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RETURNER ―帰還者たちは戻れない―  作者: れのん
第1章
33/57

第33話「それぞれの、さよなら」

『RETURNER ―帰還者たちは戻れない―』


第33話「それぞれの、さよなら」


【三年目の秋 朝倉朔】


実家の食卓には、いつもの肉じゃがが並んでいた。


「いただきます」


「はい、どうぞ」


母は、箸を取らずに、朔が食べる様子を眺めていた。朔は、ひと口食べて、箸を置いた。


「母さん」


「なあに」


「俺、行くことにした」


母の手が、一瞬だけ止まった。


「……どこに」


「遠い、ところ。連絡は、できないと思う」


「電話も」


「うん」


「手紙も」


「……分からない」


母は、しばらく黙っていた。それから、静かに箸を取って、肉じゃがを口に運んだ。


「やっぱりね」


「え」


「あんた、ずっと、どこか行きそうな顔してたもの。二週間いなくなって、帰ってきてから、ずっと」


母の目が、少し赤かった。それでも、笑っていた。


「止めても、行くんでしょう」


「……ああ」


「なら、止めない。……止めたいけど、止めない」


母は、箸を置いて、立ち上がった。奥から、一枚の写真を持ってきた。朔が小学生のとき、家族で撮った、色あせた写真だった。


「これ、持っていきなさい。一枚だけ」


「母さん」


「何も持っていかないより、いいでしょ」


朔は、写真を受け取った。指が、震えていた。


「……ありがとう」


「いってらっしゃい」


その一言に、朔は、頭を下げたまま、動けなかった。


【同じ週 水城澪と桐谷真帆】


「全部、話す」


澪は、真帆の部屋のソファで、膝を揃えて言った。真帆は、黙って頷いた。


「信じてもらえないと、思う。でも、聞いてほしい」


澪は、ゆっくりと話した。七人が、どこにいたのか。何があったのか。誰を助けて、誰を助けられなかったのか。


真帆は、一度も、遮らなかった。途中で、一度だけ、立ち上がって、お茶を淹れ直した。手は、止まらなかった。


「……私ね、向こうで、人が死ぬのを、何度も見たの」


「うん」


「助けられなかった人の手が、冷たくなっていくのを。……ずっと、思い出す」


澪の声が、震えた。真帆は、何も言わずに、澪の手を握った。


「怖かった」


「うん」


「でも、あの人の家族に、会いに行きたいの。ちゃんと」


真帆は、長い間、黙っていた。それから、澪の肩に、片手を置いた。


「……全部は、まだ、飲み込めない。でも、信じる」


「……真帆」


「澪が、嘘ついたことなんて、一度もないもの。『大丈夫』以外は」


二人は、冷めたお茶を、同時に飲んだ。


「……いってらっしゃい、は、まだ言えない」と真帆は言った。「今言ったら、本当に行っちゃう気がするから」


澪は、何も言えなかった。


「でも、約束して。向こうで、ちゃんと、『大丈夫じゃない』って言える人を、見つけて」


「うん」


「言えたら、それが、私への、手紙」


澪は、頷いた。帰り際、玄関で、真帆は、澪の上着の襟を、無言で直した。「いってらっしゃい」は、最後まで、言わなかった。


【同じ週 白川玲奈と三枝透】


「お別れですか」


三枝の研究室で、お茶を一口飲んでから、彼は静かに言った。玲奈は、少し驚いて、顔を上げる。


「……分かりますか」


「分かります。あなたの顔が、決まっていたので」


「そう」


玲奈は、ふっと笑った。氷の写真が、壁一面で、青く光っていた。


「紐は、切れませんでしたか」


「切るんじゃない」玲奈は、静かに答えた。「結び直す、んです」


「結び直す」


「引っ張られて、ここに戻ってきた。今度は、自分で、向こうへ、結び直す」


三枝は、少しの間、黙っていた。それから、机の引き出しを開けて、あの紐を取り出した。


「差し上げます」


「え」


「証にはならないでしょう。でも、持っていてください。……私が、あなたの話を、信じていた証として」


玲奈は、紐を受け取った。思ったよりも、軽かった。


「一つだけ、聞いてもいいですか」


「どうぞ」


「戻ってくる気は、ありますか」


玲奈は、少し黙ってから、答えた。


「……ないと、思います」


「そうですか」


三枝は、湯呑みを置いた。その音が、思ったより、大きく響いた。


「ありがとうございました」


「こちらこそ」


三枝は、穏やかに微笑んだ。その笑顔の奥に、一瞬、何か別のものが、揺れた気がした。玲奈は、それを見ないふりをした。


【同じ週 小鳥遊莉子】


「そう。……分かったわ」


店長は、莉子の話を聞き終えて、ゆっくりと頷いた。莉子は、頭を下げたまま、動けなかった。


「ごめんなさい。せっかく、店を」


「謝らなくていいのよ」


店長は、莉子の肩に、そっと手を置いた。


「あなたが選んだことでしょう。なら、それで、いいの」


「店長」


「……本当はね、ちょっとだけ、怒ってるのよ」


店長は、笑いながら言った。目だけが、笑っていなかった。


「継いでほしかったんだもの」


「……はい」


「だから、ただし」


店長は、少しだけ、いたずらっぽく笑った。


「最後に、うちの厨房を貸すから。七人分、パンを焼いていきなさい」


「……はい」


莉子は、笑おうとして、うまく笑えなかった。それでも、エプロンの紐を、強く結んだ。


【夜 カレンダー】


その夜、七人は、それぞれの部屋で、壁のカレンダーに、同じ日付を、丸で囲んだ。


あの夜から、ちょうど、三年。


七つの丸が、静かに、七つの部屋に、灯った。

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