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RETURNER ―帰還者たちは戻れない―  作者: れのん
第1章
34/57

第34話「見送る人たち」

『RETURNER ―帰還者たちは戻れない―』


第34話「見送る人たち」


【三年目の秋 神崎伊織】


実家の玄関で、伊織は、靴を脱ぐ前に、立ち止まった。


「ただいま」


「おかえり。ご飯、できてるよ」


台所から、母の声が返ってきた。伊織は、深呼吸をした。


食卓で、味噌汁をすすったあと、伊織は、箸を置いた。


「母さん」


「なに」


「あたし、行く」


母は、お玉を持ったまま、伊織を見た。


「どこに」


「遠く。たぶん、もう、戻ってこれない」


母は、しばらく、何も言わなかった。それから、小さな声で言った。


「……やだ」


「母さん」


「やだよ、そんなの。やっと、三年近く、一緒にいられたのに」


伊織は、膝の上で、手を握りしめた。手のひらに、爪が食い込んだ。


「……怖かったんだ、あたし。ずっと。強がってたけど、本当は、怖かった」


母の目が、見開かれた。


「でも、言えたの。やっと。だから、行ける」


母は、お玉を置いた。立ち上がって、伊織の隣に来た。それから、伊織の頭を、ゆっくり撫でた。


「あんた、前に、無理してる顔してたでしょう」


「……うん」


「今は、してない」


伊織は、息を詰めた。母は、静かに続けた。


「いい顔になった。……悔しいくらい」


母は、伊織の頭を、もう一度撫でた。


「いってらっしゃい、は、当日に言う。今夜は、泊まっていきなさい」


伊織は、返事の代わりに、残りの味噌汁を、全部飲んだ。冷めていた。母は、何も言わずに、おかわりをよそった。


【同じ週 黒瀬琴音】


最後のライブの夜、ライブハウスは、満員だった。


琴音は、ステージの中央に立った。照明が、ゆっくりと落ちる。客席が、静まり返った。


「今夜は、最後に、一曲だけ」


琴音は、マイクの前で、小さく息を吸った。


「この歌は、日本の言葉で、日本で、生まれた歌です。……ここに、置いていきます」


静かな旋律が、フロアに広がった。やさしくて、切ない声。客席のあちこちで、誰かが、目元を拭った。


歌い終えたとき、拍手は、なかなか、始まらなかった。やがて、小さな音が、一つ、二つ、重なり、大きな波になった。


琴音は、深く、頭を下げた。


「ありがとうございました」


袖から、神谷が見ていた。親指を立てる代わりに、静かに、頷いた。琴音は、それに微笑み返して、ステージを降りた。


「……俺は、納得してねえからな」


神谷は、目を合わせずに言った。


「はい」


「だから、最後まで、見てる。いい声で歌え」


琴音は、深く、頭を下げた。顔を上げたとき、神谷は、もう、背を向けていた。


【同じ週 佐伯恒一】


「また来年、来るだろ?」


山仲間の一人が、焚き火を囲みながら言った。恒一は、笑って、缶ビールを傾けた。


「……ああ。たぶんな」


「たぶんって何だよ」


「いや、行けたらな」


誰かが笑い、誰かが「適当だな」と言った。恒一も、笑った。その笑いが、少しだけ、喉に引っかかった。


夜、仲間たちが寝静まったあと、恒一は、一人で、焚き火の前に座っていた。革紐に通した牙の欠片を、指でなぞる。


「……待たせたな」


小さく言った。火が、ぱちりと鳴った。


姉への手紙は、昨日、書き終えた。短い文だった。ありがとう、と、ごめん、と、幸せになる、の三つだけ。便箋の端が、少しだけ、滲んでいた。


【前日 高城誠司】


高城は、署の屋上で、煙草に火をつけていた。


「ここにいたのか」


声に振り向くと、朔が、そこに立っていた。


「……呼び出したつもりは、ないが」


「分かってる。話したくて、来た」


二人は、並んで、夜景を見た。


「何も、聞かない」と高城が言った。「三年前、お前たちが消えた夜から、ずっと、考えてきた。何があったのか。どうして、戻ってきたのか」


「……」


「でも、答えは、いらない。お前たちが、悪人じゃないってことは、分かってる」


朔は、静かに、頭を下げた。


「ただ、ひとつだけ」


高城は、手帳を取り出した。ページの隅に、小さく書かれた時刻。


『21:47』


「明日の、その時刻に、何かが起きるんだろう」


「……はい」


「止めたい。……本当は、止めたい。刑事としてじゃない。お前たちの家族の顔を、三年、見てきた人間としてだ。だが、止められない。だから、見届ける」


朔は、顔を上げた。


「ありがとうございます」


「礼は、いらない」高城は、煙を吐いた。「分かったとは、言わんぞ。止められないだけだ。……行くなら、ちゃんと、生きろ。それだけだ」


「……はい」


夜風が、二人の間を、通り抜けていった。


【夜 グループ】


七人の画面に、玲奈の短い文章が、届いた。


『場所は、山のキャンプ場。明日、夕方に、全員で』


『俺の庭だな』と恒一。


『今度は、七人が、自分の足で、同じ場所へ行く』と玲奈。


返信は、すぐに、七つ、揃った。


『了解』

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