
朔は、コメント欄を一度だけ見て、すぐに、カメラへ視線を戻した。
「背負いすぎないでください。……って、まあ、いつも通りですけど」
コメント欄が、あたたかい言葉で、埋まっていった。
『ありがとう』『いってらっしゃい』『待ってる』
【21:30 見ている人たち】
河原で、航は、スマホを握りしめていた。莉子のパンを、半分だけ食べて、涙を拭った。一度は、画面を伏せた。見ていられなかった。けれど、三十秒後には、また起こした。最後まで見ると、決めていた。
自分の部屋で、美咲は、画面を見つめていた。唇だけが、「いってらっしゃい」と動いた。声には、ならなかった。
真帆は、澪の空の部屋で、観葉植物に水をやりながら、配信を見ていた。
雅人は、研究室の机で、玲奈の付箋を、指でなぞっていた。
神谷は、スタジオで、琴音の歌を流していた。
蓮は、居酒屋のカウンターで、静かにジョッキを傾けた。
千鶴は、灯のカウンターで、七つのカップを、きれいに洗っていた。
三枝は、研究室の窓際で、画面を見つめていた。
リナは、自分の部屋で、七人の枠に、最初のコメントを打った。
『いってらっしゃい。ずっと、見てる』
高城は、署の屋上で、手帳を開いていた。『21:47』。
【21:46】
焚き火の火が、ぱち、と鳴った。
足元の計測器の針が、ゆっくりと、動きはじめた。
ざー、と、音が鳴った。
低くて細い、遠い波のような音。それは、止まらなかった。山の木々が、風もないのに、ざわめく。
コメント欄が、一瞬で、同じ記号で埋まった。
◇◇◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇◇◇
『なんだこれ』『あの夜と、同じ』『バグ?』
「玲奈」
「……条件は、たぶん、全部、揃ってる」
玲奈の声が、静かに響いた。
七人は、立ち上がった。足元の荷を、それぞれ背負い直す。焚き火を挟んで、互いの顔を、順番に見る。
朔が、小さく息を吸った。
「……全員、いるな」
七人は、頷いた。
「いる」
「いるよ」
「いる」
画面の右下の時刻が、動いた。
21:47。




